【六川亨の日本サッカー見聞録】西野監督ごめんなさい
2018.06.22 13:00 Fri
▽6月21日の日本代表は午後4時から練習をスタート。その前に遠征中のUFAー19日本代表も交えて、JFA(日本サッカー協会)名誉総裁の高円宮妃殿下が2分ほど選手にお話をされて、全員で記念撮影に臨まれた。田嶋幸三JFAのミスマッチ会長によると、皇族のロシア訪問は102年ぶりのことだそうだ。その後、妃殿下はルビン・カザンの執行役員と記念品の交換を行い、妃殿下はJFAのペナントを贈られた。
▽この日の練習はコロンビア戦に出た主力組とベンチ組に分かれて開始。これまで別メニューの多かった岡崎慎司がベンチ組に合流したものの、コロンビア戦で右太ももを傷めた本田圭佑が別メニューとなり、黙々とランニングしていた。西野朗監督によると、セネガル戦の出場は「厳しいかもしれない」と険しい表情で話していた。
▽さて、そのコロンビア戦、NHKの視聴率は48パーセントを超えたというから驚きだ。大会前の西野ジャパンの評価は必ずしも高いとは言えず、盛り上がりに欠けた。ファン・サポーターも多くを期待していなかっただろう。
▽それが高視聴率につながったのは、午後9時キックオフと視聴しやすい開始時間だったのと、早々に先制点を奪ったこと、そして期待してはいないものの、やはりW杯での日本が気になるファン・サポーターが多かったということの裏返しだったかもしれない。
▽そのコロンビア戦で、あるスポーツ紙のウェブ版を目にして、「やっぱりパクったか」と思うタイトルと内容の記事があった。
▽この記者とは40年近い親交があり、サッカー不遇の時代を過ごしただけに心情は理解できる。しかし、それだけに「パクるのは早いだろう」と思わずにはいられなかった。
▽話は32年前に遡る。86年メキシコW杯でのことだった。アルゼンチンのカルロス・ビラルド監督は、前任者で78年アルゼンチンW杯で母国を初優勝に導いたルイス・メノッティ監督とは対照的に、守備的なスタイルを導入した。チーム一丸となって守備を固め、攻撃はディエゴ・マラドーナ任せ。このため「戦術はマラドーナ」と揶揄された。
▽ダントツの優勝候補はジーコに加え4年前はケガで出場を逃したカレッカを擁するブラ日で、アルゼンチンはウルグアイと並んで2番手候補だった。しかしマラドーナの伝説となったゴールなどでアルゼンチンは2度目の優勝を果たす。
▽アステカ・スタジアムで行われた西ドイツ(当時)との決勝戦後、マラドーナを肩車してビクトリーランする選手にまじり、興奮したアルゼンチンのサポーターが乱入。その中の1人、アンチ・ビラルド派のサポーターが「ペルドン(ごめんなさい)、ビラルド、グラシアス(ありがとう)」の横断幕を肩から羽織っていたことが世界中に報道された。
▽件の記者はもちろんそのことを知っている。だからこそ、劣勢の予想されたコロンビア戦の勝利で32年前のエピソードを拝借したのだろう。しかし、ビラルド監督は世界1になった。対して西野監督は1勝したに過ぎず、まだグループリーグの突破も決めていない。
▽「だからこそパクるのは早いだろう」とロシアにいたら言いたいのだが、残念ながら彼は日本で昼夜逆転の仕事をしているため、今回の原稿で書かせてもらった次第である。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
▽この日の練習はコロンビア戦に出た主力組とベンチ組に分かれて開始。これまで別メニューの多かった岡崎慎司がベンチ組に合流したものの、コロンビア戦で右太ももを傷めた本田圭佑が別メニューとなり、黙々とランニングしていた。西野朗監督によると、セネガル戦の出場は「厳しいかもしれない」と険しい表情で話していた。
▽それが高視聴率につながったのは、午後9時キックオフと視聴しやすい開始時間だったのと、早々に先制点を奪ったこと、そして期待してはいないものの、やはりW杯での日本が気になるファン・サポーターが多かったということの裏返しだったかもしれない。
▽そのコロンビア戦で、あるスポーツ紙のウェブ版を目にして、「やっぱりパクったか」と思うタイトルと内容の記事があった。
▽タイトルは「西野さん、ごめんなさい」というもので、記事を書いた記者は「正直、勝てると思っていなかった。負けか、よくて引き分けか…。ポジティブな要素を探すのは難しかった。開始早々に相手が10人になっても、前回大会のギリシャ戦を思い出して勝てると思えなかった。根がネガティブなのか、負け癖なのか、コラムも「負け用」ばかりを考えていた」と素直に心情を吐露し、西野監督に謝罪した。
▽この記者とは40年近い親交があり、サッカー不遇の時代を過ごしただけに心情は理解できる。しかし、それだけに「パクるのは早いだろう」と思わずにはいられなかった。
▽話は32年前に遡る。86年メキシコW杯でのことだった。アルゼンチンのカルロス・ビラルド監督は、前任者で78年アルゼンチンW杯で母国を初優勝に導いたルイス・メノッティ監督とは対照的に、守備的なスタイルを導入した。チーム一丸となって守備を固め、攻撃はディエゴ・マラドーナ任せ。このため「戦術はマラドーナ」と揶揄された。
▽ダントツの優勝候補はジーコに加え4年前はケガで出場を逃したカレッカを擁するブラ日で、アルゼンチンはウルグアイと並んで2番手候補だった。しかしマラドーナの伝説となったゴールなどでアルゼンチンは2度目の優勝を果たす。
▽アステカ・スタジアムで行われた西ドイツ(当時)との決勝戦後、マラドーナを肩車してビクトリーランする選手にまじり、興奮したアルゼンチンのサポーターが乱入。その中の1人、アンチ・ビラルド派のサポーターが「ペルドン(ごめんなさい)、ビラルド、グラシアス(ありがとう)」の横断幕を肩から羽織っていたことが世界中に報道された。
▽件の記者はもちろんそのことを知っている。だからこそ、劣勢の予想されたコロンビア戦の勝利で32年前のエピソードを拝借したのだろう。しかし、ビラルド監督は世界1になった。対して西野監督は1勝したに過ぎず、まだグループリーグの突破も決めていない。
▽「だからこそパクるのは早いだろう」とロシアにいたら言いたいのだが、残念ながら彼は日本で昼夜逆転の仕事をしているため、今回の原稿で書かせてもらった次第である。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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