【六川亨の日本サッカーの歩み】代表練習で感じた変わらぬ本田の姿勢
2018.05.22 15:20 Tue
▽5月30日にキリンチャレンジカップでガーナと対戦する日本代表のキャンプが21日にスタート。この日はすでに帰国している海外組の岡崎慎司、本田圭佑、吉田麻也、香川真司、大迫勇也、酒井高徳、原口元気、宇佐美貴史、武藤嘉紀、浅野拓磨の10選手が1時間10分ほどの練習で汗を流した。
▽ただし、岡崎だけは終始別メニューで、ランニングやサイドステップ、バックステップ、ストレッチなどの軽めの練習。2月上旬に膝を、4月には足首を傷めて実戦から遠ざかっていたが、走り方にもぎこちなさを感じさせ、全力でプレーできる状態ではなかった。30日のガーナ戦に間に合うのかどうか疑問であり、6月19日のコロンビア戦までに万全の状態に回復すると判断できなければメンバー外となる可能性もあるかもしれない。
▽練習終了後は西野監督が囲み取材に応じ、本田について質問されると「非常にいいパフォーマンス。彼らしいスタイルで入ってきたかな」と高く評価していた。その本田、9分間のフリーランニング後、早川コンディショニングコーチから「テンポを上げて6分間」と指示が出て5分が経過し「そろそろダウン」と言われても、浅野と競うようにランニングのペースを上げて酒井高を追い抜くなどアグレッシブに練習に取り組んでいた。
▽ただし、練習終了後のミックスゾーンでは、他の選手が報道陣の取材に応じているのに、本田だけは「お疲れ様」と言って足早に通り過ぎた。この日のミックスゾーンの目玉は本田、岡崎、香川の“ビッグ3"だっただけに、報道陣は肩すかしを食らった格好だ。ただ、それも本田らしいと思った。
▽思い出されるのは8年前、南アW杯前にスイスのサースフェーで行われた事前合宿だ。当時のエースは中村俊輔だったが、持病の足首痛に悩まされ、早川コンディショニングコーチが付きっきりで1人別メニューの練習を続けていた。当時のシステムは4-4-2で右MFが中村俊の定位置だった。もしも中村俊が間に合わなければ、そのポジションは同じレフティーの本田が起用される可能性が高かった。
▽その時の本田は24歳で、まだチームの中心選手とは言えなかった。それでも当時の状況から本音を語ったことに、報道陣を無視した中田英寿との違いに感銘を受けたものだ(スポーツ紙は反発したが)。
▽たぶん中村俊のコンディションが良ければ、毎日の取材の取材に応じ、今日の練習の目的や自分の役割、チームメイトのエピソードなど日替わりで話題を提供しただろう。それだけリップサービスのできる余裕があった。
▽パーソナリティーの違いと言ってしまえばそれまでだが、本田は8年経ってもストイックな姿勢は変わらないことを再確認した21日の練習取材でもあった。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
▽ただし、岡崎だけは終始別メニューで、ランニングやサイドステップ、バックステップ、ストレッチなどの軽めの練習。2月上旬に膝を、4月には足首を傷めて実戦から遠ざかっていたが、走り方にもぎこちなさを感じさせ、全力でプレーできる状態ではなかった。30日のガーナ戦に間に合うのかどうか疑問であり、6月19日のコロンビア戦までに万全の状態に回復すると判断できなければメンバー外となる可能性もあるかもしれない。
▽ただし、練習終了後のミックスゾーンでは、他の選手が報道陣の取材に応じているのに、本田だけは「お疲れ様」と言って足早に通り過ぎた。この日のミックスゾーンの目玉は本田、岡崎、香川の“ビッグ3"だっただけに、報道陣は肩すかしを食らった格好だ。ただ、それも本田らしいと思った。
▽思い出されるのは8年前、南アW杯前にスイスのサースフェーで行われた事前合宿だ。当時のエースは中村俊輔だったが、持病の足首痛に悩まされ、早川コンディショニングコーチが付きっきりで1人別メニューの練習を続けていた。当時のシステムは4-4-2で右MFが中村俊の定位置だった。もしも中村俊が間に合わなければ、そのポジションは同じレフティーの本田が起用される可能性が高かった。
▽中村俊はなかなか取材できないため、必然的に練習後の報道陣は本田にコメントを求めた。当初は取材に応じていた本田だったが、ある日のこと、囲んだ報道陣に対して自分から口を開き、「毎日毎日、質問されても同じ練習をしているので答えようがない。これが試合後や試合前には違ったことを話せるかもしれない。なので、これからは自分から話すことがあったら話します」といった趣旨のコメントで報道陣の理解を求めた。
▽その時の本田は24歳で、まだチームの中心選手とは言えなかった。それでも当時の状況から本音を語ったことに、報道陣を無視した中田英寿との違いに感銘を受けたものだ(スポーツ紙は反発したが)。
▽たぶん中村俊のコンディションが良ければ、毎日の取材の取材に応じ、今日の練習の目的や自分の役割、チームメイトのエピソードなど日替わりで話題を提供しただろう。それだけリップサービスのできる余裕があった。
▽パーソナリティーの違いと言ってしまえばそれまでだが、本田は8年経ってもストイックな姿勢は変わらないことを再確認した21日の練習取材でもあった。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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