久保の素顔を見た気がした/六川亨の日本サッカーの歩み
2019.02.25 18:30 Mon
先週の週末、今シーズンのJ1リーグが開幕した。鳥栖が名古屋に0-4と大敗し、ACL王者の鹿島がJ1に昇格したばかりの大分に1-2で敗れるなど波乱のスタートとなったが、ジャイアントキリングもサッカーの醍醐味の1つだろう。
その開幕戦で注目を集めたのが、NHKの地上波で放映された川崎F対FC東京戦での久保建英の直接FKだろう。鋭い弾道のシュートにGKチョン・ソンリョンも見送るしかなかったが、残念ながら右ポストに嫌われ開幕戦でのゴールとはならなかった。
そして攻撃だけでなく、DF車屋からボールを奪ってドリブルによるカウンターからスルーパスを出すなど守備力も向上。長谷川健太監督も「堂安がヨーロッパに行く前くらいのレベルに来ている」とその成長を認めた。
当然のことながら、試合後の久保は多くの報道陣に囲まれた。まだ17歳の若さだが、受け答えには“大人の風格"さえ漂う。ただ、それは3年前にJ3の長野戦(対U-23FC東京)でデビューを果たし、Jリーグの史上最年少記録を塗り替えた時から変わらない態度でもあった。
喜怒哀楽をほとんど見せないため、“子供らしさ"を感じることができないとも言える。J3のある試合では、前半早々に小川諒也が2枚目のイエローカードで退場となった。すると後半なかば、ハーフラインからドリブル突破を始めると40メートル近くもボールを運んで味方にパスを出した。
昨シーズンはJ1での出場機会を求めて横浜FMへレンタル移籍をしたが、長谷川監督は「外の世界を知ったことで、子供のメンタルが大人のメンタルになった」と戻って来た久保を高く評価。今年上旬の沖縄キャンプでのプレマッチ、G大阪戦と名古屋戦では2試合続けて主力組のスタメンで起用した。
その久保をG大阪戦の翌日の練習後に取材しようと、「昨日の試合で意識したことは何でしすか」と声を掛けると、久保は驚いたように「いきなり言われてもなぁ」とちょっと戸惑った様子。慌てて駆け寄って来た広報が久保を気遣い「明日にしようか」とフォローしたものの、久保は「ちょっと考える時間を下さい」と取材を拒否することはなかった。
そしてG大阪戦は開始直後にカウンターから2点を先制されたため、「立ち上がりはチームとしても個としても、あまりいい入りじゃなかったので、何とか攻撃の糸口を見つけようと思いました」と素直に語った。そこで「糸口は自身のプレーでつかもうと思ったの?」と聞くと、「サッカーは個人スポーツではないので、誰かを生かせばチームも活性化すると思いました。監督も特定の選手にゴールを求めているのではなく、『みんなの得点力が上がればいい』と言っていますから」とたしなめられてしまった。
そんな、いつもポーカーフェイスの久保だが、子供らしい一面をみたことが1回だけある。2017年の夏の午後練の後だった。まだプロ契約をする前だったが、すでにトップチームの練習に参加していた。練習後にファンサービスを終えると、学校帰りのユースチームの選手たちが三々五々、姿を見せた。
本来ならチームメイトでもあるが、そんな彼らに「サインしてあげようか」とふざけながら笑顔で話しかけたのだ。中学3年から大人に囲まれてサッカーをし、大人の報道陣から質問攻めに合ってきた久保の、本来の姿を見た気がしてならなかった。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
その開幕戦で注目を集めたのが、NHKの地上波で放映された川崎F対FC東京戦での久保建英の直接FKだろう。鋭い弾道のシュートにGKチョン・ソンリョンも見送るしかなかったが、残念ながら右ポストに嫌われ開幕戦でのゴールとはならなかった。
当然のことながら、試合後の久保は多くの報道陣に囲まれた。まだ17歳の若さだが、受け答えには“大人の風格"さえ漂う。ただ、それは3年前にJ3の長野戦(対U-23FC東京)でデビューを果たし、Jリーグの史上最年少記録を塗り替えた時から変わらない態度でもあった。
喜怒哀楽をほとんど見せないため、“子供らしさ"を感じることができないとも言える。J3のある試合では、前半早々に小川諒也が2枚目のイエローカードで退場となった。すると後半なかば、ハーフラインからドリブル突破を始めると40メートル近くもボールを運んで味方にパスを出した。
その理由を聞いたところ、「退場者が出て数的不利な状況なので打開しようと思いました」と冷静に試合を分析していたことに驚いた記憶がある。
昨シーズンはJ1での出場機会を求めて横浜FMへレンタル移籍をしたが、長谷川監督は「外の世界を知ったことで、子供のメンタルが大人のメンタルになった」と戻って来た久保を高く評価。今年上旬の沖縄キャンプでのプレマッチ、G大阪戦と名古屋戦では2試合続けて主力組のスタメンで起用した。
その久保をG大阪戦の翌日の練習後に取材しようと、「昨日の試合で意識したことは何でしすか」と声を掛けると、久保は驚いたように「いきなり言われてもなぁ」とちょっと戸惑った様子。慌てて駆け寄って来た広報が久保を気遣い「明日にしようか」とフォローしたものの、久保は「ちょっと考える時間を下さい」と取材を拒否することはなかった。
そしてG大阪戦は開始直後にカウンターから2点を先制されたため、「立ち上がりはチームとしても個としても、あまりいい入りじゃなかったので、何とか攻撃の糸口を見つけようと思いました」と素直に語った。そこで「糸口は自身のプレーでつかもうと思ったの?」と聞くと、「サッカーは個人スポーツではないので、誰かを生かせばチームも活性化すると思いました。監督も特定の選手にゴールを求めているのではなく、『みんなの得点力が上がればいい』と言っていますから」とたしなめられてしまった。
そんな、いつもポーカーフェイスの久保だが、子供らしい一面をみたことが1回だけある。2017年の夏の午後練の後だった。まだプロ契約をする前だったが、すでにトップチームの練習に参加していた。練習後にファンサービスを終えると、学校帰りのユースチームの選手たちが三々五々、姿を見せた。
本来ならチームメイトでもあるが、そんな彼らに「サインしてあげようか」とふざけながら笑顔で話しかけたのだ。中学3年から大人に囲まれてサッカーをし、大人の報道陣から質問攻めに合ってきた久保の、本来の姿を見た気がしてならなかった。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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