「度重なるケガのため」…“怪物”平山相太が13年の現役生活に別れ
2018.01.26 15:37 Fri
▽ベガルタ仙台は26日、FW平山相太(32)が現役を引退することを発表した。
▽平山は国見高校時代に“怪物"と呼ばれ、全国高校サッカー選手権では2年次、3年次と史上初の2大会連続で得点王に輝く。Jリーグや欧州クラブからのオファーもある中、筑波大学へと進学。2005年には当時エールディビジのヘラクレス・アルメロへと加入し、Jリーグを経由せずに欧州へと渡った。
▽ヘラクレスでは、1年目に31試合に出場し8ゴールを記録するなど実力を発揮するも、2シーズン目は監督の信頼を得られず、FC東京へと移籍。FC東京ではレギュラーとして活躍するも、ケガの影響などでプレーできないシーズンもある中、11シーズンプレー。2017年に仙台へと完全移籍した。
▽心機一転、仙台で復活が期待されたものの、シーズン序盤に足首を負傷。そのまま11月までプレーできず、公式戦に出場しないまま終了。今回、ケガにより引退を決断した。通算成績はJ1で168試合33得点、J2で1試合、天皇杯で26試合15得点、エールディビジで32試合8得点を記録した。
▽また、日本代表としては、世代別の代表チームに招集され、2003年、2005年のワールドユースに出場。また、2004年のアテネ・オリンピックには飛び級で選出。2010年にはA代表にも選出されていた。A代表では通算4試合出場し3得点を記録していた。
「度重なるけがのため、現役から退き、引退することを決断いたしました。まず、開幕前の大事な時期にクラブに迷惑を掛けてしまうことを申し訳なく思っています。また、決断を尊重してくれたことに感謝しています」
「1年という短い期間でしたが、監督、スタッフ、選手、ベガルタ仙台に関わる全てのみなさまから親切にしていただき、クラブの一員だと実感できました。そして、もっともっと強く成長していくクラブだと確信しており、ファン、サポーターのみなさまにはこれからも応援していただき、温かく見守ってほしいと思います」
「11年間在籍しましたFC東京には、自分の家のような感覚を持っています。喜び、楽しさ、悔しさ、悲しみ、たくさんの思い出があります。多くの方々との出会いも宝物です。2010年にJ2降格が決定し、絶望感の中にいる状況でも応援し続けてくれたファン、サポーターのみなさまの言葉が今でも忘れられません。これからもFC東京は強くなり、大きくなると思っています」
「小学生からサッカーを始め、小倉東サッカースポーツ少年団、ながながSC、田原中学、国見高校、筑波大学、現在までご指導いただいた方々のおかげで今日までプロサッカー選手としてプレーすることができました。今でも先生方、監督は自分の憧れ、夢、目標です。ご指導いただきありがとうございました」
「最後に、どんなときも笑顔で支え続けてくれた妻と子どもたち、15歳で家を出て心配ばかりかけてしまった両親に心から感謝しています。本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。13年間たくさんのご声援、本当にありがとうございました」
▽平山は国見高校時代に“怪物"と呼ばれ、全国高校サッカー選手権では2年次、3年次と史上初の2大会連続で得点王に輝く。Jリーグや欧州クラブからのオファーもある中、筑波大学へと進学。2005年には当時エールディビジのヘラクレス・アルメロへと加入し、Jリーグを経由せずに欧州へと渡った。
▽心機一転、仙台で復活が期待されたものの、シーズン序盤に足首を負傷。そのまま11月までプレーできず、公式戦に出場しないまま終了。今回、ケガにより引退を決断した。通算成績はJ1で168試合33得点、J2で1試合、天皇杯で26試合15得点、エールディビジで32試合8得点を記録した。
▽また、日本代表としては、世代別の代表チームに招集され、2003年、2005年のワールドユースに出場。また、2004年のアテネ・オリンピックには飛び級で選出。2010年にはA代表にも選出されていた。A代表では通算4試合出場し3得点を記録していた。
▽平山は仙台を通じて引退についてコメント。ケガの影響による決断であることを明かし、感謝の気持ちを述べている。
「度重なるけがのため、現役から退き、引退することを決断いたしました。まず、開幕前の大事な時期にクラブに迷惑を掛けてしまうことを申し訳なく思っています。また、決断を尊重してくれたことに感謝しています」
「1年という短い期間でしたが、監督、スタッフ、選手、ベガルタ仙台に関わる全てのみなさまから親切にしていただき、クラブの一員だと実感できました。そして、もっともっと強く成長していくクラブだと確信しており、ファン、サポーターのみなさまにはこれからも応援していただき、温かく見守ってほしいと思います」
「11年間在籍しましたFC東京には、自分の家のような感覚を持っています。喜び、楽しさ、悔しさ、悲しみ、たくさんの思い出があります。多くの方々との出会いも宝物です。2010年にJ2降格が決定し、絶望感の中にいる状況でも応援し続けてくれたファン、サポーターのみなさまの言葉が今でも忘れられません。これからもFC東京は強くなり、大きくなると思っています」
「小学生からサッカーを始め、小倉東サッカースポーツ少年団、ながながSC、田原中学、国見高校、筑波大学、現在までご指導いただいた方々のおかげで今日までプロサッカー選手としてプレーすることができました。今でも先生方、監督は自分の憧れ、夢、目標です。ご指導いただきありがとうございました」
「最後に、どんなときも笑顔で支え続けてくれた妻と子どもたち、15歳で家を出て心配ばかりかけてしまった両親に心から感謝しています。本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。13年間たくさんのご声援、本当にありがとうございました」
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