【六川亨の日本サッカーの歩み】日本サッカー・プロ化の契機となった岸記念体育館の移転と東京五輪との不思議な関係2018.01.15 20:00 Mon

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▽先週末よりJの各チームは新体制の発表をしたり、必勝祈願をしたり、早いチームはキャンプインするなど、新シーズンに向けて動き出した。13日はFC東京の始動と新体制発表会を取材したが、そこで面白かったのが長谷川新監督のコメントだった。

▽記者から「FC東京でもガンバのサッカーをするのか」という質問に対し、長谷川監督は「別にガンバのサッカーがこういうサッカーというのはない。自分には自分のサッカーがあるだけ」と話し、続けて「ガンバのサッカーは遠藤のサッカー」と断言したのだ。竹を割ったような性格の長谷川監督らしい発言だと感心してしまった。そして「東京には東京の良さがあるので、それを生かしたサッカーがしたい」と、しっかりフォローすることも忘れなかった。

▽さて今回は、スポーツ紙の片隅に載っていた記事を紹介したい。13日に、JR原宿駅から徒歩5~6分のところにある岸記念体育館にメキシコ五輪の銅メダリストやサッカー関係者が集ったという記事があった。

▽いまの読者は知らないだろうが、岸記念体育館といっても、室内で競技のできる体育館があるわけではない。地下1階、地上5階の普通のオフィスビルだ。ただしスポーツ関係者にとって、この体育館を知らない者はいない。何しろ日本体育協会やJOC(日本オリンピック委員会)を始め、日本のアマチュアスポーツのほとんどの連盟がこのビルに集結しているからだ。

▽JFA(日本サッカー協会)も1964年から1994年までは、このビルの3階に、他団体と比べてかなりスペースの広いオフィスを構えていた(301号室)。専門誌の記者になってからというもの、森ジャパンの就任と退任、石井ジャパンの就任と退任、そして横山ジャパンの就任と退任を始め、80年代は多くの記者会見がこのビルで行われた。

▽JSL(日本サッカーリーグ)の事務局も当時はJFA内の片隅ににあったため、日程の発表やベストイレブンなどもここで行われ、シーズン後の表彰式は地下1階にある講堂で、見守るファンもなくひっそりと執り行われた。

▽1階にある売店では日の丸のピンバッジが1個150円くらいで売っていたので、86年メキシコW杯や88年西ドイツEURO、90年イタリアW杯の前には30個くらいまとめて購入した。現地で他国の記者と交換するためだ。当時から日本ではあまり人気のないピンバッジだったが、海外ではW杯に訪れるサポーターを含めピンバッジのコレクターがかなりいた。

▽ただ、時代の移り変わりとともにピンバッジの価値も変わり90年代から2000年代にかけては「ドラえもん」や「ピカチュウ」のピンバッジを求められることも多くなり、テレビ局の知人に分けてもらって交換することも多々あった。そんな習慣も、2006年のドイツW杯以降、ぱったりと消えてなくなった。

▽雑誌や新聞は時差の関係ですぐに原稿や写真を送らなくてもいい時代から、インターネットの普及により、各誌紙はデジタル版を展開することで、仕入れた情報は24時間際限なく送らなければならなくなった。かつてのような牧歌的な取材は過去のものとなった。

▽話が脱線したので元に戻そう。1983年12月、JSL事務局は岸記念体育館を離れる。プロ化を推進するのに、アマチュアの総本山とも言える岸記念体育館にいては身動きが取れにくい。そう判断した森健兒JSL総務主事の大英断だった。森氏は自身の所属する三菱重工が神田小川町に借りているビルの2階と3階を、会社には無断でJSLに又貸ししたのだった。

▽後に森氏は総務主事を川淵氏に譲るが、川淵総務主事を初めてインタビューしたのは岸記念体育館ではなく小川町のJSL事務局で、ハンス・オフト監督をインタビューしたのも同じビルの2階だった。ここから日本のサッカーはプロ化へと大きく舵をきった。もしもあのままJSL事務局が岸記念体育館にあったら、プロ化の波が加速したかどうか。それは誰もわからない問いかけだろう。

▽JSLは93年にJリーグとして生まれ変わり、爆発的な人気を博した。時を同じくして日本代表は1992年のアジア杯に初優勝し、93年のアメリカW杯でも最終予選に進出して初出場に期待が膨らむなど追い風が吹いた。JFAが岸記念体育館にとどまる必要性もなくなったため、JR渋谷駅から徒歩5分のビルに引っ越した。そして2002年の日韓W杯の成功により、現在のJFAハウスを購入するに至った。

▽JFAが渋谷に移転して以来、岸記念体育館に行くことはなくなった。そして来夏には新宿区に移転するという。2020年の東京五輪を控えて、その規模も拡大することだろう。1964年の東京五輪に現在地に移ってから55年、再び巡ってきた東京五輪での移転に感慨深いものを感じてならない。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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諸刃の剣になりかねない「外国人枠拡大」と「ホームグロウン制度」/六川亨の日本サッカー見聞録

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キルギス戦で望むこと/六川亨の日本サッカー見聞録

▽11月16日に大分で開催されるキリンチャレンジ杯、日本対ベネズエラ戦に臨む日本代表の森保監督が前日会見に臨んだ。会見の冒頭、森保一監督は「明日の試合はウルグアイ戦をベースに戦いたい。今日の練習を見て、練習後に変るかもしれないがベースに考えている」とベネズエラ戦のスタメンを示唆した。 ▽今回の2連戦、ベネズエラとキルギスを比較すればどちらが格上かは明らか。このため合流間もない海外組とはいえ、攻撃陣はベストの布陣を組むものと思われる。GKは東口順昭で決まりだろう。個人的には代表経験のないシュミット・ダニエルを見てみたいが、この日公開された冒頭15分の練習を見ても、手にボールが吸い付くようなキャッチングをしているのは東口だけ。彼の牙城を脅かすのは簡単なことではないかもしれない。 ▽CBは吉田麻也と槙野智章で決まりか。負傷で辞退した左SB長友佑都の代わりは佐々木翔、右は酒井宏樹ということになる。初招集の山中亮輔と、Jリーグで台頭著しい室屋成のコンビも見たいが、経験値で前者が起用される可能性が高い。 ▽ボランチは柴崎岳と遠藤航が濃厚で、ここにどこまで三竿健斗が食い込めるか。2列目は右から堂安律、南野拓実、中島翔哉で決まりか。そして1トップに大迫勇也というメンバーだ。意外性のないメンバーではあるが、これが現状のベストという布陣だ。 ▽ただ、そのぶんキルギス戦は森保監督に思い切った選手起用を期待したい。対戦相手はアジアカップで対戦するウズベキスタン、トルクメニスタンら中央アジアの国を想定してのマッチメイクだろう。最新のFIFAランクでキルギスは90位(日本は54位)に位置しているものの、89位のイラク、94位のウズベキスタン、96位のカタールに日本が確実に勝てるという保証はない。未知の国だからこそ、そうした相手にGKシュミット・ダニエルや山中、室屋、富安健洋、北川航也ら国際舞台の経験の浅い彼らがどんな「対応力」を見せるのか(できればU―21日本代表との対戦を見たかった)。 ▽代表チームに負けてもいい試合はない。だからこそ、代表チームの底上げと若手世代の融合を、シビアな状況(ゲームで)テストして欲しいと思う。彼らが日本代表のプライドを示すことができるのか。それができれば緊迫した好試合になることは間違いないだろう。 ▽会見の最後に森保監督は、アジアカップで対戦相手が「(対日本)対策をしてきても、対応力を持って戦いに臨もうと選手には伝えてある。日本が引いて守ったとしても常に連携、連動の意識を持っていれば相手の嫌がるのではないか。コンセプトを浸透させることをやってきているので、慌てることなく試合を進めるように言っている。相手が意外性のあることをしてきても、選手は自信を持って臨めるようにしたい」と控えめな口調ながらも自信をのぞかせた。 ▽最初の試金石となるアジアカップに向け、残り2試合。あとは選手が内容と結果を残すだけだ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.11.16 12:00 Fri
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女性への不適切行為にJFAは素早い対応/六川亨の日本サッカー見聞録

▽今週水曜の7日、JFA(日本サッカー協会)はキリンチャレンジ杯で16日にベネズエ、20日にキルギスと対戦する日本代表23名を発表した。招集メンバーは10月のウルグアイ戦とほぼ同じで、試合中に胸部をボールが痛打し肺気腫となった長友佑都、J1リーグの試合中に相手選手の肘が顔面を強打し眼底骨折した小林悠がメンバーから外れた。 ▽代わりに招集されたのが、レフティーの左サイドバック山中亮輔(横浜FM)と、屈強なフィジカルから対人プレーに強さを発揮する鈴木優磨(鹿島)の2人だった。山中は25歳、鈴木は22歳と、選手として脂の乗り切った年代での選出だけに、どんなプレーを見せてくれるか楽しみである。 ▽そして今回の招集で明らかになったことがある。森保監督は海外組といえども試合に出ていない選手、今回では香川真司、武藤嘉紀、岡崎慎司らロシアW杯組のベテランを招集しないということだ。トップ下の候補が南野拓実しかいないことに不安を覚えるが、アジアカップは今回のメンバーが中心となって臨むことは間違いないだろう。 ▽当日は11月11日から21日にかけて、UAEで開催されるドバイカップU-21日本代表のメンバーも発表された。こちらはU-21世代の板倉滉(仙台)、小川航基(磐田)と、U-19世代の橋岡大樹(浦和)、田川亨介(鳥栖)に加え、U-17世代の久保建英(横浜FM)と3世代の混成チームだ。 ▽そしてA代表の横内昭展コーチがU-21代表の監督代行を務め、逆にA代表のコーチにU-19コーチの秋葉忠宏、U-16コーチの齋藤俊秀を起用したのは、森保監督がテーマに掲げる世代間の融合を意図してのことだろう。こうした試みは初めてのことなので、どのような成果と弊害が出てくるのか興味深い。 ▽さて、翌8日はJFAの定例理事会が開催され、先月31日に女性職員にハグなどの不適切な行為でリトルなでしこ(U-17日本女子代表)の監督を辞任した楠瀬直木監督に代わり、監督代行を務めていた池田太氏の正式な監督就任を承認した。 ▽あわせて監督責任として田嶋幸三会長、須原清貴専務理事、女子委員会の今井純子委員長、手塚貴子副委員長が役員報酬の10パーセントを3か月間、自主返納することを決めた。 ▽楠木氏の辞任はすでに11月1日で報道されていたが、最初は「強敵に勝ったり、W杯出場を決めたりしたら、思わず近くにいたら女性でもハグしてしまうだろう」と、ちょっと厳しい対応だなと思った。しかし詳細を聞くと、出張先の勤務時間中だったり、JFAハウス内での会議後だったりと、ハグする必要のない場面で同じ女性にハグしたという。 ▽これでは「お疲れ様という意味だった」という言い訳は通用しない。今回は不快に感じた女性職員が上司に相談したことで明らかになり、JFAの対応も素早かった。ここ1年、体操女子や柔道女子ではパワハラが明るみに出たり、8月のアジア大会ではバスケットボール選手の回春行為が明らかになったりした。 ▽バスケットボールの選手がわざわざ「JAPAN」のロゴが入った公式ウェアを着て繁華街に繰り出したことを不審に思うかもしれないが、アジアで開催される大会では「JAPAN」のロゴが入っていればアスリートだとすぐに分かるため、モテるのだ。そうした伝統を彼らは受け継いだのだと推測できる。 ▽そうした意味で、今回のJFAの対応は賞賛していい。他競技の不祥事を「他山の石」としたのだろう。被害女性は、最初の1回くらいはガマンしたのかもしれない。しかし2度目となると確信犯である。もしかしたら楠木氏も1回目のハグで何も抗議されなかったので、自分に好意を抱いていると勘違いしたのかもしれない。一般社会でもよくありそうな事例だが、スポーツ界に携わる関係者は、諺にも「李下に冠を正さず」とあるように、疑われる行為は慎むべきである。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.11.10 12:00 Sat
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レフェリーブリーフィング/六川亨の日本サッカー見聞録

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