【六川亨の日本サッカー見聞録】サポと寝台列車で呉越同舟の楽しさ
2018.06.28 18:00 Thu
▽いよいよ、あと5時間後にロシアW杯のグループステージ最終戦、日本対ポーランド戦がキックオフを迎える。西野朗監督はセネガル戦から6人のスタメンを入れ替えるとの予想もあるが、果たしてどんな11人をピッチに送り込むのか興味は尽きない。
▽そんな試合のレビューは次の機会に譲るとして、面白い経験ができたので紹介したい。前回のブラジルW杯はグループステージであっけなく敗退した。日本のファン・サポーターはもちろん、対戦相手3か国のファン・サポーターにもこれといったインパクトを残せずブラジルを後にしたはずだ。
▽日本がベスト16に進んだのは02年の日韓W杯と10年の南アW杯の2回だけ。しかしこの時は、日本戦以外の試合も精力的に取材しており、同業者と電車を乗り継いだりレンタカーを駆ったりして国内移動の連続だったため、ファンやサポーターと触れ合う機会は皆無だった。
▽しかし今回は日本のキャンプ地取材をベースに、日本の3試合を追った。3試合とも少しでも安く移動しようと、寝台列車を利用することにした。サランクスへは18日の00時54分カザン発の列車で約9時間、朝の09時54分に到着した。
▽エカテリンブルグにはカザン発22日20時08分の寝台車で約14時間、到着は翌朝の10時22分(実際にはモスクワ時間と2時間の時差があるため、到着時のエカテリンブルグは12時22分)で、いずれも深夜の移動だったため、列車が走り出すと車内も暗い。このため寝るしかなかった。
▽そして6月26日のカザン発12時21分の列車でボルゴグラードに移動。今回は約24時間の長旅で、ボルゴグラード着は翌朝の11時48分だった。この2等列車、ロシア人や出稼ぎのアゼルバイジャン人といった普段の乗客に加え、日本とポーランドのサポーターが大挙して乗っていたことで、昼間から食堂車は大賑わいだった。
▽まず列車を待っていると、アゼルバイジャン人が寄ってきて、「ヤーパン(と聞こえた)、グッド」と親指を突き上げる。上下2段ベッドの4人の客室のルームメイトはポーランド人の若者2人。「日本はどこまで行くと思うか」と質問されても、答えに窮してしまった。まだ「優勝候補はどこだと思う」と聞かれた時の方が答えやすかった。「レバンドフスキは調子が良くなかったね」と慰めても、首を横に振るだけ。やはりグループステージ敗退はどの国の選手、サポーターにとっても心の痛む結果なのだろう。
▽食堂車では日本とポーランドのサポーターがビールで互いをたたえ合っている。陽気になったポーランドのサポーターは、もうヤケクソといった感じだ。
▽偶然にも同じ列車に旧知の同業者がファンとして観戦に来ていたので、夕食がてら食堂車に誘い、ビールを注文すると、中年のウエイトレスは「日本人はまだビールを飲むのか」と呆れられた。我々は初ビールだが、彼女にとって日本人の見分けはつかないのだろう。
▽日本がW杯に出場するようになって、ファンやサポーターと行動を共にしたのは今回の寝台車が初めてだったが、これはこれでなかなか楽しい経験だった。そしてつくづくと思う。やはりW杯は勝たなければ開催国にも対戦相手の国にも何の印象も残せないということだ。
▽そうした意味では、コロンビア戦で決勝点を決めた大迫勇也や、セネガル戦で同点弾を叩き込んだ本田圭佑は、日本でも大きくクローズアップされているのは当然として、世界的にも評価は高まる。W杯の出場国はたったの32か国に過ぎない。しかし彼らの活躍を、アジア予選で戦い日本に敗れたUAEやタイ、カンボジア、イラクのファン・サポーターはしっかりとその目に焼き付けているだろう。
▽同じことは世界の全地域にも当てはまる。W杯に出場した32か国の7倍以上の国がW杯をテレビで観戦しているからだ。
▽ただ、昨日の取材で植田直通が「まだ決まったわけではない」ということも確かなこと。FIFA(国際サッカー連盟)ランク7位のポーランドを倒してこそ世界に衝撃を与える日本でもある。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
▽そんな試合のレビューは次の機会に譲るとして、面白い経験ができたので紹介したい。前回のブラジルW杯はグループステージであっけなく敗退した。日本のファン・サポーターはもちろん、対戦相手3か国のファン・サポーターにもこれといったインパクトを残せずブラジルを後にしたはずだ。
▽しかし今回は日本のキャンプ地取材をベースに、日本の3試合を追った。3試合とも少しでも安く移動しようと、寝台列車を利用することにした。サランクスへは18日の00時54分カザン発の列車で約9時間、朝の09時54分に到着した。
▽エカテリンブルグにはカザン発22日20時08分の寝台車で約14時間、到着は翌朝の10時22分(実際にはモスクワ時間と2時間の時差があるため、到着時のエカテリンブルグは12時22分)で、いずれも深夜の移動だったため、列車が走り出すと車内も暗い。このため寝るしかなかった。
▽エカテリンブルグからカザンへは朝の列車で当日の21時37分に着いたが、車内はガラガラ。当日、カザンでは試合が行われなかったからだ。なぜカザンに戻ったかというと、長期滞在していたアパートを引き払い、スーツケースをピックアップするためだった。
▽そして6月26日のカザン発12時21分の列車でボルゴグラードに移動。今回は約24時間の長旅で、ボルゴグラード着は翌朝の11時48分だった。この2等列車、ロシア人や出稼ぎのアゼルバイジャン人といった普段の乗客に加え、日本とポーランドのサポーターが大挙して乗っていたことで、昼間から食堂車は大賑わいだった。
▽まず列車を待っていると、アゼルバイジャン人が寄ってきて、「ヤーパン(と聞こえた)、グッド」と親指を突き上げる。上下2段ベッドの4人の客室のルームメイトはポーランド人の若者2人。「日本はどこまで行くと思うか」と質問されても、答えに窮してしまった。まだ「優勝候補はどこだと思う」と聞かれた時の方が答えやすかった。「レバンドフスキは調子が良くなかったね」と慰めても、首を横に振るだけ。やはりグループステージ敗退はどの国の選手、サポーターにとっても心の痛む結果なのだろう。
▽食堂車では日本とポーランドのサポーターがビールで互いをたたえ合っている。陽気になったポーランドのサポーターは、もうヤケクソといった感じだ。
▽偶然にも同じ列車に旧知の同業者がファンとして観戦に来ていたので、夕食がてら食堂車に誘い、ビールを注文すると、中年のウエイトレスは「日本人はまだビールを飲むのか」と呆れられた。我々は初ビールだが、彼女にとって日本人の見分けはつかないのだろう。
▽日本がW杯に出場するようになって、ファンやサポーターと行動を共にしたのは今回の寝台車が初めてだったが、これはこれでなかなか楽しい経験だった。そしてつくづくと思う。やはりW杯は勝たなければ開催国にも対戦相手の国にも何の印象も残せないということだ。
▽そうした意味では、コロンビア戦で決勝点を決めた大迫勇也や、セネガル戦で同点弾を叩き込んだ本田圭佑は、日本でも大きくクローズアップされているのは当然として、世界的にも評価は高まる。W杯の出場国はたったの32か国に過ぎない。しかし彼らの活躍を、アジア予選で戦い日本に敗れたUAEやタイ、カンボジア、イラクのファン・サポーターはしっかりとその目に焼き付けているだろう。
▽同じことは世界の全地域にも当てはまる。W杯に出場した32か国の7倍以上の国がW杯をテレビで観戦しているからだ。
▽ただ、昨日の取材で植田直通が「まだ決まったわけではない」ということも確かなこと。FIFA(国際サッカー連盟)ランク7位のポーランドを倒してこそ世界に衝撃を与える日本でもある。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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