【六川亨の日本サッカーの歩み】コバルトーレ女川と村田監督2018.03.13 12:05 Tue

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▽昨日はJ3とJFL(ジャパンフットボールリーグ)の開幕日だった。そして3月11日といえば、7年前に東日本大震災で東北地方が甚大な被害を受けた日でもある。夢の島陸上競技場でのFC東京U-23対沼津のJ3を取材したが、2時キックオフの試合前には7年前の災害に黙祷が捧げられた。おそらくどの会場でも黙祷が捧げられたことだろう。

▽そして静岡県浜松市都田サッカー場では昨シーズンのJFL覇者・ホンダFCと、今シーズンJFL昇格を決めたコバルトーレ女川が対戦した。試合は1-2で敗れて女川は初戦を飾ることはできなかったが、いまなお復興に取り組む被災地を励ましたことだろう。

▽女川には震災前と震災後の2度訪れたが、女川湾の漁港を中心に扇状に家屋やビルが広がる風光明媚な町だった。それが最大15メートルの津波で跡形もなく消えていたのを目の当たりにした時は声を失ったものだ。

▽コバルトーレ女川は将来のJリーグ入りを目指して06年に誕生した。最初は石巻市民リーグからスタートし、10年には東北社会人リーグ1部に昇格と順調に歩んできたものの、11年の震災で1年間の活動中止を余儀なくされた。それでもチームの再開を願う町内企業が選手の雇用を受け入れるなどの協力もあり、12年に東北社会人リーグ2部から再出発。1年で1部に復帰し、16年には初優勝を遂げる。そして昨シーズンは全国地域サッカーチャンピオンズリーグでも優勝し、初のJFL昇格を決めた。

▽今年からチームを率いるのは東京ヴェルディや日テレ・ベレーザのコーチなどを歴任した村田達哉氏(45歳)。もともとは読売ユース出身で、読売ジュニオールでJSL(日本サッカーリーグ)2部にデビュー。その後はヴェルディ川崎や札幌、仙台などでプレーして、05年に指導者の道に転身した。

▽彼の名前を覚えていたのは、読売ユースの時代に試合を取材したことがあるからだった。レフティーの左SB(サイドバック)で攻撃参加を得意とし、当時読売サッカークラブのコーチを務めていた松木安太郎氏(現解説者)が、「和製ロベカルです」と教えてくれたからだった。

▽選手として大成することはなかったものの、現役引退後は仙台のフロント入りし、キエーボ・ヴェローナにコーチ留学するなど宮城県と縁があったから女川の監督に就任したのだろう。リーグ戦は第2、3節とアウェーが続くが、4月1日の第4節ではホームの石巻フットボール場に戻ってくる。きっと多くのファンが訪れることだろう。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

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【六川亨の日本サッカーの歩み】意外と多い前回優勝国の初戦敗戦

▽ロシアに来て12日が過ぎた。昨日は深夜0時55分カザン2駅発の夜行寝台列車でサランスクへ移動した。サランスクに着いたのは午前9時45分。約9時間の道のりである。距離にしては400キロくらいだが、途中で何度も停車して時間を調節するあたり、東京駅発のバスによるスキーツアーと似たような感じだ。 ▽サランスクに着いてまず感じたのは「暑い!」ということ。カザンより涼しいと聞いていたが、昼過ぎにはTシャツ1枚で過ごせる。ここらあたり、先週木曜のコラムでも書いた06年ドイツW杯の悪夢が頭をよぎる。西野ジャパンはカザン入りしてからコンディション調整の練習が多く、走り込みなどのハードな練習はしていない。いまさらながら心配のタネは尽きない。 ▽さてサランスクである。この街の人はとても親切だ。カザンでは道を聞こうとしてもロシア語しか話さないため敬遠されがち。このため大学生でないと英語は通じない。しかしサランスクでは、道で立ち止まっていると寄ってきて、ロシア語で話しかけてくる。こちらがカタコトの英語で答えると、わざわざ英語の話せる若者を探して手助けしてくれるのだ。白タクを拾って行き先と料金を決めてくれたり、ホテルの近くまで遠回りでも案内したりしてくれた。 ▽さてW杯である。昨日は前回優勝国のドイツがメキシコに0-1で敗れる大波乱があった。同じく優勝候補のブラジルがスイスと1-1で引き分けるなど、W杯ならではの初戦の難しさがある。それはコロンビアのペケルマン監督も前日会見で語っていた。 ▽W杯が24カ国に増えた82年スペイン大会以降、前回優勝国が敗れたのは10大会中5回と意外に多い。まず82年スペイン大会では初出場のマラドーナが反則すれすれのラフプレーに苦しめられ、開幕戦でベルギーに0-1で敗れた。 ▽90年のイタリア大会でも前回優勝のアルゼンチンはカメルーンに0-1で敗退。しかしマラドーナに率いられたセレステ・イ・ブランコはブラジルや開催国イタリアを倒して決勝まで進出したのはさすがだった。 ▽新しいところでは、02年の日韓大会でフランスがセネガルに0-1で敗れ、グループリーグ敗退という屈辱を味わう。エースのジダンが負傷していたせいもあるが、当時は前回優勝国が予選を免除されたことで、厳しい試合をする機会が減少したことがその理由の1つと考えられた。 ▽06年ドイツ大会を最後に前回優勝国の予選免除は廃止され、10年南ア大会は予選を突破したイタリアだったが、開幕戦でパラグアイに1-1で引き分けるなどグループリーグ最下位で南アを後にした。 ▽そして14年ブラジル大会ではスペインが開幕戦でオランダに1-5と大敗し、これまたグループリーグで敗退した。フランスとスペインはともに初優勝後のW杯ということもあり、結果を出したチームにありがちな新陳代謝に失敗したと見る向きもある。 ▽しかしドイツは若返りを図ってEUROを制し、どこにもスキはないと思っていた。メキシコの、ドイツの焦りを誘う試合展開も見事だったが、これで初のベスト4進出を果たせるか。 ▽そして明日は日本がコロンビアに挑む。メキシコの再現を多くの日本人サポーターは着たいしていることだろう。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.19 12:00 Tue
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【六川亨の日本サッカーの歩み】W杯の開幕を静かに待つカザン

▽日本代表のキャンプ地であるカザンに来て6日が過ぎた。22時過ぎに空港についたものの、出口のゲートには中学生らしきボランティアが出迎えてくれるあたり、そろそろW杯ムードが高まりつつあるようだ。 ▽ここカザンは地下鉄が1路線しかなく、市民の移動の足はもっぱら自家用車かバス、トラム、トロリーバス、乗り合いタクシーの5つ。まずはともあれIDカードをピックアップしなければ始まらない。そこで昨年のうちに予約したアパートの大家に、カザン・アレナとキャンプ地であるルビン・カザンへの行き方を聞いたところ、「アレナには33番か62番のバス、ルビン・カザンには、そこから60番のバスに乗ればいい」と教えてくれた。<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180611_32_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div>▽ちなみに大家はロシア語しか話せない。「ロシアでは英語が通じない」と言われていて、携帯とポケットWiFiのSIMを買ったショップでも英語は通じなかった。そこで頼りになったのが、日本で購入した翻訳機「ポケトーク」だ。普段はWiFiで使用するが、専用のSIMを購入すると2年間はWiFi環境でなくても使用できる優れものだ。 ▽バスでの移動で困るのは、降りるバス停の名前が分からないこと。そこで外の景色で確認することになる。ただ、カザン・アレナは巨大なスタジアムのため、遠目にもすぐ分かる。アレナにいたボランティアにアクレディテーション・センターを聞くと(さすがに英語が通じた)、「スタジアムの真裏にある、青くて大きなビルだ」と教えてくれた。<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180611_32_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div>▽確かに大きなビルだが、巨大なスタジアムを大回りするため、徒歩で15分近くかかった。これは08年の北京五輪を取材した時にも感じたことだが、広い国土を持つ国の建造物はいずれも大きいため、目で見えていても辿り着くのにかなりの時間がかかる。アレナの外周に飾りつけるオブジェはまだ完成しておらず、作業員が黙々と仕事を進めていた。 ▽IDカードは空いていたため20分ほどで取得。今度はルビン・カザンに行くため来た道を引き返すと、スタジアムをバックにレポートしている韓国のTVクルーと遭遇した。彼らは27日にここでドイツと対戦する。それまでに勝点を何点積み上げられるか。隣国のライバルであるだけに、気にかかるところだ。<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180611_32_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div>▽アレナからバスで約25分、だいたいの位置はグーグルマップで調べておいたので、照明灯が見えたところで下車し、バス停にいた軍人に確認すると、ルビン・カザンで間違いはなかった。せっかく来たのだから、中を撮影したいと伝えると、5分くらい待たされ「残念だが、日本協会の広報の●●さんのレターがないと入れられない。14日からは日本協会の許可が必要になる」と断られてしまった。<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180611_32_tw1.jpg" style="max-width: 100%;"></div>▽柵越しに写真を撮り、市内へ戻る方向のバス停の上にある表示板を見ると33番と62番がある。待つこと10分、33番のバスで無事にアパートへ帰宅できた。帰りがけに近くのハイパーマーケットという、これまた巨大なショッピングセンターをのぞいて見た。スポーツショップには大会のロゴをあしらったTシャツやバッグ、大会マスコットのザギトワ(フィギュアスケートの選手)、ならぬザビワカ(オオカミ)のグッズなどが売られていた。 ▽街が盛り上がるのは16日のフランス対オーストラリア戦が始まってからだろう。その前に、13日の夜には日本代表がインスブルックから移動してくる。サムライ・ブルーにとっても、取材するメディアにとっても、ロシアW杯の始まりだ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.11 23:30 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】岡田元監督のトークセッション② 岡田武史さんの哲学

▽今週は先週に引き続き、スカパー!「サッカーおやじ会」でのトークイベントに出演した岡田武史・元日本代表監督のエピソードを紹介しよう。西野ジャパンのメンバー選考について問われると、自身の経験を踏まえ「めちゃくちゃ苦しみますよ。日本人監督はチーム作りに苦労する」と話し、「日本の指導者はチーム作りと采配を比べると、チーム作りに執着する。相手を研究して采配で勝つことは邪道だと思っている人が多い。チーム作りで勝つのが美学と思っている」と苦言を呈した。 ▽岡田さん自身、監督としては前者のタイプだ。そして南アW杯ではベスト16に進出したものの、阿部勇樹をアンカーに、本田圭佑の0トップによる“采配”を批判されたのかもしれない。続けて「僕の場合はあらゆることをシミュレーションしている。メンバーを決める時も試合の展開をずっと妄想する」とし、南アのメンバー選考についてはこんなエピソードを紹介した。 ▽「2010年のW杯で矢野貴章を入れたら“えっ”という人がけっこういた。もし試合に勝っていて、残り10分くらいを守りたい。でもセットプレーでやられたら背の高い選手が欲しい。でもDFを代えるのはリスクがある。前線で追い回せて、セットプレーの時にヘディングで競れる奴が欲しい。そうなったら“貴章”だなとなった。そして本当にカメルーン戦で想定していた場面が来た」 ▽このため「メンバーを決める時も上から23人、上手い奴を選べばいいわけじゃない」と選考の難しさを語った。 ▽さらに岡田さんは日本人指導者の傾向として「美学を持つのはいいが、それを勝負への言い訳にしている。例えばクライフが言った“美しく敗れる事を恥と思うな、無様に勝つことを恥と思え”。この言葉を一番好きなのが日本人。オランダ人は負けるのが嫌。これを言う人は勝ったときには絶対に言わない。負けた時の言い訳として使う。ところが日本人は好き。例えば点が入らない。あとは決定力だけ。“決定力さえあれば”とよく言うが、それは“そこまでのサッカーは素晴らしい”といった美学を持って言っている。点を入れなかったら勝てないのに、そこまでの美学で満足している。あとは決定力と言うけど、そこが一番大事」と持論を展開した。 ▽リアリストの監督だった岡田さんらしいサッカー哲学だ。もうS級ライセンスは返上したため監督復帰の可能性がないのが残念でもある。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.04 19:30 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】岡田元監督のトークセッション① W杯は化ける選手が必要

▽5月21日から千葉県内で始まった日本代表の合宿。西野監督は27日まで練習を公開したため、日に日に観戦するファンが増え、27日は日曜日とあってメインスタンドは立錐の余地もない大盛況。ゴール裏やタッチライン際にも鈴なりの人だかりとなった。 ▽オシム・ジャパン以降、歴代の代表監督は非公開にすることが多く、ファンと代表チームの距離感に温度差を感じていただけに、今回の練習公開は大いに歓迎したい。ちびっ子ファンから声をかけられた長友や乾が手を上げて応えていた。これが本来あるべき代表選手とファンの間柄だろう。 ▽戦術練習やセットプレーなどは非公開にすることもやむを得ないだろう。しかし日本でサッカーは、マイナーからは脱却したかもしれないが、欧州や南米のようにまだまだナンバー1スポーツではない。こうしたファンサービスは今後も継続すべきだろう。 ▽さて先週はイニエスタの来日会見でサッカー界は沸いた。その同じ日に、スカパーが会見を開いて来シーズンのブンデスリーガとポルトガルリーグ、ベルギーリーグなどの独占放映権・配信権を獲得したことを発表。そのイベントとして「サッカーおやじ会」に岡田武史元日本代表監督が番組MCの八塚氏とトークセッションを行った。 ▽冒頭、ロシアW杯の監督オファーがあったかどうか聞かれた岡田氏は「ない、ない。考えたこともない」と即座に否定。話題になったS級ライセンスの返上についても、「前々からS級は返上するつもりだった。お金を払わなければ自動的に失効すると思っていたが、自分の場合は引き落としだったので返上の手続きが必要だった。返上して1ヶ月後に親しい記者が聞きに来て答えたところ、翌日の新聞で1面になっていたのは驚いた。ハリルの解任とたまたまタイミングがあって騒動になった」と真相を語っていた。 ▽ロシアW杯に関しては、ポーランドやセネガルを警戒しつつ「どっちしても初戦が大事。客観的に見るとコロンビアの方が日本より実力は上。そうすると力をそのまま出し合ってぶつかるんじゃなくて、自分たちの力以上のものを出すような勢いが必要になる。勢いをつける方法は色々とあるし、人それぞれ。それは精神的なものかもしれない。そこで、“えっ、こんなことまでしちゃうの?”というような化ける選手が出てくることが必要かなと思う」と10年南アW杯での自身の経験を振り返った。 ▽ここで言う“化ける選手”とは、本田圭佑であり長友佑都のことを指していると感じた。岡田氏は「僕は代えることに悩んで、最後の1試合で決断した」とも語った。おそらくキャンプ地であるジョージでのテストマッチで、中村俊輔の起用を断念し、ゼロトップに本田を起用し、中盤のアンカーに阿部勇樹を置く4-1-4-1のシステムを採用したことを指しているのだろう。 ▽そんな“化ける選手”の1人である長友に、代表キャンプ中に岡田氏の話を伝えたところ、「僕も岡田さんに化けさせてもらって、成長させてもらいましたし、まだまだ化けないといけないと思っています」と爽やかな笑顔で答えてくれた。 ▽果たしてロシアで“化ける”選手が出てくるのか。ブラジルW杯では香川真司や大迫勇也が化け損ねただけに、彼らの奮起にも期待したい。 ▽ちなみに早稲田大学の先輩である西野監督については、「(時間がないのは)分かっているから監督を引き受けた。時間があろうがなかろうが、結果を出さないといけないのは西野さんもハリルも同じこと。相談されたことはない」とリアリストの岡田さんらしい見解を述べていた。 ▽その他にも岡田さんは日本人指導者の陥りやすいサッカー哲学を、ヨハン・クライフを例に出して話したり、試合へのアプローチの違いを自身の経験を元に解説したりしたが、それは次週のコラムで紹介したい。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.28 22:30 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】代表練習で感じた変わらぬ本田の姿勢

▽5月30日にキリンチャレンジカップでガーナと対戦する日本代表のキャンプが21日にスタート。この日はすでに帰国している海外組の岡崎慎司、本田圭佑、吉田麻也、香川真司、大迫勇也、酒井高徳、原口元気、宇佐美貴史、武藤嘉紀、浅野拓磨の10選手が1時間10分ほどの練習で汗を流した。 ▽ただし、岡崎だけは終始別メニューで、ランニングやサイドステップ、バックステップ、ストレッチなどの軽めの練習。2月上旬に膝を、4月には足首を傷めて実戦から遠ざかっていたが、走り方にもぎこちなさを感じさせ、全力でプレーできる状態ではなかった。30日のガーナ戦に間に合うのかどうか疑問であり、6月19日のコロンビア戦までに万全の状態に回復すると判断できなければメンバー外となる可能性もあるかもしれない。 ▽練習終了後は西野監督が囲み取材に応じ、本田について質問されると「非常にいいパフォーマンス。彼らしいスタイルで入ってきたかな」と高く評価していた。その本田、9分間のフリーランニング後、早川コンディショニングコーチから「テンポを上げて6分間」と指示が出て5分が経過し「そろそろダウン」と言われても、浅野と競うようにランニングのペースを上げて酒井高を追い抜くなどアグレッシブに練習に取り組んでいた。 ▽ただし、練習終了後のミックスゾーンでは、他の選手が報道陣の取材に応じているのに、本田だけは「お疲れ様」と言って足早に通り過ぎた。この日のミックスゾーンの目玉は本田、岡崎、香川の“ビッグ3"だっただけに、報道陣は肩すかしを食らった格好だ。ただ、それも本田らしいと思った。 ▽思い出されるのは8年前、南アW杯前にスイスのサースフェーで行われた事前合宿だ。当時のエースは中村俊輔だったが、持病の足首痛に悩まされ、早川コンディショニングコーチが付きっきりで1人別メニューの練習を続けていた。当時のシステムは4-4-2で右MFが中村俊の定位置だった。もしも中村俊が間に合わなければ、そのポジションは同じレフティーの本田が起用される可能性が高かった。 ▽中村俊はなかなか取材できないため、必然的に練習後の報道陣は本田にコメントを求めた。当初は取材に応じていた本田だったが、ある日のこと、囲んだ報道陣に対して自分から口を開き、「毎日毎日、質問されても同じ練習をしているので答えようがない。これが試合後や試合前には違ったことを話せるかもしれない。なので、これからは自分から話すことがあったら話します」といった趣旨のコメントで報道陣の理解を求めた。 ▽その時の本田は24歳で、まだチームの中心選手とは言えなかった。それでも当時の状況から本音を語ったことに、報道陣を無視した中田英寿との違いに感銘を受けたものだ(スポーツ紙は反発したが)。 ▽たぶん中村俊のコンディションが良ければ、毎日の取材の取材に応じ、今日の練習の目的や自分の役割、チームメイトのエピソードなど日替わりで話題を提供しただろう。それだけリップサービスのできる余裕があった。 ▽パーソナリティーの違いと言ってしまえばそれまでだが、本田は8年経ってもストイックな姿勢は変わらないことを再確認した21日の練習取材でもあった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.22 15:20 Tue
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