【六川亨の日本サッカー見聞録】会見で見せたハリルの余裕の理由とは2018.03.23 13:30 Fri

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▽ブリュッセル国際空港からIC(特急電車)を乗り継ぐこと3回。約1時間30分で試合会場のリエージュ・パレス駅に着いたのが21日午後4時30分のこと。駅から徒歩で予約したアパート探しに30分ほど費やしたが(グーグルマップに住所を入れても検索不可のため、番地を頼りに通りを1軒1軒探索)、無事にアパートにたどり着くことができた。

▽22日は試合会場であるスタッド・モーリス・デュフランで13時よりハリルホジッチ監督が公式会見を開いた。マリ代表のマガッスバ監督が「主力8人がケガをしている」と話したのに対し、ハリルホジッチ監督も「4~5人ほどケガで来られなかった。今いる選手で戦うしかないので、チャンスをつかんで欲しい」と期待しつつ、マリ戦については「これまで出ていない選手にトライしたい。特に後半はそうなるだろう」と多くの選手を起用することを示唆した。

▽今回の会見を取材していて、特に印象に残ったが、ハリルホジッチ監督に余裕を感じたことだった。ケガ人が多く、特に右SBは「航(遠藤)に宏樹(酒井)がケガで、高徳(酒井)も問題を抱えている(遠藤は別メニュー)。そういうこともあって何人かにトライしないといけない。ベストメンバーが揃っていない」と話しながらも、その口ぶりからはさほど深刻な問題ではないという印象を受けた。

▽これまでの指揮官は、ケガで望んだ選手を呼べない際の会見では、どちらかというと試合結果について事前に“エクスキューズ”している印象を与えがちだった。それがスポーツ紙の反感を招き、ハリルホジッチ監督は批判されることで両者の関係は険悪なものになった。ところが今回は、スポーツ紙の記者から会見後に批判的な私語を聞くことはなかった。

▽こうした両者の関係の変化は、おそらく3月の2試合で連敗しても、ハリルホジッチ監督はロシアW杯までの続投が決まったからではないだろうか。そのため指揮官には余裕ができ、スポーツ紙も批判しても意味がないためスタンスを変えたと推測できる。

▽監督である以上、結果について責任を負う必要がある。しかし、いつまでも目の前の試合結果に進退を問われてはチーム作りに支障があるのも確かだろう。どの時点で監督の進退を見極めるのか。アジア杯はW杯の翌年開催に変更されたため早すぎる。個人的にはロシアW杯の出場権を獲得した時点で、ハリルホジッチ監督の続投を90パーセントくらい決めてもよかったのではないかと思っている。

▽続投が決まったせいなのか、ハリルホジッチ監督は「5月(30日のガーナ戦)までに、いろいろな情報を持っておきたい」と、3月の2試合でW杯メンバーを絞り込まない方針も明らかにした。

▽1998年のフランス大会と2002年の日韓大会では最終メンバー発表の際に2名のサッカープラズがあった(98年は三浦カズと北澤、02年は中山と秋田)。しかし、それ以後はほぼW杯メンバーは予測できた(例外は前回ブラジル大会の大久保くらい)。5月までメンバーを絞らないハリル流が、選手のモチベーションにどのような影響を及ぼすのか。

▽ちなみに22日のミックスゾーンでキャプテンの長谷部は、ハリル流のメンバー選考について、「今まで(のW杯)はチーム作りが見えていたけど、今はまだまだ。本大会のメンバー(選考)は5月のキャンプに入ってからだと思う」と予測しつつ、「実際にやったことはないけど、ヨーロッパのクラブでは30人くらい呼んでいるので、『まだわからない』という選手もいる。ヨーロッパではよくあることなので、それぞれ監督のやり方だと思うし、メンバー発表からチームは固まっていくと思う」と感想を述べていた。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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日本人監督で初のアジア杯制覇に挑戦/六川亨の日本サッカー見聞録

1月17日、アジアカップのグループリーグ最終戦があり、ウズベキスタン代表と対戦した日本代表は武藤、塩谷のゴールで2-1の逆転勝ちを収め、グループFを首位で突破。21日の決勝トーナメント1回戦でグループE2位のサウジアラビア代表と対戦することになった。 試合前日の記者会見で森保一監督が示唆したように、日本はスタメン10人を入れ替える前代未聞の選手起用を見せた。アジアカップでは初めての出来事であるし、過去の記憶を辿っても、2005年の東アジア選手権でジーコ監督がトライしただけだ。 そのときは初戦で北朝鮮に0-1で敗れたため、第2戦の中国戦でジーコ監督は総入れ替えを断行したが、どちらかというと懲罰的な意味での全取っ替えだった。 それに比べ、今回はサブ組のストレス解消と、決勝トーナメントに向け警告を受けた選手(権田、酒井、堂安、南野)ら主力を温存する目的があったと推測できる。結果は“吉”と出たし、むしろ過去2戦よりも落ち着いて見られるほど日本の試合運びは安定していた。 W杯に限らず、初戦の難しさと勝つことの重要性、そしてグループリーグで2連勝することのアドバンテージを改めて感じたものだ。試合後の武藤嘉紀は「こういうことがあるとチームの底上げにつながると思うし、誰が出ても変わらないことを証明できた」と胸を張ったが、逆にサウジアラビア戦ではどのようなスタメンをチョイスするのか。森保監督も今頃は頭を悩ませているのではないだろうか。 そのアジアカップだが、日本が初めて本格的に参戦したのは1992年に地元広島で開催された大会からだった。それまでは予選が国内リーグと重なること、決勝大会は天皇杯と重なるといった理由から辞退することが多かった。 本格参戦した92年以降、日本は9大会連続9回目の出場を果たし、最多記録となる4度の優勝を飾っている。その歴史を振り返ってみると、外国人監督の歴史でもある。初優勝は92年広島大会のハンス・オフト監督、2度目は自国開催のW杯を控えた2000年のレバノン大会で、フィリップ・トルシエ監督が率いたチームは中村俊輔や名波浩を擁し、「アジア最強」と称されるほど圧倒的な強さで優勝した。 連覇のかかる2004年中国大会は前述のジーコ監督で、準々決勝のヨルダン戦ではPK戦でGK川口能活のファインプレーもあり、接戦を制しての連覇だった。そして2011年カタール大会はアルベルト・ザッケローニ監督が準決勝の韓国戦、決勝のオーストラリア戦とアジアのライバルを連破してアジアの頂点に立った。 ただ、00年まではチーム一丸となって優勝に突き進んだものの、ジーコ・ジャパンになってからは、いわゆる“国内組”と“海外組”との軋轢も生じるようになった。試合に出られない選手らはベンチに座っていても笑顔はなく、練習中もあまり喜怒哀楽を表さない。しかし、選手は監督に不満をぶつけることなく耐えてきた。 それはジーコ監督に限らず、ザッケローニ監督、そして前回のハビエル・アギーレ監督も同じたったような記憶がある。 ところが森保監督は、今大会の2試合目が終わった時点で試合に出られない理由を選手から聞かれ、しっかりと説明したという。ここらあたり、言葉の壁がないのが日本人監督のアドバンテージと言えるだろう。 アジアカップに日本人監督で臨むのは今回が2度目となる。1996年のUAE大会に臨んだ加茂周監督は、グループリーグこそ突破したものの準々決勝のクウェート戦でロングボールからの2失点により0-2と敗退した。それ以来となる日本人監督によるアジアカップ。果たして森保監督は、日本人監督としてアジアの頂点を極めることができるのか。今後の選手起用も含めて目の離せない森保ジャパンである。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.18 22:15 Fri
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アジア杯インド躍進の原因/六川亨の日本サッカー見聞録

1月6日に開幕したアジアカップ2019は、9日のグループF、日本対トルクメニスタン戦により全チームが1試合を消化した。タイがインドに1-4で大敗し、優勝候補のオーストラリアもヨルダンに0-1と足下をすくわれた。そして韓国もフィリピンに1-0の辛勝と苦戦したのは意外だった。 そして迎えたトルクメニスタン戦でも、日本は先制点を許す苦しい立ち上がりとなった。幸いにも3-2と逆転勝利を収めることができたが、森保監督を始め選手たちも「初戦の難しさ」を口にしたが、苦戦したのはそれだけではない。森保監督が心配したとおり、「国内組、海外組、ケガ人」とコンディションがバラバラだったからだ。 加えてトルクメニスタンは予想以上に組織された好チームだった。前線の3人、オラサエドフ、アマノフ、ミンガゾフの3人は「個の力」で突破するだけの破壊力を秘めていた。 海外組が主力を占める韓国やイラン、オーストラリアは日本と同様にコンディション調整に苦労しているのではないか。それが初戦の躓きの原因になったのだろうと推測した。しかし2戦目を迎えた10日のグループA、インド対UAEの試合を取材して優勝候補の苦戦はコンディションだけではないと考え直した。 試合は地元UAEが2-0で今大会初勝利をあげたが、前半に試合を支配したのはインドで、2度のGKと1対1のシーンでゴールを決めていれば違う結果になった可能性も大だった。タイに4-1と大勝した試合はインドがフィジカルで圧倒したと聞き、イングランド人のステファン・コンスタンチン監督がパワープレーで押し込んだのではないかと予想した。 ところがインドは、タイに負けず劣らずスキルフルなチームで、右MFのウダンタ・シンは一度ボールを持つとUAEの選手も簡単には奪えず、柔軟な身のこなしによるフェイントでマーカーを翻弄した。2トップの一人でキャプテンのスニル・チェトリは、スピーディーなドリブル突破だけでなくスルーパスも出せる攻撃の中心選手。 彼ら以外も高い個人技を有しつつ、UAEに負けないだけのフィジカルも持っている。守備では4-4-2からフラットでコンパクトな3ラインを保ち、前半はショートカウンターを見舞っていた。これならタイに大勝しても不思議ではないと納得した。 アジアカップは今大会から8チーム増の24か国で争われる大会に拡大した。それまでなら予選で敗退していたチーム、今大会が初出場となるイエメンやキルギス、フィリピンに加え、久々に出場権を獲得したレバノンやトルクメニスタン、インドなどはアジアカップの常連国にとって“草刈場”になるのではないかと危惧した。 ところがフタを空けてみればインドを始めパレスチナやキルギス、フィリピンは大健闘と言っていいだろう。そしてインド対UAE戦を取材して感じたのは、選手はもちろんのこと、スタジアムを埋めた(両国の観戦者でほぼ満員)現地在住のインド人サポーターも大会を楽しんでいたことだ。 聞けばインド代表は昨年12月のクラブW杯の頃からUAEでキャンプを張っていたらしい。インドに限らず、今大会を待ち望んでいた国々は多いのではないだろうか。これは余談だが、ハーフタイムにサポーターがスマホのライトを振ると、DJがインドサポーターに向かって「エーオ! エエエオー」と繰り返し呼びかけていた。 クイーンのファンや映画ボヘミアン・ラプソディを見た方ならご存じだろうが、コンサートでフレディー・マーキュリーがファンに向けた呼びかけだ。フレディーは青年期をインドの学校に留学し、寄宿舎生活を送った時期がある。今後、インドが国際舞台で活躍する際は、この呼びかけが彼らの定番になるのではないかと思ってしまった。 話をアジアカップに戻そう。大会の規模拡大の成功は2年前のEUROでもあった。今回と同じく8チーム増の24か国にしたところ、アイスランド、ウェールズ、スロバキア、北アイルランド、アルバニアの5か国が初出場を果たした。そしてウェールズはベスト4、アイスランドは「バイキング旋風」を起こしてベスト8、スロバキアと北アイルランドもグループリーグを突破した。 日本代表の強化のためには、ヨーロッパのビッグネームをJリーグに呼ぶのも1つの方法だが、アジアで埋もれている有能なタレントをJリーグに呼んでみてはいかがだろうか。代理人の方には今からでもアジアカップの視察に訪れて欲しい。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.11 16:00 Fri
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夢フィールドとJヴィレッジの共存に期待/六川亨の日本サッカー見聞録

▽今月の25日、JFA(日本サッカー協会)は千葉市の幕張海浜公園内に新設中の日本代表トレーニング施設の名称を「JFA夢フィールド」に決定したと発表した。同施設は天然芝と人工芝のグラウンド各2面のほか、フットサルアリーナやクラブハウスを備え、選手育成や指導者養成などに活用される。 ▽運用は2020年3月に開始する予定で、会見に臨んだ田嶋JFA会長は「代表強化、ユース世代の育成、指導者・審判養成を三位一体でやっていきたい。またJFA夢フィールドを国際交流の場にしたいし、地域の子どもたちとの交流の場にもしていきたい。JFA夢フィールドは“ワールドカップ優勝”という大きな夢を実現するための重要な場です」と力説した。 ▽昨日26日からは、来年1月のアジアカップに臨む森保ジャパンが第1カッターフィールド(秋津サッカー場)で練習を開始したが、これまで日本代表は秋津サッカー場や味の素フィールド西が丘など、既存の公共施設を借りていた。しかし20年からは自前の専用施設を持つことで、年代の垣根なく強化することも可能になるだろう。 ▽元々は大仁JFA元会長の「都内に代表専用の練習施設を造りたい」という夢だった。さすがに都内は難しかったものの、幕張なら都心や羽田、成田の両空港ともアクセスしやすい場所でもある。今後は建設費用の一部を寄付金で募る予定で、目標額は2億円以上だそうだ。 ▽といったところで気になるのが、1997年7月に日本初のサッカーナショナルトレーニングセンターとして開設されたJヴィレッジの今後だ。2011年3月11日の東日本大震災の影響で全面封鎖となっていたものの、今年7月、「福島復興のシンボル」として再始動した。 ▽施設としては天然芝のグラウンド5面と人工芝のグラウンド1面、センターハウス、フィットネス棟、雨天練習場、プール、200室の新宿泊棟、5000人収容のスタジアムが7月28日から再始動し、2019年4月には天然芝のグラウンド2面と人工芝のグラウンド1面が加わり、JRの新駅も施設のすぐ目の前に開業する予定だ。規模としては「JFA夢フィールド」をはるかにしのいでいる。 ▽Jヴィレッジの副社長を務める上田氏は「スポーツだけでなく、様々な催し、イベントも開催できる施設」として期待を寄せ、サッカー以外の競技にも開放する予定だが、果たしてどれだけの利用者がいるのかは不明だ。すでにJFAアカデミー福島も再開されているが、今後は「JFA夢フィールド」とどのような棲み分け、あるいは共存が可能なのか。 ▽一時は東京五輪のベースキャンプ地に予定されていたものの、「JFA夢フィールド」の完成により使用されない可能性も出てきた。これだけ立派な施設があるのだから、効果的な活用方法をJFAには期待したい。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.12.27 22:10 Thu
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スタジアム基準の改定に思うこと/六川亨の日本サッカーの歩み

▽12月12日、来月からUAEで開催されるアジアカップの日本代表23名が発表された。これまで招集されたメンバー主体で、ケガで小林悠と三竿健斗、鈴木優磨が外れたくらいで、これといったサプライズはなかった。新天地を模索している香川真司と、海外移籍が濃厚な昌子源は1月の移籍ウインドウと重なるため、森保一監督も招集に配慮したと推測される。 ▽小さな驚きは浅野拓磨が復帰したくらいで、恐らく西野朗元日本代表監督が秘蔵っ子の宇佐美貴史をロシアW杯のメンバーに選んだように、森保監督にとっても浅野は自身が育成した選手だけに、可愛いのではないだろうか。 ▽当日は午後4時40分から定例のJリーグ理事会の報告と、それに続いてJリーグのスタジアム基準の改定が報告された。これまでJリーグは93年の開幕以来、1万5千人収容のスタジアムが義務づけられていた。その後、J2の誕生により1万人収容でナイター設備を完備、さらにJ3の誕生では5千人収容でナイター設備は義務づけないという基準が設けられた。 ▽しかしながら、これらの基準を満たすことができず、14年はJ2で5位の北九州がプレーオフに出場できず、17年はJ3優勝の秋田がJ2に昇格できなかった。さらに今年はJ2で4位の町田がプレーオフに出場できなかったのは記憶に新しいところ。 ▽そこでJリーグは来年度から例外規定1として、「スタジアムの改修工事に着工しており3年以内に完成可能であれば、(昇格のための)上位ライセンスの取得を可能とする」という期間の短縮を蹴ってした。 ▽さらに例外規定2として1)ホームタウンの中心市街地よりおおむね20分以内でのアクセスが可能なこと。2)すべての観客席が屋根で覆われていること。3)ビジネスラウンジやスカイボックス、高密度Wi-Fiを備えていること。4)フットボール専用スタジアムであることという、Jリーグが掲げる「理想のスタジアム」への改修もしくは新スタジアム建設が5年以内に可能であれば、当該するライセンスの取得が可能(例外規定1との併用も可能)とする新たな基準を設けた。 ▽こうした改定に基づき、トレーニング施設の整備に関しても3年の猶予期間を設置し、「理想的なスタジアム推進のための補助金」を、1クラブあたり最大1千万円を拠出することも決めた。 ▽先月末の当コーナーでも、Jリーグ創設当初に比べて「おらが町のクラブ」が増えている現状では、1万5千人というキャパシティを義務づけるのはそぐわないという原稿を書いた。ようやくJリーグも25年が経ち、ちょっとではあるが現実を認識しているようだ。組織というものは、大組織になればなるほどルールを作った人間がいなくなると、ルールそのものがアンタッチャブルな存在になり、誰も変更しようとしない傾向が強い。 ▽Jリーグなら、初代の川淵チェアマンの影響力は絶大だったし、その後の歴代チェアマンも同じ路線を踏襲した。やっと現在の村井チェアマンになって、外国人枠の緩和とホームグロウン制度の導入で、ヨーロッパのリーグに近づけようとしている。そしてスタジアムの規制緩和である。これは歓迎すべき改定と言えるだろう。 ▽会見に臨んだクラブライセンスマネジャーの青影氏は、もともとデロイト・トーマツ・コンサルティングで企業再生のコンサルタントを務めていて、地元である大分トリニータの経営危機に際し、手腕を発揮した人物である。 ▽その青影氏に、実際にこの制度を利用するクラブがあるのかどうか質問したところ、「クラブ側も手を上げるかどうかで、これまで議論してきた。利用するクラブはいくつもあるだろう。来年の6月末(クラブライセンスの申請)に向けて、クラブと地元ステークホルダー(企業や行政)と協議することになる。何クラブか出るのではと思うので、我々も寄り添っていきたい」と理解を示した。 ▽さらに来シーズンは八戸がJ3に昇格するなど、地方クラブの台頭が目立つ。果たしてJ1昇格には1万5千人収容のスタジアムが必要なのかを聞くと、「この議論では1万5千人を下げて欲しいというクラブもあった。まずは基準の緩和に取り組む。それだけでも緩和できる。実際、席について、J2は1万人の個席だったのを、個席は8戦席で2千人は立ち見席でもOKと緩和した」と基準を改定したことを明かした。 ▽J1は1万5千人収容というハードルはまだまだ高いが、Jリーグのさらなる検証と検討を期待したい。そして最後に「理想のスタジアム」だ。収益の確保のためにはキャパシティを増やし、ビジネスラウンジやスカイボックスの設置も必要だろう。それと同時に、冷暖房の完備や電気、ガス、上下水道、トイレを始め仮設住宅としての広大な駐車場など「ライフラインとしてのスタジアム」の存在意義も明示して欲しかったというのが正直な感想だ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.12.13 19:30 Thu
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多くの名選手が引退した18シーズン/六川亨の日本サッカー見聞録

▽昨日5日は天皇杯の準決勝2試合が行われ、事実上の決勝戦と目された浦和対鹿島戦は右CKからあげた1点を守り切り、浦和が3大会ぶりの決勝戦へコマを進めた。決勝戦は9日に埼玉スタジアムで開催されるが、鹿島戦で興梠、武藤、青木の主力3選手が負傷交代したのは気にかかるところ。果たして決勝戦に間に合うのかどうかも勝敗を左右しそうだ。 ▽そして今シーズンのJリーグも、天皇杯決勝とJ1参入プレーオフの2試合を残すのみ。改めて2018シーズンのJリーグを振り返ると、まず監督交代が多いシーズンだった。まず4月に浦和が2度の監督交代からオリヴェイラ監督が就任。5月は甲府、京都、富山、柏、愛媛の5チームが、6月は鳥取、長野、北九州の3チームが監督交代に踏み切った。 ▽さらにその流れは止まらず、ワールドカップ(W杯)後の7月下旬には秋田、G大坂、藤枝の3チームが、8月は新潟、9月は神戸、10月は鳥栖、11月は柏と開幕直後の2月と3月をのぞいて毎月のように監督が交代した。 ▽交代を断行するにはそれなりの理由があったからだが、功を奏したと言えるのはJ1残留を決めた鳥栖、神戸、G大阪の3チームくらいだろう。特にG大阪の宮本監督は、初のJ1リーグで9連勝を飾り、16位から9位までチームを浮上させた手腕が光る。 ▽そして浦和のオリヴェイラ監督も、それまでのパスをつなぐペトロヴィッチ・スタイルから、堅守を武器にセットプレーからゴールを奪うチームへとモデルチェンジさせながらリーグ戦では5位、天皇杯では決勝に導いた。システムは前任者の3バックスタイルを引き継ぎつつ、今オフに川崎Fの車屋にオファーを出したのは、来シーズンの4バック併用を想定してのことではないかと浦和ウォッチャーは話していた。 ▽ストーブリーグはこれから激化すると思うので別の機会に譲るとして、今シーズンは多くの選手が引退した年でもあった。元日本代表の川口(相模原)を始め、GK山岸(北九州)、MF平川(浦和)、GK高原(町田)、MF森﨑和(広島)、MF兵働(清水)、MF栗澤(柏)、FW難波(岐阜)、MF梶山(FC東京)、DF島村(湘南)、FW田代(元C大阪)、DF久保(岡山)、DF岩政(東京ユナイテッドFC)の13人が現役生活に別れを告げた。 ▽彼ら以外にも、FW前田(FC東京)、MF稲本(札幌)、FW佐藤寿(名古屋)、GK楢崎(同)、FW玉田(同)、MF八反田(同)、MF髙柳(山口)らは、所属チームとの契約は満了したものの、移籍か引退かで揺れている。 ▽GK川口の引退により、96年アトランタ五輪のメンバーで現役は伊東(沼津)1人になったし、MF稲本とGK楢崎が引退となると、98年フランスW杯のメンバーで現役は伊東とMF小野(札幌)の2人だけだ。18年は時代を築いた名手がユニホームに別れを告げた年としても記憶に刻まれることだろう。 ▽12月2日はJ3リーグ最終戦の相模原対鹿児島戦を取材した。GK川口の引退セレモニーでは、岡田元監督、長友、ジーコ、カズ(三浦知良)がビデオで労いのメッセージを贈った。両親と兄、家族からの花束贈呈では、感謝の言葉を述べていると、こらえきれず涙を流した。 ▽しかしサプライズとして楢崎が登場すると川口に笑顔が戻る。楢崎が「最後の最後まで、本当に、代表ではチームメイトとして、リーグではライバルとして、僕の方が年下なので、いつも目標にしていました」と話すと、川口も「僕にとって特別な存在です。ナラがいたからこの歳まで続けることができました。まだ続けてください。僕の分まで頑張ってください」とお互いにエールを贈った。 ▽長年、日本代表として切磋琢磨してきた2人には、2人にしかわからない絆があるのだろう。試合は3度の1対1を川口がブロックして1-0の勝利に貢献した。囲み取材で楢崎は「持っているという、そんな簡単なもんじゃないです。憧れですよね」と正直に心境を吐露した。2人のライバル関係の今後が気になる、濃密な取材のできたJ3最終戦だった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.12.06 18:30 Thu
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