コパ・アメリカは辞退か? /六川亨の日本サッカーの歩み2018.10.02 18:30 Tue

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▽マレーシアで開催されているU-16アジア選手権で、日本は準々決勝でオマーンに2-1で競り勝ちベスト4に進出。来年ペルーで開催されるU-17W杯の出場権を獲得した。日本の出場は2大会連続9度目となる。

▽そして今日は今月ジャカルタで開催されるU-19アジア選手権に臨む日本代表のメンバーが発表された。こちらは来年ポーランドで開催されるU-20W杯の出場を目指すが、久保建英(横浜FM)らの目標はポーランドでのW杯だけでなく、20年の東京五輪も視野に入っている。今後は8月のアジア大会に出場したメンバー(U-21日本)との競争になるが、切磋琢磨して五輪ではメダルを目指して欲しいものだ。

▽そんな来年は、サッカー界にとってイベントが目白押しだ。まず1月にはUAEでアジアカップが開催される。森保ジャパンにとって初の公式大会で、目標は最多5度目となる優勝しかありえない。そしてアンダーカテゴリーのW杯に加え、6月にはなでしこジャパンがフランスで開催される女子W杯に臨む。

▽問題は6月から7月にかけてブラジルで開催されるコパ・アメリカだ。日本は1999年と2011年の2回、同大会に招待されている。1910年に創設された世界最古の大会だが、2011年は東日本大震災のため参加を見送った。

▽初参加の99年はトルシエ・ジャパンが参戦したものの、初戦でペルーに2-3と敗れると、続く地元パラグアイ戦は0-4の完敗。トルシエ監督が名波浩を名指しで「戦えない選手」と批判すれば、名波も記者陣にトルシエ監督への不満を表明するなど、チームは分解寸前。そして最終戦はボリビアと1-1で引き分け、最下位でグループステージを終えた。

▽個の力、ドリブル突破によるカウンターに当時の日本は手も足も出なかった。パラグアイ戦の帰り道、地元ファンから「ジャパン ゼロ(0)、パラグアイ クワトロ(4)」と何度もからかわれた。初めてのコパ・アメリカで惨敗したことと、選手との求心力を失ったことで、トルシエ監督の解任論が噴出したものの、最後は岡野JFA会長がトルシエ監督の続投を決めたため、2002年の日韓W杯まで指揮を執ることになった。

▽以来、20年ぶりのコパ・アメリカだが、日本が参加するかどうかJFAの関係者はいまもって未定だと言う。というのも、アジアカップと違ってコパ・アメリカには選手を招集するにあたり強制権がない。海外組はオフのため招集は難しいし、Jリーグの各クラブもシーズン中のため選手を出すことに二の足を踏む可能性が高いからだ。

▽本来なら五輪代表の強化に最適だが、板倉(仙台)、立田(清水)、杉岡(湘南)、岩崎(京都)らは所属チームでレギュラーだ。アジア大会は1チーム1名という制約つきで招集したが、それでも参加を断ったクラブもある。だからといって大学選抜で臨んでは、相手にとって失礼だろう。

▽日本以外の招待国はW杯開催を控えるカタールで、W杯をアピールする絶好の機会だけにベストメンバーを送り込んで来るだろう。南米連盟が日本を招待するメリットは、放映権料や場内の看板、大勢の報道陣やファン・サポーターなどがもたらすジャパンマネーだが、中途半端なチームではそれも期待できない。

▽ここは残念だが、11年同様に参加を見送った方が賢明な判断と言えるのではないだろうか。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

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記録更新なるか。かつてない激戦の残留争い/六川亨の日本サッカーの歩み

▽J1リーグも10月7日で第29節を終了。代表ウィークのため2週間ほど中断されるが、今シーズンも残り5試合(札幌とC大阪、湘南、磐田は残り6試合。名古屋は7試合)となった。首位の川崎F対鹿島戦は0-0のドローだったが、2位の広島(勝点56)は柏に0-3と完敗。それでも両チームの勝点差は1しかない。数字上は8位のC大阪まで優勝の可能性を残しているものの、3位の鹿島(勝点46)と川崎F(勝点57)は11勝点差もあるだけに、優勝争いはほぼ2チームに絞られたと言っていいだろう。 ▽一方、下位に目を向けると勝点30で17位の鳥栖はフィッカデンティ監督の解任が決定的と見られているが、近年まれに見る大混戦となっている。現時点で自動降格圏を脱出しているのは4位のFC東京(勝点46)まで。オリジナル10でJ2に降格したことがない横浜FM(勝点38)も、まだ安全圏にいるとは限らない。 ▽J1リーグが現行の18チームになったのは2005年のこと。以来、最下位で降格したJ1チームの最多勝点は09年のジェフ千葉で、勝点は27だった(それに続くのが17年の大宮の25)。ところが今シーズンは、5試合を残してすでに最下位の長崎が勝点27とタイ記録に並んでいる。長崎が残り5試合で1勝でもすれば勝点は30台に乗り、すべてのチームが年間の勝点で30以上という、かつてないハイレベルな残留争いになる。 ▽こうした大混戦の原因は、他ならぬ長崎にあるだろう。これまでの降格パターンで多かったのが、J2昇格組が“1弱"ないしは“2弱"という状況から1シーズンでJ2に舞い戻ることだった。06年の京都(勝点22)、07年の横浜FC(同16)、08年の札幌(同18)、10年の京都(16)と湘南(19)、11年の山形(21)、13年の大分(14)、14年の徳島(14)がこのパターンだ。京都以外はどのクラブも親会社のないチームで、財政的に厳しい状況のため、J1に昇格しても大型補強ができずJ2降格の憂き目に遭っている。 ▽しかし長崎は初のJ1にもかかわらず清水、G大阪、柏、磐田、FC東京、仙台を倒し、名古屋からは2勝をあげているのは立派。残り5試合は磐田、鳥栖、横浜FM、G大阪、清水と前半戦で勝利をあげている“相性の良い相手"かもしれない。 ▽いずれにせよ、J1残留争いは最終節までもつれ込むことになるのではないだろうか。名古屋は消化試合が2試合少ないため、11月は3日と6日が中2日の連戦となるのがどう影響するのか。柏と湘南はルヴァン杯でベスト4に勝ち残っていて、準決勝で激突するためどちらか1チームは決勝戦に進出する。タイトルか残留かで両チームの指揮官も頭を痛めていることだろう。 ▽最後に08年は勝点37の東京Vが17位でJ2に降格した。10年はFC東京が36点の16位、12年は38点で17位のG大阪と、39点で16位の神戸がJ2行きを余儀なくされた。今シーズンはJ2降格の最多勝点記録を更新するのかどうかも見物だ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.10.09 17:30 Tue
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神戸とイニエスタの前途に期待すること/六川亨の日本サッカーの歩み

▽週末はJリーグの取材がルーティンとなっている。先週末の日曜は浦和対神戸の試合を取材した。往路、高速で事故渋滞に巻き込まれたため、埼玉スタジアムに着いたのは試合開始1時間を過ぎていたが、到着そうそう知り合いの記者から「イニエスタはベンチにも入っていないので、帰った記者もいますよ」と教えられた。さすがに帰りはしなかったものの、今シーズン最多となる5万5689人のファン・サポーターもがっかりしたことだろう。 ▽そして、それ以上にがっかりしたのが試合内容だった。8位神戸対9位浦和の試合だから仕方ないのかもしれないが、両チームともただパスを回すだけで、シュートまで持ち込むことができない。「今シーズン見た中で最低の試合内容だな」とつぶやくと、隣に座っていたサッカー専門誌の編集長も「そうですね」と同意してくれた。 ▽浦和はペトロヴィッチ監督が去り、柏木ら主力も高齢化したため、19歳の橋岡をスタメンで起用するなど若返りを図りつつ、オリヴェイラ監督の下カウンタースタイルへとモデルチェンジ中だ。それがハマったのが興梠の2点目であり、武藤の3点目だった。 ▽柏木のタテパス1本から興梠が抜け出し、GKの鼻先でコースを変えるシュートは興梠らしいゴールだった。そして武藤は、自陣ペナルティーエリア内で武藤を抜こうとした高橋からボールを奪うと、至近距離ながらGKの頭上を抜く鮮やかなループシュートを決めた。 ▽問題は神戸である。ボールポゼッションで浦和を上回ったが、それは浦和がブロックを作って守備を固め、カウンター狙いだったからに過ぎない。自分たちで「ボールを握った」のではなく、「持たされていた」に過ぎない。にもかかわらず、アバウトなパスミスでボールを失うなど、パスをつないでいても「どう崩すのか」という攻撃の意図がまるで見えない。 ▽イニエスタがいないため仕方がないのかもしれない。そのため前線に長沢とウェリントンという長身のストロングヘッダーを起用したのだから、シンプルにクロスを上げてもいいのだが、その精度が低い。ポドルスキは彼らの高さを生かすクロスを入れていたが、彼1人ではどうしようもない実力差を感じた試合だった。 ▽この試合を、就労ビザの関係でスタンドから三木谷オーナーと見守ったリージョ新監督も、自身の前途が多難だと思ったのではないだろうか。神戸がバルサ化を目指すのは理解できる。そのためのイニエスタでありリージョ監督であり、ピケの獲得も狙っていると噂されている。しかし数人のOBでバルサ化できるほどサッカーは簡単ではない。 ▽バルサがバルサなのは、メッシを始めほとんどの選手が各国の代表でもトップクラスというクオリティーの高さにある。翻って神戸の日本人選手に代表クラスは皆無である。正直、「このメンバーでよく8位にいるな」というのが久しぶりに神戸の試合を見て抱いた印象だった。 ▽ロシアW杯など短期決戦の大会では、ボールを保持するポゼッションサッカーよりもカウンターかセットプレーの方がゴールの確率は高まる傾向にある。しかし欧州の各国リーグではバルサやレアル、マンチェスター・C、バイエルンのようにポゼッションサッカーで相手を凌駕しているという事実もある。 ▽今後、神戸がどういうサッカーを選択するのか。イニエスタというビッグネームを獲得した効果は5万人を越える観客を動員したことでも証明された。本来ならダゾーンから優勝資金を得た川崎Fや、首都圏の浦和、FC東京、G大阪といった大企業がバックにあるクラブがビッグネームを獲得してリーグを活性化するべきだろう。 ▽かつてC大阪はフォルランというビッグネームを獲得しながら結果が伴わずに降格した例もある。神戸の、三木谷オーナーのチャレンジが成功することが、Jリーグの活性化につながることを期待しているのは私だけではないだろう。なんだかんだと言っても、目の離せないイニエスタであり神戸でもある。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.09.25 18:00 Tue
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安室さんの引退で思い出す98フランスW杯【六川亨の日本サッカーの歩み】

▽安室奈美恵さんが9月16日のコンサートを最後に歌手活動から引退した。彼女の引退に、感慨深い思いを抱いているサッカーファンもいるのではないだろうか。 ▽遡ること20年前、98年のフランス大会で日本は初めてワールドカップの出場を果たした。当時は多くの旅行代理店がフランスW杯のツアーを企画。身近なところでは親族が新婚旅行にとツアーに申し込んだ。 ▽しかし日本戦のチケットは入手が困難で、親族の申し込んだツアーは中止になり、新婚旅行も取りやめに。あるツアーでは、現地入りしたものの全員分のチケットを確保できず、仕方なくじゃんけんでチケットを争うという、笑うに笑えない話もあった。 ▽こうして迎えた6月14日、トゥールーズでの初戦、日本対アルゼンチン戦でのことだった。試合前、大会公式ソングの「カップ・オブ・ライフ」がスペイン語でスタジアムに流れた。リッキーマーティンの公式ソングは英語で歌われたが、元々はスペイン語版を英訳したもの。それをあえてスペイン語版で流したのは、アルゼンチンのサポーターに向けてのメッセージだったのだろう。 ▽そして次に流れたのは、安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」だった。前年の97年のヒットソングだが、意表を突かれた選曲だった。この曲をスタジアムで聴き、涙したのはファン・サポーターだけではなかった。取材した記者、カメラマンも97年のW杯最終予選の苦しさを思い出しつつ、あたかも彼女が日本のW杯初出場を祝福してくれているようで、大いに涙腺が緩んだものだ。 ▽大会組織委員会の粋な計らいでもある。試合はバティストゥータの決勝点で0-1と敗れるなど、初めてのW杯は3戦全敗に終わった。あれから20年、フランスが再びW杯を制し、安室奈美恵さんは歌手活動から引退した。 ▽彼女の名曲を耳にするたびに、チケット騒動も含めて熱狂的だったフランスW杯を思い出す人も多いのではないだろうか。 ▽余談だが、16年リオ五輪のグループリーグ最終戦、日本対スウェーデン戦の前にはABBAの「ダンシング・クイーン」がスタジアムに流れた。ABBAはスウェーデンを代表する名バンドだ。そこで次は日本のどのミュージシャンの、どんな曲がかかるのか期待したが、試合前の音楽はABBAの1曲だけ。肩すかしを食らいがっかりしたのを覚えている。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.09.18 17:00 Tue
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繰り返される日本代表の世代交代【六川亨の日本サッカーの歩み】

▽9月10日、キリンチャレンジカップに臨む日本代表の森保一監督が、コスタリカ代表戦を控えて公式会見を行った。森保監督はコスタリカ戦について、「韓国代表戦(7日)から監督が代わり、システムも変わったので柔軟に対応したい。臨機応変に対応したい」とアジア大会でも選手に求めた“対応力"を強調。その上で、「攻撃的にやりたいが、試合の流れもあり、守るときは守り、速い攻めができるときは速く攻める」とチームコンセプトを説明した。 ▽北海道地震でチリ代表戦が中止となり、練習も十分とは言えない。そうした状況での初陣だけに、チームとしてどこまで機能するか、さらに“個の力"にしても代表の経験が浅い選手が多いだけに、どこまで発揮できるのか未知数の部分が多い。 ▽今回招集された22人(杉本は右足の負傷で離脱)のうち、二桁出場は槙野智章(33)、遠藤航(12)、小林悠(13)、浅野拓磨(17)の4人だけ。初招集は佐々木翔、冨安健洋、天野純、守田英正、伊藤達哉、堂安律の6人。さらに過去GKトレーニングで招集されたシュミット・ダニエルは1試合も出場経験がない。 ▽これだけフレッシュなメンバーになったのは、今回は海外組の招集を見送ったからだ。さらに2020年東京五輪を見据えて呼ばれたメンバーもいる。このため来年1月にUAEで開催されるアジアカップの予備軍と言えるだろう。 ▽長らくキャプテンとして日本を牽引してきた長谷部誠を始め、本田圭佑、酒井高徳らが代表からの引退を表明したことで、若返りと世代交代も森保監督に課せられた大きなテーマである。ただ、こうしたケースは今回が初めてではない。 ▽1997年のこと、ソウル五輪出場を逃した石井義信監督が退任し、横山謙三監督が就任した時も大幅な世代交代が行われた。それまで森ジャパンから石井ジャパンまで、長らくチームを牽引してきた加藤久、都並敏史、松木安太郎(読売クラブ)、松浦敏夫(日本鋼管)、原博実(三菱)らが代表のユニホームを脱いだ(都並はオフト・ジャパンで復帰)。 ▽彼らに代わって代表入りしたのが、DF井原正巳(筑波大)、信藤克義(マツダ)、望月聡(日本鋼管)、柱谷哲二(日産)、FW平川弘(日産)、浅岡朝泰(日本鋼管)、前田治(東海大)、菅野裕二(トヨタ)、草木克洋(ヤンマー)、だった。当時大学生だった井原と、国士舘大を卒業後、日産に入ったばかりの柱谷は、その後はオフト・ジャパン、ファルカン・ジャパン、加茂ジャパンでも主力として活躍し、井原は日本のW杯初出場に貢献した。 ▽横山ジャパンは、それまで4-3-3や4-4-2が主流だったチームに、当時としては斬新だったウイングバックを両サイドに置く3-5-2を採用した。しかし機能したとは言えず、90年イタリアW杯予選は1次リーグで敗退するなど好成績を残すことはできず、91年の日韓定期戦での敗戦により監督を退いた。 ▽彼に代わり日本の指揮を執ったのが初の外国人監督であるハンス・オフトだった。オフトは92年のアジアカップで初優勝を果たしたが、W杯アメリカ予選は最終のイラク戦でのドロー、俗に言う「ドーハの悲劇」でW杯出場を逃して監督を退任した。 ▽ドーハ組からはラモス瑠偉、都並敏史、武田修宏(V川崎)、中山雅史(磐田)らが代表から外れた。彼らの代わりに94年から指揮を執ったファルカン・ジャパンに呼ばれたのが、当時躍進著しい平塚の名塚善寛、岩本輝雄と台頭してきた若手の前園真聖(横浜F)、小倉隆史(名古屋)だったが、ケガなどもあり長く活躍することはできなかった。 ▽果たして今回招集されたメンバーでカタールにたどり着くのは誰なのか。その競争の第一歩となるのが明日のコスタリカ戦でもある。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.09.11 11:00 Tue
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【六川亨の日本サッカーの歩み】早川コンディショニングコーチの思い出

▽インドネシアで開催されているアジア大会で、UFA―21日本代表は準々決勝でサウジアラビアと対戦。岩崎(京都)の2ゴールによる活躍で2-1の勝利を収め、森保監督の目標だったベスト4のノルマをクリアした。準決勝は中1日の29日、UAE対北朝鮮の勝者と対戦する。また、なでしこジャパンも準々決勝で難敵・北朝鮮を2-1で下してベスト4に進出。今日28日、準決勝で韓国と対戦する。 ▽グループリーグ突破は想定内として、決勝トーナメント以降は苦戦が予想された森保ジャパン。しかし試合を重ねるごとに攻撃の形が明確になってきた。前線の前田(松本)、岩崎、旗手(順天堂大)とスピードを武器にする3人がロングパスやスルーパスに飛び出してサウジゴールを脅かした。その攻撃スタイルは、森保監督が広島を率いてリーグ優勝を果たしている時を彷彿させる。 ▽そしてベスト4に進出したことで、決勝戦か3位決定戦が9月1日にあるため、帰国は早くても9月2日となる。その日はJリーグの開催日で、翌3日にチリ戦とコスタリカ戦に臨む日本代表のメンバーが発表される予定だ。つまり、森保監督は、国内組はもちろん、海外組の選手も直近のコンディションを確認することなく選手の選考をしなければならない。 ▽果たしてどんなガイドラインで選手を選考したのか、当日のメンバー発表でのコメントに注目したい。 ▽さて、8月24日のこと、JFA(日本サッカー協会)は日本代表の手倉森コーチ、早川コンディショニングコーチ、浜野GKコーチとの契約満了を発表した。早川氏がアスレチックトレーナーとして日本代表と関わるようになったのは1999年のこと。以来、日本代表にはいつも同氏の姿があった。 ▽酷暑となる中東での試合では、体温を下げるために巨大なパリバケツに氷水を張り、ハーフタイムに選手はそこで身体を冷やしてから後半に臨むことにした。水温をどれくらいに保つか調整するため、前半の途中からロッカールームに引き上げたそうだ。 ▽アジア大会の男子マラソンで金メダルを取った井上は、ランニング中に水分補給はもちろんのこと、氷や保冷剤を使って体温の上昇を防いだことを新聞で読んだ。同じことをサッカー界は20年も前から実施していたのだ。その間、ハートレイモニターで心拍数を図ったり、GPSを装着して走行距離やスプリント回数のデータを取ったり、採尿と採血で疲労度をチェックしたりと、科学的・医学的なアプローチも進化した。 ▽そうしたデータがありながら、ザック・ジャパンやハリル・ジャパンの外国人フィジコはあまり活用していなかったと、JFA関係者からロシアW杯期間中に聞いた。データよりも自身の経験を優先したのかもしれない。その点、早川氏は選手とダイレクトにコミュニケーションを取れるため、西野監督にオフ日を提案するなど疲労回復に努めたのがベスト16進出の一因になったのかもしれない。 ▽そんな早川氏も、もう55歳。日本代表と五輪代表は森保監督のスタッフに譲り、9月2日から始まるUFA―19日本代表のメキシコ遠征に帯同する。日本代表の練習や試合で同氏の姿が見られないのは寂しいが、新たなステージで末永く活躍して欲しいと願わずにはいられない。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.08.28 13:45 Tue
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