【六川亨の日本サッカー見聞録】高校選手権と高円宮杯決勝に見る試合展開の違い2018.01.04 18:45 Thu

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▽明けまして、おめでとうございます。今日4日が仕事始めの方も多いでしょう。本年もよろしくお願いいたします。

▽といったところで、第96回全国高校選手権はベスト8が出揃った。大会の印象については決勝戦後のコラムに譲るとして、選手権の1、2回戦を取材して感じたのが、昨年12月17日に開催された高円宮杯U-18決勝との違いだった。

▽FC東京対神戸の試合は、前半に神戸が2点をリードした。ハーフタイムにFC東京の佐藤監督は「みんなの思いが強すぎて、体が動いていない」と指示し、「精神的に差し込まれてもったいなかった」と会見で振り返った。

▽そこでFC東京は、ハーフタイムに2人の選手が交代したものの、後半も前半と同じようにパスをつなぐポゼッション・サッカーを貫き同点に追いつくと、延長戦で神戸を振り切り初の日本1に輝いた。最後まで自分たちの、FC東京のサッカーで優勝したことは見事だった。

▽ただ、観戦していて正直なところ歯がゆさも感じた。2点のビハインドで迎えた後半なのだから、なぜもっと攻撃の圧力を強めないのか、積極的に攻撃を仕掛けないのか。前半と同じような試合展開にもどかしさを感じた。プレミアリーグとはいえ決勝戦は一発勝負。トーナメントの戦い方をしていいはずなのに、リーグ戦のような戦い方は、攻撃の変化に乏しい日本代表やJリーグの試合を見ているようだった。

▽それに比べ、高校選手権では3回戦の明秀日立対大阪桐蔭戦で、リードを許した明秀日立の萬場監督は、後半10分に3人同時に選手交代を敢行。システムも4バックから3バックに変えて攻撃的なサッカーから後半21分に1-1の同点に追いつくと、再び4バックに戻し、PK戦で初のベスト8進出を果たした。

▽高校サッカーは、プレミアやプリンスのリーグ戦以外、インターハイと選手権の予選、本大会はいずれも一発勝負。そういう戦い方に監督も選手も慣れているとも言える。劣勢に立たされたチームは必死に反撃する。だからこそ、見ている観客に感動を与えられるのではないだろうか。

▽昨年末に取材した田嶋JFA(日本サッカー協会)会長も、自身が先頭に立って「切磋琢磨した試合をやろう」とプレミアリーグやプリンスリーグを立ち上げた。しかし近年は「慣れてくると1試合1試合、クオリティよりも最後のこの試合に勝ちさえすればいいというような試合展開になり、ファイトがない試合になる」と苦言を呈し、変革を口にしていた。

▽どちらがいいのかという問題ではなく、育成とは何なのか、日本サッカー全体が取り組まなければいけない課題でもある。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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日本人監督で初のアジア杯制覇に挑戦/六川亨の日本サッカー見聞録

1月17日、アジアカップのグループリーグ最終戦があり、ウズベキスタン代表と対戦した日本代表は武藤、塩谷のゴールで2-1の逆転勝ちを収め、グループFを首位で突破。21日の決勝トーナメント1回戦でグループE2位のサウジアラビア代表と対戦することになった。 試合前日の記者会見で森保一監督が示唆したように、日本はスタメン10人を入れ替える前代未聞の選手起用を見せた。アジアカップでは初めての出来事であるし、過去の記憶を辿っても、2005年の東アジア選手権でジーコ監督がトライしただけだ。 そのときは初戦で北朝鮮に0-1で敗れたため、第2戦の中国戦でジーコ監督は総入れ替えを断行したが、どちらかというと懲罰的な意味での全取っ替えだった。 それに比べ、今回はサブ組のストレス解消と、決勝トーナメントに向け警告を受けた選手(権田、酒井、堂安、南野)ら主力を温存する目的があったと推測できる。結果は“吉”と出たし、むしろ過去2戦よりも落ち着いて見られるほど日本の試合運びは安定していた。 W杯に限らず、初戦の難しさと勝つことの重要性、そしてグループリーグで2連勝することのアドバンテージを改めて感じたものだ。試合後の武藤嘉紀は「こういうことがあるとチームの底上げにつながると思うし、誰が出ても変わらないことを証明できた」と胸を張ったが、逆にサウジアラビア戦ではどのようなスタメンをチョイスするのか。森保監督も今頃は頭を悩ませているのではないだろうか。 そのアジアカップだが、日本が初めて本格的に参戦したのは1992年に地元広島で開催された大会からだった。それまでは予選が国内リーグと重なること、決勝大会は天皇杯と重なるといった理由から辞退することが多かった。 本格参戦した92年以降、日本は9大会連続9回目の出場を果たし、最多記録となる4度の優勝を飾っている。その歴史を振り返ってみると、外国人監督の歴史でもある。初優勝は92年広島大会のハンス・オフト監督、2度目は自国開催のW杯を控えた2000年のレバノン大会で、フィリップ・トルシエ監督が率いたチームは中村俊輔や名波浩を擁し、「アジア最強」と称されるほど圧倒的な強さで優勝した。 連覇のかかる2004年中国大会は前述のジーコ監督で、準々決勝のヨルダン戦ではPK戦でGK川口能活のファインプレーもあり、接戦を制しての連覇だった。そして2011年カタール大会はアルベルト・ザッケローニ監督が準決勝の韓国戦、決勝のオーストラリア戦とアジアのライバルを連破してアジアの頂点に立った。 ただ、00年まではチーム一丸となって優勝に突き進んだものの、ジーコ・ジャパンになってからは、いわゆる“国内組”と“海外組”との軋轢も生じるようになった。試合に出られない選手らはベンチに座っていても笑顔はなく、練習中もあまり喜怒哀楽を表さない。しかし、選手は監督に不満をぶつけることなく耐えてきた。 それはジーコ監督に限らず、ザッケローニ監督、そして前回のハビエル・アギーレ監督も同じたったような記憶がある。 ところが森保監督は、今大会の2試合目が終わった時点で試合に出られない理由を選手から聞かれ、しっかりと説明したという。ここらあたり、言葉の壁がないのが日本人監督のアドバンテージと言えるだろう。 アジアカップに日本人監督で臨むのは今回が2度目となる。1996年のUAE大会に臨んだ加茂周監督は、グループリーグこそ突破したものの準々決勝のクウェート戦でロングボールからの2失点により0-2と敗退した。それ以来となる日本人監督によるアジアカップ。果たして森保監督は、日本人監督としてアジアの頂点を極めることができるのか。今後の選手起用も含めて目の離せない森保ジャパンである。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.18 22:15 Fri
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アジア杯インド躍進の原因/六川亨の日本サッカー見聞録

1月6日に開幕したアジアカップ2019は、9日のグループF、日本対トルクメニスタン戦により全チームが1試合を消化した。タイがインドに1-4で大敗し、優勝候補のオーストラリアもヨルダンに0-1と足下をすくわれた。そして韓国もフィリピンに1-0の辛勝と苦戦したのは意外だった。 そして迎えたトルクメニスタン戦でも、日本は先制点を許す苦しい立ち上がりとなった。幸いにも3-2と逆転勝利を収めることができたが、森保監督を始め選手たちも「初戦の難しさ」を口にしたが、苦戦したのはそれだけではない。森保監督が心配したとおり、「国内組、海外組、ケガ人」とコンディションがバラバラだったからだ。 加えてトルクメニスタンは予想以上に組織された好チームだった。前線の3人、オラサエドフ、アマノフ、ミンガゾフの3人は「個の力」で突破するだけの破壊力を秘めていた。 海外組が主力を占める韓国やイラン、オーストラリアは日本と同様にコンディション調整に苦労しているのではないか。それが初戦の躓きの原因になったのだろうと推測した。しかし2戦目を迎えた10日のグループA、インド対UAEの試合を取材して優勝候補の苦戦はコンディションだけではないと考え直した。 試合は地元UAEが2-0で今大会初勝利をあげたが、前半に試合を支配したのはインドで、2度のGKと1対1のシーンでゴールを決めていれば違う結果になった可能性も大だった。タイに4-1と大勝した試合はインドがフィジカルで圧倒したと聞き、イングランド人のステファン・コンスタンチン監督がパワープレーで押し込んだのではないかと予想した。 ところがインドは、タイに負けず劣らずスキルフルなチームで、右MFのウダンタ・シンは一度ボールを持つとUAEの選手も簡単には奪えず、柔軟な身のこなしによるフェイントでマーカーを翻弄した。2トップの一人でキャプテンのスニル・チェトリは、スピーディーなドリブル突破だけでなくスルーパスも出せる攻撃の中心選手。 彼ら以外も高い個人技を有しつつ、UAEに負けないだけのフィジカルも持っている。守備では4-4-2からフラットでコンパクトな3ラインを保ち、前半はショートカウンターを見舞っていた。これならタイに大勝しても不思議ではないと納得した。 アジアカップは今大会から8チーム増の24か国で争われる大会に拡大した。それまでなら予選で敗退していたチーム、今大会が初出場となるイエメンやキルギス、フィリピンに加え、久々に出場権を獲得したレバノンやトルクメニスタン、インドなどはアジアカップの常連国にとって“草刈場”になるのではないかと危惧した。 ところがフタを空けてみればインドを始めパレスチナやキルギス、フィリピンは大健闘と言っていいだろう。そしてインド対UAE戦を取材して感じたのは、選手はもちろんのこと、スタジアムを埋めた(両国の観戦者でほぼ満員)現地在住のインド人サポーターも大会を楽しんでいたことだ。 聞けばインド代表は昨年12月のクラブW杯の頃からUAEでキャンプを張っていたらしい。インドに限らず、今大会を待ち望んでいた国々は多いのではないだろうか。これは余談だが、ハーフタイムにサポーターがスマホのライトを振ると、DJがインドサポーターに向かって「エーオ! エエエオー」と繰り返し呼びかけていた。 クイーンのファンや映画ボヘミアン・ラプソディを見た方ならご存じだろうが、コンサートでフレディー・マーキュリーがファンに向けた呼びかけだ。フレディーは青年期をインドの学校に留学し、寄宿舎生活を送った時期がある。今後、インドが国際舞台で活躍する際は、この呼びかけが彼らの定番になるのではないかと思ってしまった。 話をアジアカップに戻そう。大会の規模拡大の成功は2年前のEUROでもあった。今回と同じく8チーム増の24か国にしたところ、アイスランド、ウェールズ、スロバキア、北アイルランド、アルバニアの5か国が初出場を果たした。そしてウェールズはベスト4、アイスランドは「バイキング旋風」を起こしてベスト8、スロバキアと北アイルランドもグループリーグを突破した。 日本代表の強化のためには、ヨーロッパのビッグネームをJリーグに呼ぶのも1つの方法だが、アジアで埋もれている有能なタレントをJリーグに呼んでみてはいかがだろうか。代理人の方には今からでもアジアカップの視察に訪れて欲しい。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.11 16:00 Fri
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アジア杯でモルテンが公式試合球に/六川亨の日本サッカーの歩み

みなさん、明けましておめでとうございます! 本年もよろしくお願いいたします。 といったところで、高校選手権はベスト4が決定し、優勝候補の青森山田と流経大柏が接戦を制して勝ち上がった。この2校に尚志と瀬戸内がどんな戦いを挑むのか楽しみだが、残年ながらUAEで開催中のアジアカップ取材のため試合を観戦することはできない。 そのアジアカップだが、5日に開幕戦が行われ、地元UAEはバーレーンと1-1で引き分けた。W杯もそうだが、国際大会の初戦で敗退するとグループリーグ突破はいきなりピンチを迎える。このため両チームとも失点のリスクを恐れて腰の引けたような試合の入り方だったのは致し方ないだろう。翌日には優勝候補の一角であるオーストラリアがヨルダンに0-1で敗れたように、簡単に勝てないのがアジアカップでもある。 そんな今回のアジアカップでは、大会を始め2019年はAFCカップや男女年代別国代表の大会、フットサルイベントなどの大会で、日本のボールメーカー大手モルテンのサッカーボールが公式試合球として使用されることになった。AFCが主催する大会にモルテンが試合球を提供するのは初の試みでもある。 日本代表は昨年末の練習初日から、今大会の公式球であるモルテンのサッカーボールを使い、その感触を確認していた。GK東口によると「使っているのと違うので、早く慣れないといけない。結構、表面が硬い。アディダスは芯を食いやすいけど、ちょっと薄いかな」と感想を漏らしていた。 現在、日本で発売されているアディダスブランドのサッカーボールの多くは、モルテンからOEM供給がなされている。アディダスブランドの名の下でモルテンのサッカーボールは世界中のプレーヤーに認められた製品となっているのが現状だが、それでもボールの品質には微妙な違いがあるのかもしれない。 モルテン社の躍進については別の機会に紹介するとして、今回は日本代表とサッカーボールにまつわるトリビアを紹介しよう。 1984年のロス五輪最終予選前まで、日本代表は国産メーカーのヤスダ(昨年、クラウドファンディングでスパイクが復活)やミカサのサッカーボールを練習で使用していた。しかし五輪やW杯予選では、82年スペインW杯のために開発されたアディダス社の「タンゴ」が公式試合球だった。 このため当時の代表監督だった森孝慈(故人)はJFA(日本サッカー協会)に掛け合い、練習から「タンゴ」の使用を訴えて実現させた。いまから思えば当たり前のことだが、当時はそんなことすら思いつかないほど、日本と世界の距離は遠かった。 同様に、当時の代表ユニホームにとスパイクは、アディダス、プーマ、アシックスの3社が交代でオフィシャルサプライヤーを務めていた。日本代表がアディダスなら、学生選抜とユニバーシアード代表はプーマ、ユース代表はアシックスで、翌年は順番が入れ替わるといった具合だ。 余談だが、この循環はナイキの台頭により1999年にアディダスが日本代表と包括契約を結ぶことで終結する。ナイキのオファーに対し、プーマとアシックスの両社はナイキを上回るオファーを出せず、アディダスだけが近い金額を提示できたからだった。 話を森ジャパンに戻すと、当時の代表選手だった木村和司や金田喜稔らは、個人的な契約があったかどうか不明だが、アディダスのコパ・ムンディアルというスパイクを愛用していた。しかし日本代表との契約でアディダス社のスパイクを履くことができない年もあった。そんな時に彼らはスアディダスのパイクのラインを黒く塗っていた。 そこで森監督はサッカーボールと同様に、「選手が能力を発揮しやすいスパイクを履けるようにして欲しい」とJFAに提案し、当時の長沼専務理事(故人)も理解を示した。それ以降、サッカーボールは国際基準のボールを練習から使用するようになり、選手は個人契約しているメーカーのスパイクを履けるようになった。 いずれも、いまでは当たり前のことだが、それが当たり前ではない時代もあったのが1980年代の日本サッカー界だった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.07 15:00 Mon
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夢フィールドとJヴィレッジの共存に期待/六川亨の日本サッカー見聞録

▽今月の25日、JFA(日本サッカー協会)は千葉市の幕張海浜公園内に新設中の日本代表トレーニング施設の名称を「JFA夢フィールド」に決定したと発表した。同施設は天然芝と人工芝のグラウンド各2面のほか、フットサルアリーナやクラブハウスを備え、選手育成や指導者養成などに活用される。 ▽運用は2020年3月に開始する予定で、会見に臨んだ田嶋JFA会長は「代表強化、ユース世代の育成、指導者・審判養成を三位一体でやっていきたい。またJFA夢フィールドを国際交流の場にしたいし、地域の子どもたちとの交流の場にもしていきたい。JFA夢フィールドは“ワールドカップ優勝”という大きな夢を実現するための重要な場です」と力説した。 ▽昨日26日からは、来年1月のアジアカップに臨む森保ジャパンが第1カッターフィールド(秋津サッカー場)で練習を開始したが、これまで日本代表は秋津サッカー場や味の素フィールド西が丘など、既存の公共施設を借りていた。しかし20年からは自前の専用施設を持つことで、年代の垣根なく強化することも可能になるだろう。 ▽元々は大仁JFA元会長の「都内に代表専用の練習施設を造りたい」という夢だった。さすがに都内は難しかったものの、幕張なら都心や羽田、成田の両空港ともアクセスしやすい場所でもある。今後は建設費用の一部を寄付金で募る予定で、目標額は2億円以上だそうだ。 ▽といったところで気になるのが、1997年7月に日本初のサッカーナショナルトレーニングセンターとして開設されたJヴィレッジの今後だ。2011年3月11日の東日本大震災の影響で全面封鎖となっていたものの、今年7月、「福島復興のシンボル」として再始動した。 ▽施設としては天然芝のグラウンド5面と人工芝のグラウンド1面、センターハウス、フィットネス棟、雨天練習場、プール、200室の新宿泊棟、5000人収容のスタジアムが7月28日から再始動し、2019年4月には天然芝のグラウンド2面と人工芝のグラウンド1面が加わり、JRの新駅も施設のすぐ目の前に開業する予定だ。規模としては「JFA夢フィールド」をはるかにしのいでいる。 ▽Jヴィレッジの副社長を務める上田氏は「スポーツだけでなく、様々な催し、イベントも開催できる施設」として期待を寄せ、サッカー以外の競技にも開放する予定だが、果たしてどれだけの利用者がいるのかは不明だ。すでにJFAアカデミー福島も再開されているが、今後は「JFA夢フィールド」とどのような棲み分け、あるいは共存が可能なのか。 ▽一時は東京五輪のベースキャンプ地に予定されていたものの、「JFA夢フィールド」の完成により使用されない可能性も出てきた。これだけ立派な施設があるのだから、効果的な活用方法をJFAには期待したい。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.12.27 22:10 Thu
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スタジアム基準の改定に思うこと/六川亨の日本サッカーの歩み

▽12月12日、来月からUAEで開催されるアジアカップの日本代表23名が発表された。これまで招集されたメンバー主体で、ケガで小林悠と三竿健斗、鈴木優磨が外れたくらいで、これといったサプライズはなかった。新天地を模索している香川真司と、海外移籍が濃厚な昌子源は1月の移籍ウインドウと重なるため、森保一監督も招集に配慮したと推測される。 ▽小さな驚きは浅野拓磨が復帰したくらいで、恐らく西野朗元日本代表監督が秘蔵っ子の宇佐美貴史をロシアW杯のメンバーに選んだように、森保監督にとっても浅野は自身が育成した選手だけに、可愛いのではないだろうか。 ▽当日は午後4時40分から定例のJリーグ理事会の報告と、それに続いてJリーグのスタジアム基準の改定が報告された。これまでJリーグは93年の開幕以来、1万5千人収容のスタジアムが義務づけられていた。その後、J2の誕生により1万人収容でナイター設備を完備、さらにJ3の誕生では5千人収容でナイター設備は義務づけないという基準が設けられた。 ▽しかしながら、これらの基準を満たすことができず、14年はJ2で5位の北九州がプレーオフに出場できず、17年はJ3優勝の秋田がJ2に昇格できなかった。さらに今年はJ2で4位の町田がプレーオフに出場できなかったのは記憶に新しいところ。 ▽そこでJリーグは来年度から例外規定1として、「スタジアムの改修工事に着工しており3年以内に完成可能であれば、(昇格のための)上位ライセンスの取得を可能とする」という期間の短縮を蹴ってした。 ▽さらに例外規定2として1)ホームタウンの中心市街地よりおおむね20分以内でのアクセスが可能なこと。2)すべての観客席が屋根で覆われていること。3)ビジネスラウンジやスカイボックス、高密度Wi-Fiを備えていること。4)フットボール専用スタジアムであることという、Jリーグが掲げる「理想のスタジアム」への改修もしくは新スタジアム建設が5年以内に可能であれば、当該するライセンスの取得が可能(例外規定1との併用も可能)とする新たな基準を設けた。 ▽こうした改定に基づき、トレーニング施設の整備に関しても3年の猶予期間を設置し、「理想的なスタジアム推進のための補助金」を、1クラブあたり最大1千万円を拠出することも決めた。 ▽先月末の当コーナーでも、Jリーグ創設当初に比べて「おらが町のクラブ」が増えている現状では、1万5千人というキャパシティを義務づけるのはそぐわないという原稿を書いた。ようやくJリーグも25年が経ち、ちょっとではあるが現実を認識しているようだ。組織というものは、大組織になればなるほどルールを作った人間がいなくなると、ルールそのものがアンタッチャブルな存在になり、誰も変更しようとしない傾向が強い。 ▽Jリーグなら、初代の川淵チェアマンの影響力は絶大だったし、その後の歴代チェアマンも同じ路線を踏襲した。やっと現在の村井チェアマンになって、外国人枠の緩和とホームグロウン制度の導入で、ヨーロッパのリーグに近づけようとしている。そしてスタジアムの規制緩和である。これは歓迎すべき改定と言えるだろう。 ▽会見に臨んだクラブライセンスマネジャーの青影氏は、もともとデロイト・トーマツ・コンサルティングで企業再生のコンサルタントを務めていて、地元である大分トリニータの経営危機に際し、手腕を発揮した人物である。 ▽その青影氏に、実際にこの制度を利用するクラブがあるのかどうか質問したところ、「クラブ側も手を上げるかどうかで、これまで議論してきた。利用するクラブはいくつもあるだろう。来年の6月末(クラブライセンスの申請)に向けて、クラブと地元ステークホルダー(企業や行政)と協議することになる。何クラブか出るのではと思うので、我々も寄り添っていきたい」と理解を示した。 ▽さらに来シーズンは八戸がJ3に昇格するなど、地方クラブの台頭が目立つ。果たしてJ1昇格には1万5千人収容のスタジアムが必要なのかを聞くと、「この議論では1万5千人を下げて欲しいというクラブもあった。まずは基準の緩和に取り組む。それだけでも緩和できる。実際、席について、J2は1万人の個席だったのを、個席は8戦席で2千人は立ち見席でもOKと緩和した」と基準を改定したことを明かした。 ▽J1は1万5千人収容というハードルはまだまだ高いが、Jリーグのさらなる検証と検討を期待したい。そして最後に「理想のスタジアム」だ。収益の確保のためにはキャパシティを増やし、ビジネスラウンジやスカイボックスの設置も必要だろう。それと同時に、冷暖房の完備や電気、ガス、上下水道、トイレを始め仮設住宅としての広大な駐車場など「ライフラインとしてのスタジアム」の存在意義も明示して欲しかったというのが正直な感想だ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.12.13 19:30 Thu
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