今日は何の日!8月24日は、チェルシーの頼れるキャプテン、アスピリクエタがチェルシーに加入!/2012年

2020.08.24 17:30 Mon
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世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日8月24日の出来事を振り返ってみよう。今回ピックアップするのは、2012年8月24日。スペイン代表DFセサール・アスピリクエタがチェルシーに移籍した日だ。
◆頼れるキャプテン、アスピリクエタのチェルシーキャリアハイライト


◆献身性溢れるスペイン人DFがチェルシーへ
地元のクラブであるオサスナでプロキャリアをスタートさせたアスピリクエタ。若くして同チームのレギュラーに定着すると、有望な若手として多くのクラブから注目を集め、2010年夏にフランスの名門マルセイユへの移籍を決めた。

マルセイユではレギュラーとして活躍していたものの、ヒザのケガで長期離脱し、定位置を失うと、2012年夏に当時ロベルト・ディ・マッテオ監督に率いられ、チャンピオンズリーグ(CL)を優勝したばかりのチェルシーに移籍した。
◆守備職人として多くの指揮官の信頼を得る名SBへと成長
欧州チャンピオンチームに移籍したアスピリクエタは、加入初シーズンから公式戦48試合に出場し、ディフェンスラインの欠かせない存在となった。

その後チームは、ラファエル・ベニテス氏、ジョゼ・モウリーニョ氏、アントニオ・コンテ氏、マウリツィオ・サッリ氏、そして今シーズンからはフランク・ランパード氏が監督に就任するなど、監督交代を繰り返したが、それでもアスピリクエタは全ての監督から大きな信頼を得て、ここまで公式戦384試合に出場。プレミアリーグ2度の優勝を含む、5つの主要トロフィーの獲得に貢献している。

2018年からは、当時のキャプテンだったDFギャリー・ケイヒルがサッリ監督の下で出場機会を減らすと、キャプテンのアームバンドを付けることが多くなり、2019年夏からは、退団したケイヒルに代わって正式にクラブキャプテンに就任。若手の台頭が著しいチームのまとめ役として存在感を示している。
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今日は何の日!9月9日は、偉大な守護神ブッフォンの後継者、シュチェスニーがユベントスデビュー/2017年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月9日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2017年9月9日。ポーランド代表GKヴォイチェフ・シュチェスニーが、ユベントスデビューを飾った日だ。 <div id="cws_ad">◆シュチェスニーのユベントスでのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJnSUNyT2dqWSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆若くして頭角を現したポーランドの逸材 母国の強豪レギア・ワルシャワユースで育ったシュチェスニーは、若くしてアーセナルに引き抜かれると、2010年にファーストチームに定着。好セーブを連発して、正GKの座を掴んだ。 しかし、安定感を欠くパフォーマンスが散見されるようになると、素行の問題なども重なり、アーセナルでは徐々に出場機会を減らした。しかし、2015年ローマへのレンタル移籍を機に、素晴らしい活躍を見せ始めると、GKアリソン・ベッカー(現リバプール)を抑えてレギュラーを勝ち取るなど、リーグ屈指のGKとしての評価を受けるように。そして2017年夏に、セリエAの絶対王者、ユベントスに加入した。 ◆偉大な守護神から後を任される存在に そして迎えた2017年9月9日、セリエA第3節で、長年ユベントスの絶対的守護神を務めてきたGKジャンルイジ・ブッフォンに代わって先発出場を果たし、同クラブでのデビューを飾った。 このシーズンはブッフォンとローテーションを組んで出場していたが、2018年夏にブッフォンがパリ・サンジェルマン(PSG)に退団した際には(2019年夏にユベントス復帰)、同選手が長年着用してきた背番号「1」を受け継いでいる。 イングランド時代の自分とは決別し、イタリアでワールドクラスの活躍を続けるシュチェスニーの今後の活躍に益々期待だ。 2020.09.09 17:00 Wed

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