キルギス戦で望むこと/六川亨の日本サッカー見聞録2018.11.16 12:00 Fri

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▽11月16日に大分で開催されるキリンチャレンジ杯、日本対ベネズエラ戦に臨む日本代表の森保監督が前日会見に臨んだ。会見の冒頭、森保一監督は「明日の試合はウルグアイ戦をベースに戦いたい。今日の練習を見て、練習後に変るかもしれないがベースに考えている」とベネズエラ戦のスタメンを示唆した。

▽今回の2連戦、ベネズエラとキルギスを比較すればどちらが格上かは明らか。このため合流間もない海外組とはいえ、攻撃陣はベストの布陣を組むものと思われる。GKは東口順昭で決まりだろう。個人的には代表経験のないシュミット・ダニエルを見てみたいが、この日公開された冒頭15分の練習を見ても、手にボールが吸い付くようなキャッチングをしているのは東口だけ。彼の牙城を脅かすのは簡単なことではないかもしれない。

▽CBは吉田麻也と槙野智章で決まりか。負傷で辞退した左SB長友佑都の代わりは佐々木翔、右は酒井宏樹ということになる。初招集の山中亮輔と、Jリーグで台頭著しい室屋成のコンビも見たいが、経験値で前者が起用される可能性が高い。

▽ボランチは柴崎岳と遠藤航が濃厚で、ここにどこまで三竿健斗が食い込めるか。2列目は右から堂安律、南野拓実、中島翔哉で決まりか。そして1トップに大迫勇也というメンバーだ。意外性のないメンバーではあるが、これが現状のベストという布陣だ。

▽ただ、そのぶんキルギス戦は森保監督に思い切った選手起用を期待したい。対戦相手はアジアカップで対戦するウズベキスタン、トルクメニスタンら中央アジアの国を想定してのマッチメイクだろう。最新のFIFAランクでキルギスは90位(日本は54位)に位置しているものの、89位のイラク、94位のウズベキスタン、96位のカタールに日本が確実に勝てるという保証はない。未知の国だからこそ、そうした相手にGKシュミット・ダニエルや山中、室屋、富安健洋、北川航也ら国際舞台の経験の浅い彼らがどんな「対応力」を見せるのか(できればU―21日本代表との対戦を見たかった)。

▽代表チームに負けてもいい試合はない。だからこそ、代表チームの底上げと若手世代の融合を、シビアな状況(ゲームで)テストして欲しいと思う。彼らが日本代表のプライドを示すことができるのか。それができれば緊迫した好試合になることは間違いないだろう。

▽会見の最後に森保監督は、アジアカップで対戦相手が「(対日本)対策をしてきても、対応力を持って戦いに臨もうと選手には伝えてある。日本が引いて守ったとしても常に連携、連動の意識を持っていれば相手の嫌がるのではないか。コンセプトを浸透させることをやってきているので、慌てることなく試合を進めるように言っている。相手が意外性のあることをしてきても、選手は自信を持って臨めるようにしたい」と控えめな口調ながらも自信をのぞかせた。

▽最初の試金石となるアジアカップに向け、残り2試合。あとは選手が内容と結果を残すだけだ。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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ゼロックス杯とちばぎんカップのレフェリングについて/六川亨の日本サッカー見聞録

先週の週末は、16日のゼロックススーパーカップの川崎F対浦和戦、翌17日はちばぎんカップの柏対千葉戦を取材した。ゼロックス杯はチームの完成度の違いと新戦力のレアンドロ・ダミアンの決勝点で1-0の僅差ながら川崎Fが完勝。浦和は負傷中の武藤雄樹と青木拓矢の不在をオリベイラ監督は敗因の1つとしてあげていた。それはそれで頷けたものだ。 この試合では、前半27分、浦和のマウリシオが自陣ペナルティーエリア外で、ヘッドでクリアしようとしたところ、川崎Fのレアンドロ・ダミアンが遅れて競りに行き、頭同士が激突すると、家本レフェリーはすぐに笛を吹いて試合を止めた。 このジャッジを見て思い出したのが、2月12日に行われたレフェリングカンファレンスでのトピックだった。今シーズンのレフェリングのスタンダードを説明するカンファレンスで、主な趣旨はハンドとオフサイドについてだった。 1月にUAEで開催されたアジアカップでは、VAR判定によりペナルティーエリア内で手に当たったケースはほぼPKというジャッジが下された。しかし2019年のJリーグでは、至近距離からの避けようのないシュートが手に当たった場合のハンドはPKではないと判断すること。しかし手を上げて空中戦を競りに行ったり、シュートブロックに行ったりした場合はハンドと認定する基準を示した。 その判断基準として「ハンドは選手にハンドする意図があるかどうか」が示された。手を上げること自体、ハンドする意図があるとの判断だ。そしてオフサイドは、「選手の意図ではなく、オフサイドポジションにいる選手が結果的に相手GKやDFなどにゴールと直結する影響を及ぼしたかどうか」で判断するという。 そしてカンファレンスにオブザーバーとして参加したレフェリーは、昨シーズンのジャッジした試合から印象に残る試合を解説した。先に名前を出した家本レフェリーは昨シーズンの第29節、神戸対長崎戦(1-1)で、神戸のティーラトンに「著しく不正なプレー」でレッドカードを出した。 家本氏いわく、「ルーズボールの競り合い、負けているチーム、途中出場の選手はテンションが高く、特に外国人はその傾向が強いため、ラフプレーが予測されます」と解説した。 その後、飯田レフェリーは4月21日の第9節・G大阪対C大阪の試合を紹介した。この試合は、G大阪のGK東口順昭とDF三浦弦太が前半16分に浮き球をクリアしようとして味方同士で激突。その際に三浦の頭部が東口の右頬付近に入り、三浦は倒れ込んだまま。しかし試合はC大阪がこぼれ球を拾って攻め続けたため、東口は起き上がってゴール前に戻り、柿谷曜一朗のヘッドを防いでから再びピッチに倒れ込んだ。 東口は交代を余儀なくされ、診断の結果、頬骨の骨折が判明。幸いにもロシアW杯には間に合ったが、一歩間違えば選手生命を絶たれかねない大事故につながった可能性もある。 そのジャッジに関して飯田レフェリーは、「東口と三浦の激突はわかっていましたが、ボール保持者がドリブルしたので、プレーを止めるにも止められなかった」と正直に話した。 こうした背景があったからこそ、ゼロックス杯の家本レフェリーはマウリシオとレアンドロ・ダミアンが激突した際に、アドバンテージは取らず、すぐに笛を吹いて試合を止めたのではないだろうか。これは賢明な判断として今シーズンのスタンダードにして欲しい。 その点、残念だったのがちばぎんカップでの上村主審だ。2-2で迎えた後半44分、後方からのハイクロスに柏の長身FWオルンガがDFと競りつつボールを見ながら落下点に入ろうとしたところ、ペナルティーエリアから飛び出してきた千葉GK佐藤優也がトップスピードのまま激突。オルンガは倒れたままで、駆け寄ったチームメイトはすぐさまベンチに向かい両手で×印を示した。 千葉はファン・エスナイデル監督のもと、高い守備ラインを採用しているため、GK佐藤も果敢にペナルティーエリアから飛び出してピンチを未然に防いでいた。しかし。このシーンでは明らかに遅れてタックルに行っているし、そもそもPSMでこれほど危険なプレーをする必要があるのかどうかも疑問に思った。 本来なら一発レッドで退場もののプレーなのに、GK佐藤への処分は警告。その後、PK戦で6人目のシュートをストップしたため試合のMVPにも選ばれている。こうしたプレーを許していては、いつまたGK佐藤が危険なプレーをするとも限らない。これは佐藤にとっても、対戦相手にとっても“不幸な出来事”につながるだろう。 試合をコントロールするのはレフェリーだし、彼らの存在なしで試合は成立しない。その意味でも、上村レフェリーは1級審判だが、選手生命を守るためのジャッジの情報共有が急務だと感じたちばぎんカップだった。 ※公開時に「本来なら一発レッドで退場もののプレーなのに、GK佐藤は警告すら受けておらず」と記載しておりましたが、内容に誤りがございました。心より深くお詫び申し上げます。 <hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.02.19 11:00 Tue
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Jリーグ選手名鑑/六川亨の日本サッカー見聞録

今シーズンのJ1リーグ開幕まで、あと2週間を切った。今週末にはゼロックス・スーパーカップも開幕する。といったところで、この時期に毎年購入するのがJリーグの選手名鑑(2月9日発売)である。 かつて務めていた縁ではないが、自然とSD誌の選手名鑑を手にとってしまう。それにしても、年々チーム数が増え、今年は292ページのボリュームとオールカラーで1000円を切っている(989円)のは凄い。 加えて今年1月は、全国高校サッカー選手権の増刊号とアジアカップ総集編の増刊号と3冊の増刊と同時進行での発行である。たぶん編集部総動員での制作だっただろうが、その苦労は察するに余りある。 ただ、制作に関してはDTPのため一発入稿だから、原稿と写真、そして各種データの整理・校正を入念に行えば、次はデザイナーが活躍する番になる。デザイナーにしても、すでにフォーマットは数十年以上前から組み上がっているだけに、そのアレンジが“腕の見せどころ”といったところか。 とまあ、当事者ではないから気楽なことを書いているが、印刷された校正紙の原稿を読んだり、細かいデータを編集部員同士で読み合わせたりする作業は、とてもじゃないがもうできない。しかもJ1の18チームだけでも“青息吐息”なのに、それがJ2の22チームとJ3の15チームまである(U-23FC東京とG大阪、C大阪の3チームはのぞく)のだから、卒倒するのは間違いない。 あらためて制作に関係した多くの記者、編集者、デザイナーに敬意を表したいと思うし、1年間大事に使いたいと思っている(実際のところ、この選手名鑑は持ち歩くのに重いので、今月21日発売のSD本誌に綴じ込み付録でついてくる簡易版を愛用している)。 といったところで、ここからは、ちょっと昔話の自慢?をさせていただこう。1993年にスタートしたJリーグだが、それ以前から老舗のSM誌とSD誌はJSL(日本サッカーリーグ)の選手名鑑を毎年、付録で本誌につけていた。 そのノウハウがあったからJリーグの選手名鑑の制作もそれほど苦労はしなかったが、年を重ねるにつれ、前年と同じスタイルではマンネリだと感じたのが編集部一同の意見だった。そこで出たのが「巻頭に読み応えのある昨シーズンを振り返ったストーリーを載せたい。そこでは優勝したチームだけでなく、準優勝で終わったチームの原因や、期待を裏切ったチーム、話題を提供したチームのトピックスも紹介したい」という意見だった。 他にもチーム紹介では「誕生から昨シーズンまでのストーリー、そして今シーズンの展望を書きたい」とか、「昨シーズンの優勝監督とMVPを受賞した選手のインタビューが欲しい」、「サポーターなどサッカーを取り巻く印象的なシーンの写真も掲載したらどうか」などなど、さまざまな意見が会議では出た。 それは選手名鑑を1冊の雑誌として充実させたいという、“編集者”としての視点と、“記者”としてもっと書きたいという欲求から出た率直な意見だった。 ところが、当時のT社長(現会長)は、これらの意見をことごとく却下した。「読み物よりもデータ満載の選手名鑑を作れ」というのが厳命だった。 そして、それは正論だとも納得した。シーズンが始まれば、成績によってチームは新たな選手を補強したり、監督を交代したりする。すると昨シーズンの読み物などは色褪せてしまうからだ。活用できる情報として残るのは昨シーズンのデータということになる。 この伝統がいまも生きているのかもしれないが、SD誌のW杯を始めとして展望号はデータ重視で読み物は少ない。そこらあたりが、昨年発行されたアジアカップの増刊ではEG誌との違いだが、EG誌にはEG誌なりの戦略があるのだろう。 こうした理由から、いまもSD誌は情報の収集ツールとして利用している次第だ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.02.11 20:30 Mon
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日本代表の背番号11/六川亨の日本サッカー見聞録

アジアカップはカタール代表の初優勝で終わり、5度目の戴冠を期待された日本代表は残念ながら準優勝に終わった。準決勝のイラン代表戦では今大会でベストのパフォーマンスから3-0の快勝を収めただけに、後手に回った決勝戦での前半の戦いぶりが悔やまれる。 そのカタール戦、ハーフタイムに控えの選手がピッチでボールを蹴っていたが、乾貴士と遠藤航の姿がなかった。0-2とリードされていただけに、「後半から乾と遠藤の2枚替えか。遠藤がボランチに戻れば守備を立て直すことができるが、体調は大丈夫なのか?」と期待したものの、森保一監督は動かなかった。 最初の交代カードは後半16分、原口元気に代えて武藤嘉紀を起用した。すると19分と21分に武藤が立て続けにヘッドでゴールを狙ったものの、シュートはクロスバーを越え、同点のチャンスを逃してしまった。決めていれば2011年カタール大会決勝の李忠成のようなヒーローになれただけに、武藤にとっては悔いの残るシュートだっただろう。 ただ、最初の交代カードで武藤を抜擢したが、彼の武器であるスピードはスペースがあってこと生きるタイプだ。カタールは自陣のゴール前を固めてカウンター狙いだったため、ゴールをこじ開けるにはクロスに対しガムシャラに飛び込む北川航也の方が効果的ではなかったかと疑問が残る。 それまで5試合に起用し、サブ組のFWでは最長の出場時間だっただけに、なぜ最後までベンチに温存したのか。北川が森保監督の期待に応えることができなかったと言われればそれまでだし、結果論にすぎないという反論もあることは百も承知だ。 そして改めて思うのは、北川は運がないということ。それは北川だけに限らず、今回彼が背負った日本代表の「背番号11」はなぜか結果に恵まれないということだ。 北川の前に「背番号11」を背負っていた選手が誰かと聞かれても、即答できるファンは数少ないのではないだろうか。ロシアW杯での「背番号11」は宇佐美貴史だったが、ほとんど活躍できなかった。 その前は豊田陽平であり、その前はというと柿谷曜一朗、原口元気、ハーフナー・マイク、前田遼一、玉田圭司、播戸竜二、佐藤寿人、巻誠一郎、鈴木隆行、黒部光昭、松井大輔、鈴木隆行、中山雅史、三浦淳寛、呂比須ワグナー、小野伸二、三浦知良らが「背番号11」を背負ってきた。 彼らの中で記憶に残るゴールを決めた選手となると、2002年日韓W杯の初戦ベルギー代表戦(2-2)で同点ゴールを決め、W杯で初めて勝点1をもたらした鈴木くらいではないだろうか。あとは“キング・カズ”の存在感が圧倒的だった。 もともと「背番号11」は左ウイングに与えられるナンバーだったものの、ポジションが流動化した現代サッカーでは9番と10番と同様に攻撃的な選手、ストライカーに与えられる番号でもある。にもかかわらず、日本代表の歴代「11番」は、カズ以降ストライカーとしての輝きを放てていない。 果たして3月に再招集される森保ジャパンにおいて、誰が「背番号11」を受け継ぐのか。そしてゴールという結果を出すことができるのか。23人のメンバーとともに注目したいと思っている。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.02.05 16:45 Tue
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大迫は別格も後継者探しが急務/六川亨の日本サッカー見聞録

アジアカップ2019UAEも残すは7試合。昨日の準々決勝では日本代表がベトナム代表を堂安律のPKによるゴールで下し、2大会ぶりのベスト4に進出した。試合は、今大会を象徴するような展開だった。 ベトナムはグループリーグD最終戦のイエメン代表戦での勝利で3位となり、決勝トーナメントに進出した。1回戦ではグループB首位のヨルダン代表を下し、地元開催となった2007年のアジアカップ以来となるベスト8に進出。その原動力は平均年齢23・25歳という若さにある。 豊富な運動量で日本を凌駕し、5BK、4MFの守備的な布陣ながら、インターセプトからのカウンターで日本を脅かした。日本が序盤に劣勢だったのは、タテパスからの速い攻撃を仕掛けたものの、前線でボールが収まらないのと、パスそのものが不正確だったからだ。ここら当たり、やはり北川航也の1トップでは荷が重いことと、まだまだ森保一監督の目指すスタイルは発展途上と言わざるを得ない。 前半24分には柴崎岳の左CKから吉田麻也がヘッドで先制点を決めたかに見えたが、準々決勝から導入されたVAR(ビデオ・アシスタントレフェリー)の判定により取り消されてしまった。VTRを見たら明らかにシュートしたボールが吉田の手に当たってからゴールに飛び込んだため、仕方のないジャッジだった。 それでも後半12分、4分前の堂安に対するタックルがVAR判定の結果、PKと認定されたのはラッキーだったと言える。主審がプレーを止め、ビデオを確認するまでに、ベトナムは選手交代をしているためプレーは続行中だったが、もしもその間にベトナムか日本がゴールを決めていたら、どのようにプレーを再開し、PKのジャッジはどうなったのかが気になるシーンでもあった。 ともかく、この1点で日本は楽になったが、この試合における一番の収穫は大迫勇也の復活に他ならない。マーカーを背負いながら確実にボールを収めて攻撃の起点になる。これまでなりを潜めていた堂安や南野拓実、原口元気らともワンタッチ、ツータッチのパス交換でベトナムゴールを脅かした。 「堂安や南野、原口、乾(貴士)らは距離が近くないとお互いの良さが生きない」とはNHKの解説者として現地を訪れている山本昌邦氏の指摘だが、やはり大迫は別格と言える。大迫がピッチに立つと、流れるようなパスワークが戻ったことがそれを証明しているだろう。 問題は、代えのきかない大迫のバックアッパーをどうするかで、それは今大会に限ったことではない。今大会のメンバーである北川と武藤嘉紀は、タテへの突破が魅力な選手で、大迫とはタイプが違う。森保監督の目指す「タテに速いサッカー」は、どうしても前線にポストプレーヤーが必要だ。 今大会なら、南野を1トップに、トップ下に乾を置くオプションも窮余の策として考えられるが(青山敏弘が負傷離脱しなければ、彼をボランチに、柴崎岳をトップ下という選択肢もあった)、大迫の代役捜しは急務でもある。 国内組では、負傷で辞退した小林悠、長身プレーヤーの杉本健勇らの候補がいるし、アンダー世代では磐田の小川航基、法政大学の上田綺世といったU-23日本代表の選手も候補となってくるだろう。 いずれにしても日本代表では1トップと左SBのバックアッパー探しが森保監督の次のミッションになることは間違いない。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.25 21:40 Fri
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日本人監督で初のアジア杯制覇に挑戦/六川亨の日本サッカー見聞録

1月17日、アジアカップのグループリーグ最終戦があり、ウズベキスタン代表と対戦した日本代表は武藤、塩谷のゴールで2-1の逆転勝ちを収め、グループFを首位で突破。21日の決勝トーナメント1回戦でグループE2位のサウジアラビア代表と対戦することになった。 試合前日の記者会見で森保一監督が示唆したように、日本はスタメン10人を入れ替える前代未聞の選手起用を見せた。アジアカップでは初めての出来事であるし、過去の記憶を辿っても、2005年の東アジア選手権でジーコ監督がトライしただけだ。 そのときは初戦で北朝鮮に0-1で敗れたため、第2戦の中国戦でジーコ監督は総入れ替えを断行したが、どちらかというと懲罰的な意味での全取っ替えだった。 それに比べ、今回はサブ組のストレス解消と、決勝トーナメントに向け警告を受けた選手(権田、酒井、堂安、南野)ら主力を温存する目的があったと推測できる。結果は“吉”と出たし、むしろ過去2戦よりも落ち着いて見られるほど日本の試合運びは安定していた。 W杯に限らず、初戦の難しさと勝つことの重要性、そしてグループリーグで2連勝することのアドバンテージを改めて感じたものだ。試合後の武藤嘉紀は「こういうことがあるとチームの底上げにつながると思うし、誰が出ても変わらないことを証明できた」と胸を張ったが、逆にサウジアラビア戦ではどのようなスタメンをチョイスするのか。森保監督も今頃は頭を悩ませているのではないだろうか。 そのアジアカップだが、日本が初めて本格的に参戦したのは1992年に地元広島で開催された大会からだった。それまでは予選が国内リーグと重なること、決勝大会は天皇杯と重なるといった理由から辞退することが多かった。 本格参戦した92年以降、日本は9大会連続9回目の出場を果たし、最多記録となる4度の優勝を飾っている。その歴史を振り返ってみると、外国人監督の歴史でもある。初優勝は92年広島大会のハンス・オフト監督、2度目は自国開催のW杯を控えた2000年のレバノン大会で、フィリップ・トルシエ監督が率いたチームは中村俊輔や名波浩を擁し、「アジア最強」と称されるほど圧倒的な強さで優勝した。 連覇のかかる2004年中国大会は前述のジーコ監督で、準々決勝のヨルダン戦ではPK戦でGK川口能活のファインプレーもあり、接戦を制しての連覇だった。そして2011年カタール大会はアルベルト・ザッケローニ監督が準決勝の韓国戦、決勝のオーストラリア戦とアジアのライバルを連破してアジアの頂点に立った。 ただ、00年まではチーム一丸となって優勝に突き進んだものの、ジーコ・ジャパンになってからは、いわゆる“国内組”と“海外組”との軋轢も生じるようになった。試合に出られない選手らはベンチに座っていても笑顔はなく、練習中もあまり喜怒哀楽を表さない。しかし、選手は監督に不満をぶつけることなく耐えてきた。 それはジーコ監督に限らず、ザッケローニ監督、そして前回のハビエル・アギーレ監督も同じたったような記憶がある。 ところが森保監督は、今大会の2試合目が終わった時点で試合に出られない理由を選手から聞かれ、しっかりと説明したという。ここらあたり、言葉の壁がないのが日本人監督のアドバンテージと言えるだろう。 アジアカップに日本人監督で臨むのは今回が2度目となる。1996年のUAE大会に臨んだ加茂周監督は、グループリーグこそ突破したものの準々決勝のクウェート戦でロングボールからの2失点により0-2と敗退した。それ以来となる日本人監督によるアジアカップ。果たして森保監督は、日本人監督としてアジアの頂点を極めることができるのか。今後の選手起用も含めて目の離せない森保ジャパンである。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.18 22:15 Fri
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