【六川亨の日本サッカーの歩み】ロシアW杯総括2018.07.24 18:00 Tue

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▽ロシアW杯の決勝から10日あまり。次期日本代表の監督は森保氏の就任が濃厚だが、ロシアW杯における日本代表を総括した話は一切聞こえてこない。西野前監督が短期間にもかかわらずベスト16に進出したことで、これまであった「主力選手がヨーロッパで活躍しているのだから、監督もヨーロッパで実績のある外国人を起用すべき」といった意見はなし崩しに霧消したようだ。

▽そんなロシアW杯で、フランス対クロアチアの決勝戦は今大会を象徴するようなゴールが生まれた。まず前半18分、それまで守勢一方だったフランスは右FKからマンジュキッチのOGで先制する。それまで1本もシュートを放っていないフランスが先制したのはちょっとした驚きだった。

▽決勝戦が見応えのある好ゲームになったのは、3試合連続して延長戦を闘ったクロアチアが、守備を固めてカウンターを狙うのではなく攻撃的なサッカーを展開したからだ。前半28分の同点ゴールもFKからの流れで生まれた。

▽そしてフランスの勝ち越しゴールは今大会から採用されたVARによるPKからのもの。賛否両論のあるVARだが、PKの判定が下されるまで3分ほどの中断期間があったのは正直興ざめした。決勝戦に限らず、オフサイドの判定もラインズマンが旗をあげるタイミングが遅いのもVAR導入の影響だったが、今後も改善の余地は多々あるように感じた。

▽そのフランスの追加点は攻勢に出たクロアチアの隙をついたカウンターからだった。近年のW杯はボールを奪ってから15秒以内のカウンターとセットプレーからゴールが生まれる傾向があると指摘されてきたが、ロシアW杯はさらにセットプレーからのゴール、とりわけヘディングによるゴールが増えた印象が強い(特にイングランド)。

▽各国とも代表はームは強化する時間は限られている。そこで短期決戦を乗り切るには「個の力」によるカウンターとセットプレーがカギになることを示したのがロシアW杯だった。フランスのムバッペ、イングランドのスターリング、そしてベルギーのE・アザールやデ・ブライネらベスト4に進出したチームにはいずれも俊足のアタッカーを擁していた。

▽そうした中で大会MVPを獲得したクロアチアのモドリッチは、「クラシカルなセントラルMF」だけに、貴重な存在でもある。彼をMVPに選出したFIFA(国際サッカー連盟)のテクニカルスタッフも、モドリッチのファンタジーあふれるプレーに、ヨハン・クライフらかつての名選手に通じるノスタルジーを感じたのかもしれない。

▽翻って日本である。失点は大会前のテストマッチからカウンターとセットプレーが多いと指摘されてきた。それが本大会でも続いたわけだが、それは日本に限ったことではないことがW杯でも証明された。こちらに関しては、技術委員会がどのようなレポートを作成するのか注目したい。

▽最後に、ロシアW杯の期間中は多くのロシア人から「日本のファンになった」と声を掛けられた。夜行の寝台車で同席したポーランドのサポーターからも「日本はいいチームだ」と言われた。知人の記者はカザフスタンのファンから「ずっと日本を応援していた。なぜならアジアの代表だから」と言われたそうだ(カザフスタンはヨーロッパに所属しているにもかかわらず)。

▽こんなことは、ベスト16に進出した02年日韓W杯や10年南アW杯でも言われた記憶がない。それだけコロンビア戦の勝利、ポーランド戦の時間稼ぎ、そしてベルギー戦の奮闘が多くの人々の印象に残ったからだろう。

▽ただ、冷静に振り返ってみれば、西野監督はグループステージを1勝1分け1敗で通過した。トルシエ・ジャパンは2勝1分け、岡田ジャパンは2勝1敗でベスト16に進んでいる。数字的にはギリギリのグループステージ突破だったが。ポーランド戦以外はゴールを目指した攻撃的なサッカーが他国のファンを魅了したのだろう。

▽記録としてはたいしたことはないものの、記憶に残る闘いを演じたのがロシアW杯の日本代表と言える。

▽6月上旬に日本のベースキャンプ地であるカザン入りしてから6週間を現地で過ごした。カザンでは「ワールドカップ」と言っても話は通じず、現地の人々からは「チャンピオンシップね」と訂正された。それだけ認識のズレがあったのだろう。

▽しかし大会が進むにつれて「ワールドカップ」は浸透し、ヴォルゴグラードで知り合った女性記者は「ワールドカップって、スタジアムに人々が集うだけじゃないのね。街の中心街にある広場やレストラン、夜にはバーにも世界各地から来た人々でいっぱい。こんなことは今までのロシアにはなかったことだわ」と興奮気味に話していた。

▽南ア、ブラジル、ロシアと3大会連続して広大な大陸を取材したが、いつも勝者は開催国かもしれない。新たなマーケットの開発と獲得というFIFAの深謀遠慮を改めて感じたW杯。そして次は初めて中東・カタールでの開催だ。大会期間中の7月11日からカタールは、大会PRのためのブースをモスクワ川に面したゴーリキーパークに設置した。さらに市内中心部の、赤の広場に面した高級デパート「グム」や繁華街でもPRイベントを実施した。

▽こちらも関係者を取材したので、別の機会に紹介したい。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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キックオフカンファレンスでの出来事/六川亨の日本サッカーの歩み

Jリーグのシーズン到来を告げる「2019Jリーグキックオフカンファレンス」が2月14日、都内の貸しホールでJ1全18チームの監督と選手を招いて開催された。例年だとJ1に加えJ2とJ3(FC東京U-23とG大阪U-23、C大阪U-23を除く)の全チームを招いて行われてきたが、今年は試験的にJ1チームだけにした。 その理由をJリーグ関係者に聞いたところ、「J2とJ3のチームは全国各地に散らばっているが、それらのチームのブースを訪れて取材している新聞、テレビなどはいずれも地元のメディアです。取材する方もされる方も地元同士。それなら、『わざわざ交通費とホテル代をかけて上京する必要はないのではないか』という意見が出たからです」と教えてくれた。 それはそれで正しい意見だが、チーム数が減った割に18チームを取材するエリアは狭すぎて、すれ違うのも容易ではなかった点は改善を期待したい。 カンファレンスそのものは、最初に22日のフライデーナイトで対戦するC大阪の都倉と神戸のイニエスタが登場し、その後も開幕戦で対戦するチーム同士の選手が次々と登場と「選手ファースト」だったのは良かった。最後に登壇した村井チェアマンが今年の開幕宣言をして第1部は終了した。 えてしてこうしたイベントでは、最初にエライ人が出てきてスポンサーへの感謝を述べたり、長々と挨拶したりと、しきたりを重要視しがちなもの。しかし戦うのは選手であるため、彼らが全面に出てくるのは良かったし、選手への質問も1~2問にとどめたのは、槙野(浦和)は別にして口べたな選手もいるかもしれないので、答える方も気楽だったのではないだろうか。 2部のクラブプレゼンテーション(クラブブースでの自由取材)では、神戸のイニエスタと鳥栖のフェルナンド・トーレスは別格扱いで、2人だけはテレビの共同インタビューを受け、クラブブースでの取材はなかった。たぶん実施すれば、ただでさえ狭いクラブブースが大混乱に陥った可能性がある。これはこれで主催者側の好判断と言っていい。 今年のキックオフカンファレンスでもう1つ目についたのが、UAEで開催されたアジアカップでの健闘が光ったタイ人選手の登場だ。札幌のチャナティップは昨シーズンのベストイレブンにも選出された実績を持つが、アジアカップのグループステージのバーレーン戦では決勝点を決めて初勝利に貢献した。 神戸から横浜FMに移籍したティーラトンに加え、今シーズンからは大分初の東南アジアの選手となるティティパンは、アジアカップのグループステージのUAE戦で1-1の同点ゴールを決め、チームのベスト16進出に貢献した選手だ。その3人が、2部のクラブプレゼンテーションも終盤に差し掛かり、取材陣もまばらになると記者の求めに応じて3人で肩を組み、笑顔で撮影に応じる姿をみるのはなんとも微笑ましい光景だった。 彼ら3人に共通していたのは、1部で司会者からショートインタビューを受けたあとに、退場する際はマイクを両手ではさむように手を合わせてお辞儀をしていたこと。信心深いタイ人らしいなと感じたし、彼らの活躍によってタイでもJリーグへの注目度が高まり、さらに新たな選手が来るかもしれないということ。 Jリーグのアジア戦略は、徐々にではあるが、確実に実を結びつつあるのかもしれない。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.02.16 08:30 Sat
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Jの外国人枠拡大/六川亨の日本サッカーの歩み

アジアカップの取材から帰国したのが2月4日、そして6日からはJリーグの取材のため沖縄に滞在している。昨日はG大阪対FC東京の練習試合を取材した。試合は45分×3本で、両チームとも選手を積極的に代えながら、2月23日に向けた開幕へチーム作りの試行錯誤を繰り返していた。 試合は最初の45分×2本が両チームとも主力組をベースにしたチーム編成で、結果は4-2でFC東京が勝利を収め、3本目はサブ組主体で1-1の引き分けに終わった。 今シーズンからJ1リーグは外国籍選手の登録枠と出場枠を『3』から『5』に拡大した。このためG大阪はスタメンにDFキム・ヨングォンとオ・ジェソク、FWにファン・ウィジョとアデミウソン(ブラジル)の4選手を起用した。このうち韓国人選手の1人はアジア枠として外国籍選手として扱わないため、最大で登録枠と出場枠はさらにもう2枠増やすことができる。 一方、FC東京がスタメンで起用した外国籍選手はディエゴオリヴェイラ(ブラジル)1人だけだったが、途中からチャン・ヒョンスと新加入選手のイ・サンホを起用。さらに3本目では新加入のナッタウット・スタム、アルトゥール・シルヴァ(ブラジル)、ユ・インスの3人を起用した。トータルで6人の外国籍選手となるが、ナッタウット(タイ)はJリーグ提携国枠の選手として、韓国人選手の1人(例えばチャン・ヒョンス)はアジア枠のため、こちらも2枠の追加が可能だ。 こうした例はG大阪やFC東京に限った話ではなく、外国籍選手の出場枠拡大をどのチームも積極的に活用することだろう。彼ら外国籍選手の起用方法も今シーズンは監督の『腕の見せどころ』となってくるかもしれない。 そんな外国籍選手の活用にアジア枠と提携国枠を積極的に活用せず、純粋に戦力を補強したのが神戸だ。アジア枠はGKのキム・スンギュだけ。残りの4選手、ダビド・ビジャとアンドレス・イニエスタはスペイン、ウエスクレイとウェリントンはブラジル、そしてルーカス・ポドルスキはドイツといった具合に実力と実績を兼ね備えた補強を敢行した。 できれば神戸には、“先行投資”に見合う“結果”を残して欲しいと思っている。神戸が成功を収めれば、投資に“二の足”を踏んでいるチームも考え方を改めるかもしれないからだ。くれぐれもC大阪の二の舞にはならないことを祈るばかりでもある。 さてJリーグがこれまで外国人枠を3人に制限してきたのは、自国選手の育成が目的だった。しかし、J1リーグで活躍した韓国人選手やブラジル人選手は潤沢なオイルマネーやチャイナマネーから中東と中国へ移籍し、日本人選手の若手有望株もここ1~2年でその多くがヨーロッパへ移籍した。必然的にJリーグ全体のレベルは下がる。 実際、FC東京に加入したイ・サンホは、「自分はイングランドのクラブに行きたいので、そのステップアップのために日本に来た」と公言してはばからない。それはいま現在も活躍中の、多くの韓国人選手の気持ちを代弁しているのだろう。 ヨーロッパの主要リーグもEU枠の選手は外国人扱いしないことでグローバル化し、互いに刺激し合ってレベルアップにつながった。Jリーグも同じ道をたどることができるのか。短期間で成果が出るとは思えないので、ここは中長期的に日本のレベルアップに期待するとしよう。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.02.07 19:30 Thu
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森保ジャパンのチーム作りの基本コンセプト/六川亨の日本サッカーの歩み

アジアカップも残すは日本対カタールの決勝戦を残すのみとなった。1月31日に決戦の舞台となるザイード・スポーツシティ・スタジアムで行われた前日会見には森保一監督とキャプテンの吉田麻也が出席し、日本はもちろん現地UAEや対戦相手であるカタールの記者からの質問を受けた。 ここまで森保ジャパンは6試合を戦い、準決勝のイラン戦こそ3-0で快勝したが、それ以外は1点差という僅差の試合を粘り強く戦い勝利に結びつけてきた。 試合前と試合後の森保監督は、記者から質問が出ないせいもあるが、選手交代の理由をはじめ、選手個々について言及することは一度もなかった。オマーン戦後にホテル中庭で行った日本人プレスとの囲み会見でも、長友佑都や大迫勇也ら経験値の高い選手が若手選手に対し、「もっと自分を出せ」といったニュアンスのアドバイスについても、次のように答えた。 「選手それぞれでキャラクターは違いますし、その選手がどういう形で力を発揮するのか、選手個々で違うと思うで。ただ、ガムシャラにやっているのは皮膚感覚でわかりますし、キャリアを重ねた先輩たちのアドバイスに刺激しあっていると思います」と若手選手に無理強いすることはしなかった。 そんな森保監督が試合前後の会見で繰り返したのが、「しっかりと準備をする」、「最善のトライ」、「全力を尽くす」といった言葉だった。森保サッカーの“キーワード”と言えるかもしれないが、これだけでは抽象的なためイメージもわきにくい。 ところがカタール戦に向けて日本の強みを聞かれたところ、その答えに森保サッカーのエッセンスがあったので紹介しよう。質問は、カタールがアルサッドの選手を中心に国内組が主力で、監督にも継続性がある。そんなチームに対して日本のアドバンテージを森保監督は簡潔に説明した。 「選手はボールを握って攻めること(=遅攻)、速く攻めること(=カウンター)、守備ではプレッシャーをかけて守ること(=前線からの守備)、ガマンするところはガマンして(=リトリートして守備ブロックを作る)流れを持ってくることを学びながら、ここまで来ることができました。明日の試合も選手は対応力と修正力を持って、集中を切らさずやってくれると思う」 これが森保サッカーの目指すスタイルであり、だからこそ選手個々のプレーのディテールを指摘しても意味のないことがわかり、これまでのコメントが抽象的だった理由がストンと腑に落ちた。 と同時に、これは凄いことだとも思った。「対応力」や「修正力」は個人の判断によるところが大きいし、チームとしても必要になる。しかし実践するには時間がかかるだろう。クラブチームならいざ知らず、集散を繰り返す代表チームでそれが可能なのかどうか。それは歴代の代表監督が頭を悩ませてきた難問でもある。 それを森保監督は1ヶ月という限られた期間ながら、確実に遂行して結果を残してきた。明日の決勝の結果はどちらに転んでも、森保監督のチーム作りは着々と進み、冨安健洋や堂安律ら若手選手は貴重な経験を積んだことは間違いない。 3月のキリンチャレンジ杯で森保監督はどんな選手を招集するのか。いまから楽しみな森保ジャパンでもある。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.31 22:50 Thu
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サウジの変貌とアジアカップの醍醐味/六川亨の日本サッカーの歩み

1月21日のアジアカップ2019の決勝トーナメント1回戦で、日本はサウジアラビアを冨安健洋のゴールで1-0と下してベスト8に進出した。2大会連続とはいえ、前回までは参加チームが16か国だったため、グループステージを突破すればベスト8だったが、今回は8チーム増の24か国のためラウンド16が加わった。 W杯もそうだが、グループステージを突破しても、ベスト8進出のためのラウンド16を無事に突破できるかどうか。組み合わせにもよるが、多くのチームにとってラウンド16は鬼門でもある。 今大会でもグループA1位のヨルダンがグループD3位のベトナムにPK戦で敗れたほか、ウズベキスタンは同じくPK戦でオーストラリアに敗退。ベスト8に勝ち進んだものの中国はタイ2-1、地元UAEはキルギスに3-2と苦戦を強いられた。そうしたなかで、日本は先制点をきっちり守って最少得点差ながら、サウジにほとんど決定機を作らせず1-0のまま試合を締めた。 イタリア人は1-0の試合を「最も美しい」と言う。サッカーはミスのスポーツだが、無失点で勝つということは、ミスがなかったからに他ならないからだ。実際、試合を見ていても、押されてはいたがサウジのシュートミスにも助けられ、GK権田修一を脅かす場面はほとんどなかった。 日本に敗れたサウジにしても、もしもベスト8に勝ち残っていれば優勝候補の一角に数えられただろう。それだけ彼らのボールポジションの能力の高さには驚かされた。なぜなら伝統的に堅守からのカウンターがサウジの“お家芸”であり“伝統”だったからだ。 初めてサウジの試合を現場で取材したのは1984年のロス五輪アジア最終予選だった。シンガポールでセントラル開催された大会で、サウジは日本とグループは違ったものの、圧倒的な強さでロス五輪行きを決めた。 当時からサウジはスピード豊かな強力2トップを擁し、2~3人でゴールを陥れてしまう。敏捷性に優れ、しなやかな肉体を持つ黒人選手を称え、地元紙のシンガポール・ストレートタイムスは「アラビアンナイト」とか「ブラックダイナマイト」と形容したものだ。 残念ながらロス五輪では3戦全敗で終わったものの、10年後のアメリカW杯ではFWオワイランを擁し、グループリーグのベルギー戦ではオワイランが4人抜きのゴールを決めてベスト16に進出。いまでもサウジのW杯における最高成績だ。 そんなサウジが短期間でカウンタースタイルからボールを保持してパスをつなぐサッカーで日本を圧倒したのだから、驚いたのも当然だろう。ただ、日本を終始押し込む試合展開のため、逆に得意とするカウンターを仕掛けるシーンは皆無に近かった。なぜなら長友佑都が「スピードモンスター」と形容した1トップのアル・ムワラッドが、スピードを生かすためのオープンスペースがほとんどなかったからだ。自らスペースを消してしまったとも言える。 もしかしたら森保監督は、それを見越してあえて自陣に引いて「サウジにボールを持たせた」のなら、かなりの策士である。そしてそれを忠実に遂行して1-0の勝利を収めたのであれば、選手も“したたかな戦い”ができるまで成長したと言える。 サウジ戦では長友、遠藤航、柴崎岳、武藤嘉紀、酒井宏樹、吉田麻也のW杯戦士6人が出場した。彼らがロシアで経験した“駆け引き”がサウジ戦では生きたのかもしれない。サブ組ながらウズベキスタン戦で同点ゴールを決めた武藤は、試合前日に「ワールドカップは3戦目(ポーランド戦)で戦い、負けてしまったら非難された。もうこういう思いはしたくないという思いがありました」と、負けていながら時間稼ぎをした屈辱をいまも忘れていない。 そしてサウジ戦では「4年前の経験があるので、先を見据えず、サウジ戦がすべてです。チーム全員で勝ちに行きたい」と決意を語り、その言葉通りチーム全員で勝利をつかんだ。 次の試合は24日の準々決勝ベトナム戦である。ベトナムは中3日、日本は中2日とインターバルの違いはあるが、両国の過去の対戦成績からすれば日本の優位は動かないだろう。ウズベキスタン戦で採用したターンオーバーの経験がベトナム戦では生きるかもしれない。 ただ、油断や慢心は禁物だ。今大会はグループステージから“ジャイアントキリング”が起こっている。ベトナムもその主役の一人でもある。昨日は優勝候補の韓国がバーレーンを相手に先制点を奪いながら、後半にロングシュートの流れから同点弾を許して延長戦に突入した。何とか延長前半のアディショナルタイムに元新潟DFのキム・ジンスが決勝点を奪って粘るバーレーンを突き放したが、どのゲームも“紙一重”の接戦という決勝トーナメント1回戦だった。 大会は終盤にさしかかり、アジアカップはここからが本番と言ってもいいだろう。予断を許されない戦いが続くが、これもアジアカップの醍醐味と言える。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.23 12:35 Wed
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アジア杯でモルテンが公式試合球に/六川亨の日本サッカーの歩み

みなさん、明けましておめでとうございます! 本年もよろしくお願いいたします。 といったところで、高校選手権はベスト4が決定し、優勝候補の青森山田と流経大柏が接戦を制して勝ち上がった。この2校に尚志と瀬戸内がどんな戦いを挑むのか楽しみだが、残年ながらUAEで開催中のアジアカップ取材のため試合を観戦することはできない。 そのアジアカップだが、5日に開幕戦が行われ、地元UAEはバーレーンと1-1で引き分けた。W杯もそうだが、国際大会の初戦で敗退するとグループリーグ突破はいきなりピンチを迎える。このため両チームとも失点のリスクを恐れて腰の引けたような試合の入り方だったのは致し方ないだろう。翌日には優勝候補の一角であるオーストラリアがヨルダンに0-1で敗れたように、簡単に勝てないのがアジアカップでもある。 そんな今回のアジアカップでは、大会を始め2019年はAFCカップや男女年代別国代表の大会、フットサルイベントなどの大会で、日本のボールメーカー大手モルテンのサッカーボールが公式試合球として使用されることになった。AFCが主催する大会にモルテンが試合球を提供するのは初の試みでもある。 日本代表は昨年末の練習初日から、今大会の公式球であるモルテンのサッカーボールを使い、その感触を確認していた。GK東口によると「使っているのと違うので、早く慣れないといけない。結構、表面が硬い。アディダスは芯を食いやすいけど、ちょっと薄いかな」と感想を漏らしていた。 現在、日本で発売されているアディダスブランドのサッカーボールの多くは、モルテンからOEM供給がなされている。アディダスブランドの名の下でモルテンのサッカーボールは世界中のプレーヤーに認められた製品となっているのが現状だが、それでもボールの品質には微妙な違いがあるのかもしれない。 モルテン社の躍進については別の機会に紹介するとして、今回は日本代表とサッカーボールにまつわるトリビアを紹介しよう。 1984年のロス五輪最終予選前まで、日本代表は国産メーカーのヤスダ(昨年、クラウドファンディングでスパイクが復活)やミカサのサッカーボールを練習で使用していた。しかし五輪やW杯予選では、82年スペインW杯のために開発されたアディダス社の「タンゴ」が公式試合球だった。 このため当時の代表監督だった森孝慈(故人)はJFA(日本サッカー協会)に掛け合い、練習から「タンゴ」の使用を訴えて実現させた。いまから思えば当たり前のことだが、当時はそんなことすら思いつかないほど、日本と世界の距離は遠かった。 同様に、当時の代表ユニホームにとスパイクは、アディダス、プーマ、アシックスの3社が交代でオフィシャルサプライヤーを務めていた。日本代表がアディダスなら、学生選抜とユニバーシアード代表はプーマ、ユース代表はアシックスで、翌年は順番が入れ替わるといった具合だ。 余談だが、この循環はナイキの台頭により1999年にアディダスが日本代表と包括契約を結ぶことで終結する。ナイキのオファーに対し、プーマとアシックスの両社はナイキを上回るオファーを出せず、アディダスだけが近い金額を提示できたからだった。 話を森ジャパンに戻すと、当時の代表選手だった木村和司や金田喜稔らは、個人的な契約があったかどうか不明だが、アディダスのコパ・ムンディアルというスパイクを愛用していた。しかし日本代表との契約でアディダス社のスパイクを履くことができない年もあった。そんな時に彼らはスアディダスのパイクのラインを黒く塗っていた。 そこで森監督はサッカーボールと同様に、「選手が能力を発揮しやすいスパイクを履けるようにして欲しい」とJFAに提案し、当時の長沼専務理事(故人)も理解を示した。それ以降、サッカーボールは国際基準のボールを練習から使用するようになり、選手は個人契約しているメーカーのスパイクを履けるようになった。 いずれも、いまでは当たり前のことだが、それが当たり前ではない時代もあったのが1980年代の日本サッカー界だった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.07 15:00 Mon
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