【Jリーグが伝えたい事】第2回:Jリーグとファン・サポーターが手を組み、“夢と希望”を与えた「サポユニforsmile」2017.12.27 12:00 Wed

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▽Jリーグが目指すもの、Jリーグが生み出してきたものについて株式会社Jリーグ マーケティング専務執行役員として多忙な日々を送る山下修作氏に語っていただく連載インタビュー『Jリーグが伝えたい事』。第1回目は、Jリーグが後援する映画『MARCH』を通じての東日本大震災を始めとするJリーグの支援活動について伺った。▽支援に関しては、東日本大震災以外にも様々な部分で活動しているJリーグ。その中で、第2回目は、Jリーグが2011年より実施している「サポユニforsmile」という活動にフォーカス。サポーターから寄付された各クラブのユニフォーム・コンフィットシャツをアジアの子どもたちに届ける企画を通じて、Jリーグが伝えたいこと、またその先に目指す形についてお話を伺った。

取材・文=菅野剛史

▽2011年にカンボジアへの寄付から始まったこの活動。2013年は東ティモール、2014年はミャンマー、2015年はブータンとモンゴル、2016年はスリランカ、そして2017年はバヌアツへ、Jリーグ各クラブのユニフォーム・コンフィットシャツを寄付している。その枚数は合計で4,227枚。全て各クラブのファン・サポーターから寄付されたものだ。
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▽アジア各国の子供たちへのユニフォーム寄付をスタートさせたキッカケについて山下氏にお話を伺うと、山下氏こそがその発起人であったものの、Jリーグの国際化が目的であり、ユニフォームの寄付ではない部分が当初の目的であったと明かしてくれた。

「きっかけは“アジア戦略”と言われていますが、当時はJリーグを国際化したいという思いがあり、特にアジアと何かできるんじゃないかと考えていました。当時はタイ・リーグが立ち上がり、非常に盛り上がっているという話を聞いていました。そこに何かマーケットがあるんじゃないかと思いました」

▽現在でこそ、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)に多くのチームが出場しているタイ・リーグ。南米や欧州からも選手が移籍してプレーしている。2011年に現在の形が完成し、当時はその後の発展を遂げるための、大きな変革期であった。日本人選手も数多くプレー。ムアントン・ユナイテッドに所属するDF青山直晃は、今シーズンのACLで鹿島アントラーズと対戦するなど、日本との関りも深いリーグだ。

▽タイのサッカーに興味を抱いた山下氏だったが、「タイ・リーグとJリーグで何かしたいと言っても、一体何がしたいのかと。また、私自身もタイ・リーグを生で観たことがなく、実体験ではなく本やネットで読んだだけの情報で何かを伝えても、人への説得力はありませんでした」と、雲を掴むような状況であったとの事。そんな山下氏は「なんとか仕事でタイ・リーグを見にいきたい」と考え、そこで1つのアイデアを思い浮かんだ。それが、ユニフォームの寄付だった。

「当時の私がやっていたことは、ウェブサイトの運営やプロモーションだったので、タイ・リーグを仕事で観に行くことはありませんでした。ただ、プロモーションの一環としてソーシャルメディアを使いつつ、ファン・サポーターの方々にユニフォームをカンボジアに持っていくと呼びかける。そのユニフォームを送ってもらって、カンボジアに届けた帰りにタイ・リーグを観る。当時カンボジアへの直行便はなかったですが、タイ経由で行けば、やりたかったカンボジアの子供たちへの支援とタイ・リーグを観ることができます。それで企画しました」

▽第1回目のインタビューでキーワードになっていた「何かできることはないか」の精神。山下氏は、カンボジアの子供たちへの支援という側面と、Jリーグの国際化を目指したタイ・リーグの視察を同時に叶えるための企画を思いつき、それがその先のJリーグの活動に大きな影響を及ぼすこととなった。

▽カンボジアを最初の支援先に選んだ理由については、「1つはタイを訪れたかったことで、その周辺国だからです」と正直に答える山下氏。しかし、ユニフォーム寄付を通じても、1つのメッセージをJリーグクラブのファン・サポーターに届けたかったことを語ってくれた。

「一番はじめにこの活動をするのに、ファン・サポーターたちに何かを訴えていきたいと考えました。その時、当時カンボジアは東南アジアの中でも貧しい国の1つでした。過去の歴史を見ても、大変な思いをしてきた国です。その辺りで何かできなかということを考えました」

▽東日本大震災での経験もあった中、ただ支援をするだけでなく、それをJリーグに、そしてファン・サポーターに還元することまで考えた末の企画。その動きは、“Jリーグらしさ”とも言える、特殊なスタイルにも表れた。
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「ユニフォームを寄付する」ということを頭に思い浮かべた場合、ユニフォームの提供元は、各クラブやメーカーからということが考えられるだろう。しかし、山下氏はリーグやクラブではなく、「ファン・サポーター」からのユニフォーム提供という道を選択。その決断に至ったのは、Jリーグが行っていたPR活動の1つであったと明かしてくれた。

「プロモーションをやらせてもらっていた時に、足立梨花さんがJリーグ特命PR部の女子マネージャーをやっていらっしゃいました。その特命PR部の活動の一環として、ソーシャルメディアを使って何かPRをしてくれたら、アイコンバッチをお送りするという運動をしていました。年に7回行い、お題を出してはそれに答えてもらうようなことを、ファン・サポーターのみなさんとやっていました」

▽現在は足立梨花さんの後を継ぎ、“サトミキ”こと佐藤美希さんが女子マネージャーを務めているJリーグ特命PR部。佐藤さんは、試合日に各スタジアムへと足を運び、選手だけでなくファン・サポーターとも交流。さらに、自身のSNSやテレビ番組への出演により、ファン・サポーター以外にもJリーグにより興味を持ってもらう活動を続けている。

▽足立さんから佐藤さんへと継続され、Jリーグが推し進めているファン・サポーターとの交流が、この「ユニフォーム寄付」に大きく影響を与えることとなった。

「当時、7つ目、最後のお題が、ユニフォームを持っていくPRを手伝ってくださいというものでした。『できれば、みなさんもユニフォームを送ってください』という形でやらせていただきました。それにより、ファン・サポーターの方々にユニフォームを送ってもらえましたね」

▽初の試みながら、カンボジアへと寄付されたユニフォームは451枚。多くのファン・サポーターが、Jリーグの企画に力を貸してくれた。ファン・サポーターにとっては、自身が応援するクラブの選手たちと共に戦うための“戦闘服”とも呼べるユニフォーム。しかし、Jリーグが繋げてきた想いは、すでにファン・サポーターに届いており、その想いに応えるべく、Jリーグも行動を続けた。

「ユニフォームを現地に持って行ってからは動画も作りますし、ユニフォームを送ってくれた方々に感謝状のようなものをお送りしています。現地の様子をポストカードにして、手書きで『ご協力ありがとうございました』といったメッセージを添えてお送りしています」

「それに対して、『Jリーグってこんなこともやってくれるんだ』というようなことを受け取ってくれた方が、ネット上で書いてくれたりして、Jリーグを身近に感じてもらうことにも繋がっているなと思います」

▽反響の大きさは2017年まで活動が続いていることからも明らかだ。寄付されるユニフォームの枚数に関しては「支援先にヒアリングして、何枚ほど送る方が良いのかを相談して決めています」と教えてくれた山下氏。寄付先によっての変化はあるものの、ここまで活動を続けるためのユニフォームをファン・サポーターが寄付し続けてくれていることはまぎれもない事実だ。

「国際貢献といえば、ボランティアとしてどこかに行かなければいけないような、ハードルが高いイメージがあります。募金だと、最終的に何に使われたかがわかりません。ただ、ユニフォームを送って、それが子供の笑顔に繋がる。それが動画や感謝状で見てもらえるようになる。これは、Jリーグを応援してくださっているからこそできる国際貢献だと思います」

▽Jリーグが紡いできた「何かお役に立てるようなことがないか」という精神は、東日本大震災の支援の際にもファン・サポーターから感じられた。しかし、世界に目を移した場合にも、その精神は保たれ、Jリーグとファン・サポーターが同じ歩みを進めていることを改めて感じさせられた。

▽そして、Jリーグも、この活動を通じてファン・サポーターとの距離感が変わってきていることを感じているようだ。
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「確実に距離感は縮まっています。ユニフォームを送ってもらうにしてもJリーグのオフィスですし、送っていただいた方で住所を明記してくださっている方々には、確実に感謝状を送っています。そこでコミュニケーションが発生していますね。そういう面では距離感としては縮まっています」

「送っていただく時に、手紙を書いていただける方もいます。中には『前回も送らせていただきました』と書いてくれている方もいます。『今回でこれ以上送られるものがありません』というような方もいます(笑)。いずれにしても、複数回送ってくださる方たちが多くいらっしゃいます」

▽2011年当初は別の目的もあった中で企画されたユニフォーム寄付の活動だが、いつしかJリーグとファン・サポーターを繋ぐ架け橋になり、そして世界とJリーグ、世界とJリーグクラブのファン・サポーターの架け橋にもなっている。

「日本でサポーターの方たちが大事にしているユニフォームですが、タンスの中にしまわれているものもあります。それが場所を変えると子供の笑顔に繋がる。それはとても感じています。同じものですが、日本でしまっておくだけでなく、海外の子供たちに渡せばみんなが笑顔になれます」

▽ユニフォームを寄付することで、世界の子供たちを笑顔にさせていく。その一方で、Jリーグが世界に広がっていくキッカケにもなっているこの活動。山下氏が当初に思い描いていたもう1つの狙いも、活動を続けて行くことで広がりを見せはじめている。

「マーケティング的に狙っているということではないですが、例えば自分が小さい頃に海外の人と触れ合った記憶は今でも覚えているものです。現地の子供たちにとっては、よくわからない日本人が来たとなるでしょうが、ユニフォームをもらえてサッカーをしたことが心に残ってくれれば良いなと思います。また、これをきっかけに日本に行くという夢を持ってもらえればなと思います」

▽幼少期の感動体験というのは、誰しもが記憶のどこかにあるはずだ。そして、それはJリーグクラブのユニフォームをもらった子供たちも同じ。山下氏は、2017年の夏に知った、意外な事実を明かしてくれた。

「第1回でカンボジアに行った時にユニフォームを配り、今年の夏に私の知り合いがカンボジアを訪れました。そこで、18歳くらいの若者が水戸ホーリーホックのユニフォームを着ていたそうです。話しかけてみると、「昔、日本人からこのユニフォームをもらった。このマークのクラブ(水戸)のサッカーを観に行きたくて、お金を貯めているんだ」と言っていたと連絡をもらいました」

「多分、その日本人は僕ですね(笑)。数年前にカンボジアで、水戸のユニフォームを配っていた人はあまりいないでしょう。確証はないですが、僕が配って受け取ってくれた子じゃないかなと思っています。ユニフォームをもらったことがきっかけで、水戸の試合を観るために日本に行ってみたいと思ってくれている。そのために、今は運転手をしながらお金を貯めているようで、それを聞いた時は嬉しかったですね。そういうものがどんどん広がって行くと良いなと思っています」

▽Jリーグクラブのファン・サポーターを巻き込んでスタートした活動が、現地の子供たちに夢を与え、それが数年経っても色褪せるどころか、より大きな夢になっている現実。そして、Jリーグだけでなく各クラブが進めるアジア戦略の行動も、Jリーグを広めることに影響を及ぼしているようだ。

「今年はチャナティップ選手がタイから北海道コンサドーレ札幌に来て活躍しています。この前、スタッフがラオスに出張で行きましたが、ラオスでもチャナティップ選手のユニフォームを着ている方がいたようです。それも、札幌のユニフォームだったようで、そういう影響はタイだけでなく隣の国でも出ているんだなと感じています」
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▽Jリーグがファン・サポーターと協力して支援して行くこの活動。寄付したユニフォームの枚数も4,000枚を超え、寄付する国や地域も広がりを見せている。順調に進んでいると思われる活動だが、山下氏は課題を口にした。

「今は年に1回の活動ですが、そこがもう少しできるようになることですね。他にも、今は現地に行ってユニフォームを渡してサッカーをして終わりです。継続的に何かをすることができていないので、継続支援をしつつその回数を増やす。その両面をやっていけることが、本当は良いことだと思います」

▽2011年から始まり、7年間で7カ国に寄付されたユニフォーム。しかし、それでも足りないと考え、さらに活動を増やしていきたいと語ってくれた山下氏。目標についても明かしてくれた。

「リソースの部分もありますので、できるところを1つ1つ。最低限で言えば、今は4,200枚くらい配りましたが1万枚くらいはクラブのユニフォームが世界中の子供たちに届けられると良いなと思います」

▽1万枚という数字は、これまでの活動を考えればこの先数年で達成できる目標だろう。しかし、多くのユニフォームを世界各地の子供たちに届けることが、本来の目的ではないはずだ。Jリーグが積み重ねてきた魅力、ファン・サポーターとともに育んできたJリーグならではの文化が、アジアをはじめとした世界の人々に伝わることが目的だ。
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「色々なクラブのユニフォームが一カ所に集まると色とりどりです。今年はバヌアツにJリーグの女性スタッフも連れて行きましたが、『お花畑のようだ』と言っていました。本当に色とりどりで、ユニフォームを着た子供たちが遊んでいる姿を見ると、Jリーグが積み重ねて来たクラブが増えているという効果が、違った場所でも見られるなと思います。たくさんのクラブがあって、そのサポーターがこのような支援をしてくれる。それはJリーグが積み重ねて来たものに繋がるなと思います」

▽10チームからスタートしたJリーグは、開幕から25年が経過し、リーグが3つに増え、チーム数は「54」にまで増加した。リーグとしての規模が大きくなっただけでなく、リーグの成長に寄り添う形でファン・サポーターも大きく成長していることは、国際貢献に繋がる支援からも見てとれた。

▽最後に、2018年以降のユニフォーム寄付についてお尋ねした。

「正直に言えば、まだ決まっていません。これから支援する国などの相談をJICA(国際協力機構)にします」

「こういう活動を続けていると、他の色々なところから話をいただけるようになってきました。JICAとの活動を続けながらも、他にもJリーグとして“お役に立てることはないか”という可能性を探って行きたいと思います」

▽2018年の活動についても、そのうち発表があるはずだ。このコラムを読んでユニフォームを寄付したいと思われた方には、2018年の活動の際に、ぜひご協力いただければと思う。(了)

【Jリーグ公式チャンネル】バヌアツの子どもたちにJクラブのユニフォームを届けてきました!

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【Jリーグが伝えたい事】第3回:キーワードは「共に成長」、25年間にわたるヤマザキビスケット社との歩み

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src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/cws20180227_2_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;">(C)J.LEAGUE</div><div style="text-align:left;font-size:small;">[Jリーグ開幕後の1993年大会を制したヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)は第1回大会から3連覇]<hr></div> ▽当時のJリーグカップを観た山下氏は高校2年生だったという。そこから25回の開催を重ねたJリーグカップを支え続けたヤマザキビスケット社に対しては、感謝の気持ちしかないという。 「その頃から支えていただいていると思うと、感謝の言葉しかないです。Jリーグに関わってきた人はみんなその気持ちがあると思いますし、世界に誇れる素晴らしい大会だなと思っています」 ▽2012年に20回目の開催を終えたJリーグカップは、2013年に「同一企業の協賛により最も長く開催されたプロサッカーの大会 (Longest sponsorship of a professional football competition)」としてギネス世界記録に認定されている。 ▽Jリーグカップを支え続けているヤマザキビスケット社との取り組み。観戦者として第1回大会に触れた山下氏は、第25回大会となった2017年には運営などで大会に直接携わっている。その中で、実際に大会に携わることで、改めてヤマザキビスケット社がJリーグカップに懸ける思いがあることを感じているようだ。 「直接携わると、それまで見えていなかった部分があるということもあります。そして、ヤマザキビスケット様がこの大会に懸けている思いというのをお伺いすることもありました。期待値以上のことにお応えし、協賛していただいていることに対して、お返しできるということを考えています」 「一方が頼るということではなく、お互いが共に成長するということが実現できればなと考え、運営などに携わっています」 <div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/cws20180227_3_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;">(C)J.LEAGUE</div><div style="text-align:left;font-size:small;">[2000年、国内3冠を達成した鹿島アントラーズ]<hr></div> ▽25年にわたり「共に成長する」という点では、大会方式の変更や新たな取り組みを行い、大会そのものも成長し続けている。そこには、出資するという意味での「スポンサー」としての関り方以上のものがあることを教えてくれた。 「大会方式の変更に関しては、我々もこの大会をもっと成長させて日本サッカーを成長させたいとか、こういった方式にした方が露出も増えるとか。ヤマザキビスケット様にもメリットをお返しできるんじゃないかというところから、工夫をして提案し、認めていただいているというところです」 「本当に包容力があるというか、「もっとこうしてくれ」という形ではなく、Jリーグとして考えていることを尊重してくださります。我々もヤマザキビスケット様のことを考えて、日本サッカーのことを考えて提案しているので、凄くご理解をいただいているので、ありがたいですね」 ▽共に手を取り合い、一緒に歩みを進めてきたことで、「共に」成長していったJリーグカップ。しかし、2016シーズンに大きな転機を迎える。それは、大会名称の変更だ。 「Jリーグヤマザキナビスコカップ」として親しまれてきたJリーグカップが、2016シーズンのグループステージ終了後に「JリーグYBCルヴァンカップ」と名称を変更した。特別協賛のヤマザキナビスコ株式会社が、「ナビスコ」ブランドのライセンス契約終了に合わせて社名をヤマザキビスケット株式会社に変更。その動きに、Jリーグも対応した。 <div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/cws20180227_7_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;">(C)CWS Brains,LTD.</div><div style="text-align:left;font-size:small;">[2016シーズンのノックアウトステージからYBCルヴァンカップに名称変更]<hr></div> ▽当初は2017シーズンからの名称変更という話が挙がっていた中、Jリーグの村井満チェアマンはシーズン中の大会名称変更を決断。その裏には、25年にわたり「共に」成長してきたヤマザキビスケット社への感謝の気持ちが込められていた。 「非常にJリーグとしても難しい判断だったと思います。通常、大会が始まって、途中で名前を変更することはないと思います。ただ、それもヤマザキビスケットと社名が変わり、基幹商品も変わるというところで、元々の商品をPRするよりも、我々としてはヤマザキビスケット様に感謝をお伝えできます。そして、共に成長するという部分に繋げられると思ったので、名称変更や大会イメージカラーなど全部を変えていきました」 「色々なことを調整したり、修正したりすることが必要だったと思います。そこまでしてもヤマザキビスケット様に「恩返し」したいというよりは、お世話になった「恩返し+一緒にこれからも歩んでいく」という意思表示としてやらせていただきました」 ▽大会途中に名称変更という異例の事態。しかし、その裏にはJリーグが大切にしている「何かできることはないか」の精神があり、パートナーと「共に」成長していくための決断があった。そして、その決断は間違っていなかったと、山下氏は手応えを感じている。 「Jリーグのサポーターの中では『ルヴァン』という名前が一気に浸透したと思いますし、お店で商品が並んでいる時に選んでいただくキッカケになっていると思います。2017年からというのではなく、2016年のあのタイミングで名称を変更したからこそ、インパクトもあったのかなと思います」 ▽ルヴァンカップとしてスタートした2017シーズンの決勝は、ここ10年で最も多くのチケットが売れ、5万3000枚が完売した。セレッソ大阪、川崎フロンターレと互いに初タイトルが懸かっていた試合だったことも一因ではあるが、スタジアム全体の盛り上がり、ファン・サポーターの盛り上がりは、大きなものがあった。 <div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/cws20180227_6_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;">(C)CWS Brains,LTD.</div><div style="text-align:left;font-size:small;">[2017年はセレッソ大阪が制しクラブ初タイトル獲得]<hr></div> ▽ルヴァンカップ決勝は、例年Jリーグファンが注目している。しかし、近年は決勝だけでなく、Jリーグカップそのものにファン・サポーターが関心を向けている。「ニューヒーロー賞」や「21歳以下の選手起用」といった若手育成への取り組みも、注目を集める理由の1つだろう。 ▽ユース年代を終え、大学進学ではなくプロ入りを志した選手。世代別の代表に選出されながらも、リーグ戦で出場機会を得られない選手は多い。各チームがタイトルを目指す状況であれば、レギュラー組の選手たちが起用されるのも当然だ。しかし、「21歳以下の選手起用」を義務付けたことで、新たな風を吹かせた。 ▽リーグ戦とは違う形で、日本サッカーの成長、そして魅力創出に寄与しているJリーグカップ。山下氏は、カップ戦の位置づけについて、重要度が増していると感じている。 「カップ戦の価値を上げていく。リーグ戦の明治安田生命Jリーグとカップ戦のJリーグYBCルヴァンカップが日本のプロリーグを支えている重要な要素だと思っています。その両方がしっかりと成長していくこと自体が、リーグの価値や日本サッカーのレベルを上げていくことになると思っています」 ▽JリーグYBCルヴァンカップで実戦の経験を積み、その活躍が明治安田生命Jリーグに繋がる──そういった可能性が広まることは、Jリーグカップとしての魅力が増すだけでなく、日本サッカーの成長、日本代表の強化にもつながる。その結果は、「ニューヒーロー賞」も示している。 ▽歴代の「ニューヒーロー賞」受賞者の多くが日本代表としても活躍。また、世界に羽ばたいていっている選手も多い。2016年の受賞者であるMF井手口陽介は2018年にイングランド2部のリーズ・ユナイテッドへと移籍した(2017-18シーズンはスペイン2部のクルトゥラル・レオネサへ期限付き移籍)。 <div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/cws20180227_5_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;">(C)J.LEAGUE</div><div style="text-align:left;font-size:small;">[2016年のニューヒーロー賞を受賞した日本代表MF井手口陽介(当時ガンバ大阪)]<hr></div> ▽2014年の受賞者であるFW宇佐美貴史、2011年の受賞者であるFW原口元気はブンデスリーガ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフでプレーしている。2004年の受賞者であるMF長谷部誠はブンデスリーガのフランクフルトでも主軸を担い、日本代表ではキャプテンとしてヴァイッド・ハリルホジッチ監督の信頼も厚い。 <div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/cws20180227_4_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;">(C)J.LEAGUE</div><div style="text-align:left;font-size:small;">[2004年のニューヒーロー賞を受賞した日本代表MF長谷部誠(当時浦和レッズ)]<hr></div> ▽若手の出場機会創出により、日本サッカーの底上げを進める場となりつつあるJリーグカップ。今シーズンからは「ニューヒーロー賞」の対象選手も21歳以下の選手に変更された。ヤマザキビスケット社と共に、Jリーグも成長していくためのチャレンジを止めない。 「カップ戦だからこそチャレンジさせていただいていることはあります。21歳以下の選手の件などもそうですが、そういったことをさせていただけるのもありがたいです」 「我々としても、大会の位置付けを考えて世間とコミュニケーションを取る中で、切り口があった方が露出面を考えても良いのかなというのもあり、チャレンジさせていただいています」 ▽ヤマザキビスケット社とJリーグが共に歩み、成長してきた25年間。各クラブのタイトル以外にも、眠っている才能の原石を発掘できる場として、日本サッカー界にもたらせているものは大きい。 ▽2018シーズンのJリーグYBCルヴァンカップは、3月7日にグループステージが開幕。今シーズンは決勝も21歳以下の選手の出場が取り決められ、若手の活躍も楽しみだ。新たな魅力の創出へ。Jリーグとヤマザキビスケット社の成長は止まらない。 2018.03.15 18:00 Thu
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【Jリーグが伝えたい事】第1回:Jリーグが育んだ“忘れない”の精神とサポーターと紡いだ復興支援への想い

「笑顔、感動の涙など人の感情に寄り添えることがこの仕事のやりがいに繋がっています」──Jリーグのアジア戦略では先頭に立ち、現在は株式会社Jリーグ マーケティング専務執行役員として多忙な日々を送る山下修作氏が、仕事のやりがいを語った。Jリーグが掲げる『百年構想』を体現するキーマンである山下氏に、Jリーグが目指すもの、Jリーグが生み出してきたものについて、インタビューを進めたい。 第1回目のテーマに選んだのは、Jリーグが後援する映画『MARCH』。2011年3月11日に発生した東日本大震災による震災被害を乗り越え活躍するマーチングバンドとJリーグクラブの関わりを題材とした作品を通じてのリーグの取り組みを中心に伺った。 『MARCH』は、被災地の一つである南相馬で活動を続ける小中学生で構成される南相馬市立原町第一小学校のマーチングバンド部を中心に誕生した“Seeds+”というマーチングバンドが、震災から3年半が経過した2014年9月14日、J2の愛媛FCvsモンテディオ山形の試合に招待され、試合前のピッチで演奏を披露。この様子を中心にJクラブと“Seeds+”の関わりやクラブの復興支援のあり方、その関係性に生まれたサッカーの新たなる魅力やマーチングバンド“Seeds+”の魅力を描いたドキュメンタリー映画である。 Jリーグクラブが関わる取り組みに対し、震災当日仕事で神奈川県内にいた山下氏自身もその衝撃に驚き、そして仙台をはじめとしたJリーグ各クラブが被災したことを踏まえ、甚大な被害を与えた東日本大震災を“忘れない”ために、リーグとして後援を決定したと明かしてくれた。 「私自身も関東ではありましたがあの地震を体感し、その後何度も仙台の試合や陸前高田にも行かせていただく中で、未だ復興は道半ばと感じています」 「Jリーグとしては“忘れない”ことをキーワードに、しっかりと被災地に寄り添って募金活動など、お手伝いできることをしていこうと決めていました。この映画の後援をさせていただいたのも、“忘れない”ことの一環なのかなと思います」 山下氏は、震災当時Jリーグからの出向先で業務に従事していた。そんな中発生した東日本大震災。山下氏は、「何かできることはないか」という想いから、1枚の写真を『J’s GOAL』にアップした。 「正直、何もできないなと。しかも仙台があのような状況になっていた。唯一できたのは、その年の(ベガルタ)仙台のチームの集合写真に『頑張ろう!』というメッセージを入れ、『J's GOAL』に掲載しました。『サポーターもみんなで頑張っていきましょう』というようなことしか、写真で掲載できませんでした」<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_2_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:left;font-size:x-small;">[山下氏が震災当日にJ’s GOALに掲載した一枚]</div>前代未聞の地震を体感したあの日。山下氏はすぐに被災地のJクラブであるベガルタ仙台のことを想い、チーム、サポーターのために行動を起こした。そして、その想いはしっかりと伝わっていた。 「その写真に対して全国のサポーターから『頑張ってください』などたくさんのコメントが寄せられました。それくらいしか、あの週末はできませんでした」 震災の影響で仕事のあり方や自身の生き方、日常をいかに取り戻せばいいのかという葛藤と混乱に誰もが苛まれたあの時。Jリーグで働く山下氏も、その想いは同じだった。 「(3月)15日、16日にACLがあって、セレッソ大阪とガンバ大阪がアウェイの中国で試合がありました。元々行く予定でしたが、すごく迷っていて…」 震災直後に日本で開催予定だった、名古屋グランパスvsアル・アイン、被災地の1つである鹿島アントラーズとシドニーFCのアウェイゲームは順延に。しかし、中国での2試合は予定通り開催された。中国行きを迷っていた山下氏を、ある1つの考えが現地に向かわせた。 「迷っていたのですが、こんな中でも試合が行われていて、そこで日本のJリーグのクラブが戦う。そこから伝えられることはあるんじゃないか? そう思い中国に向かいました」 山下氏の「何かできることはないか」という想いが決断させた中国行き。その想いは、再び人々の感情を動かすことになる。<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_3_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:left;font-size:x-small;">[中国人サポーターからの激励のメッセージ]</div>「中国のサポーターが大弾幕で『日本と我々は常に一緒だ。がんばれニッポン』と。今まで中国の方からはACLで時として厳しいブーイングを頂いてきました。スポーツとはいえ戦う以上は敵同士。色々なことがありました。そんな中で、『大丈夫か!?』、『日本から来たのか!?』、『家族や友達は大丈夫か!?』と心配されたことは、あらゆる理屈や事情を超えてスポーツを通しての繋がりというか、応援をいただいたんだと思います」<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_4_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div>中国行きを決断したことで、得がたい体験をした山下氏。 自身の感動体験は、再び被災者へ伝えられることとなる。 「その様子を写真に撮って、『J's GOAL』に載せて、中国のサポーターも仙台のこと、日本のことを心配しているということを発信しました。それが震災から1週間くらいのことです」<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_5_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div>多くの葛藤が胸の中にありながらも、自身の想いを行動に移し、それを多くの人々に広げていくことを続けていた山下氏。その背景には、Jリーグの「自分たちが何かお役に立てるようなことがないか」という視点があった。 「自分には何ができるのだろうか。こういう時にサッカーをやっていて良いのだろうか。とすごく悩みながらも、サッカーを通じてだからこそできること、小さくても良いので何かできないかなと思っていました」 Jリーグは、復興支援の一環として『TEAM AS ONE』を結成。日本代表との復興支援試合を開催した。その裏で山下氏は、サポーターからの相談を受け、再び動き出す。 「私はそこ(『TEAM AS ONE』)には関わっていなかったので、当時関わっていた『J’s GOAL』で何かできることはあればと思っていました。サポーターから電話がかかってきて、「復興支援物資を持ち寄って仕分けして送りたいけど、どこか仕分けできる場所ありませんか」と相談があり、JFAに掛け合ってJFAハウスの一階を開放して、3月26日の土曜日にサポーター有志と集まり、一緒になって仕分けしました」<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_6_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:left;font-size:x-small;">[当時JFAハウス1階のバーチャルスタジアムでは支援物資の仕分け作業が行われた]</div>Jリーグクラブのサポーターと共に、被災地への復興支援に動いた山下氏。その活動の中で、Jリーグが育み、積み重ねてきた文化の一端を感じたそうだ。 「7~800人のサポーターが何も言っていないのに応援しているチームのユニフォームを着て、支援物資を持ち寄って、段ボールにメッセージを書いていました。そこには『浦和レッズのサポーターが』ではなく『Jリーグのサポーターがあなたたちと一緒にいます』と書かれていました。みんなが『Jリーグのサポーター』という言葉を使っていて、すごく驚きというか、感動というか…。『すごいなJリーグのサポーターの人たちは』と思いました。みんなが一体となって、被災地のために役立とうという思いをリアルに体感した一日でした」<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_7_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div>「Jリーグは『百年構想』をはじめとした理念を全国に広げていく中で、明確にこの日を目指していた訳ではありません。こういう積み重ねがあったからこそ、サポーター同士が話し合って、連携して、被災地のために役立つ行動をしようとしてくれているのは、Jリーグが選手やサポーターと積み重ねてきた文化が一つの形として少し表れたのかなと思います」<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_8_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div>山下氏が体感した、Jクラブのサポーターを通じて「人の感情に寄り添えること」。それはJリーグが誕生から25年間の歳月をかけて積み重ねてきた産物だったのかもしれない。 Jリーグが後援している映画『MARCH』は、2017年5月、フランス・ニースにて開催された国際映画祭「Nice International Filmmaker Festival 2017」で外国語ドキュメンタリー最優秀監督賞を受賞した。しかし、山下氏は福島に対する被災地と世界とのギャップを感じているという。 「ギャップはすごくあるなと感じています。1つは、世界では『フクシマ』は終わったと思われている。しかし、実際には福島でJリーグの試合も行われていますし、普通に人々は生活しています。いまそこにある日常を、そこを発信していかなければいけないと思っています」 「世界に『フクシマ』を伝えていくために、映画の制作者や関わっている方が頑張って作品を出品して賞を獲っていくことはとても良いことです。そのお手伝いができればなと思っています」<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_9_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brains,LTD.<hr></div>だが、山下氏がギャップを感じているのは世界とだけではなく、日本国内でも感じていると語った。 「あと、日本国内でもまだまだだなと感じています。世界で思われている『フクシマ』のギャップを埋めていくだけではなく、日本国内でもまだまだ福島の現状への理解不足と風評被害がある中で、そのギャップを埋めていくためにJリーグが何かお手伝いできないかと感じています」 山下氏が度々口にする『お手伝い』という言葉。やはり、ここにもJリーグ、そして山下氏の想いが詰まっているように感じる。「自分たちが何かお役に立てるようなことがないか」というJリーグの視点は、ファンやサポーターを含めたJリーグに関わる多くの人々へ根付いている。 「正直、あの映画があるからこそJリーグとしてもストーリー性を伝えやすいところはあります。出てくる子供たちの頑張っている姿や笑顔を見て、感じることが多く、自分も何か支援できないだろうかと感じてくれる人もいると思います」 「Jリーグとして伝えていきたいことがこの映画にも表れていたので、後援させていただいています。今Jリーグがやりたいことと、できることのギャップを埋める1つの手段として『MARCH』があるのかなと思っています」 Jリーグは、震災から5年が経とうとする2016年2月23日に『MARCH』の後援を発表。そして5年が経過した2016年3月14日に、JFAハウスにて『MARCH』の上映試写会を実施した。<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_10_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)J.LEAGUE PHOTOS</div><div style="text-align:left;font-size:x-small;">[震災当時、支援物資の仕分けを行った場所で『MARCH』上映会を開催]<hr></div>震災当時と比べ、徐々に薄れつつある復興支援へのあり方。しかし、5年が経過して行われた試写会でも、山下氏はJリーグサポーターの行動に心を動かされた。 「後援を発表した後にJFAハウスで完成お披露目試写会をやりました。平日の夜でしたが、参加してくれたのはJの25クラブくらいのサポーターの方たちでした。ユニフォームを着て駆けつけてくれて、ソーシャルメディアでも感想を書いていただきました」 「私の中では2011年の3月にみんなで支援物資を仕分けしたのと同じ場所で試写会を実施したので、オーバーラップしたというか…。あの時もいろいろなクラブのサポーターが仕分けをして支援物資をお送りしましたが、今回は観る支援。そこから『MARCH』のグッズを購入してもらったり、募金を頂いたりもしました」 「Jリーグのサポーターは自分が応援しているクラブだけではなくて、日本全国、色々なところで役に立てることがあれば、役に立ちたいと思ってくれているんだなと感じました」<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/cws20171122_11_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)J.LEAGUE PHOTOS</div><div style="text-align:left;font-size:x-small;">[『MARCH』に登場するSeeds+のメンバーも上映会に来場]<hr></div>Jリーグからサポーターに繋がる想い。山下氏は震災当時に感じた想いを、5年が経過した『MARCH』の試写会でも感じた。そんな山下氏が、『MARCH』の後援を通じて伝えたいことを改めて語ってくれた。 「1つはスポーツの素晴らしさ。あの子たちが頑張っている中で、映画の最初の方で試合を純粋な笑顔で見ているシーンがあります。応援して、ゴールが入って試合に勝って。そういうことがスポーツとしてできるという部分。また、試合前にあのように演奏できる機会があるのもスポーツの延長線上だと思います。その素晴らしさはぜひ伝えたいことです」 「もう1つは福島というところは地元の人たちが明るく暮らしているんだよと。がんばってこういう活動をしている人たちがいるんだよと伝えられればと思っています」 お伝えした『MARCH』。 このコラムをきっかけにご覧になりたい方も多いかもしれない。 しかしこの原稿執筆時点では今後の上映予定は未定とのことだ。それは、主催者側の様々な被災地への配慮や思いがあってのことだという。 「現在は、問い合わせを頂き、お話させてもらってお貸しするような制度をとっています。その都度、ご相談していただくのが『MARCH』の上映スタンスです」 多くの人々に観てもらいたい映画でありながら、広めることが難しい『MARCH』。しかし、山下氏はここでも「何かお役に立てるようなことがないか」という考えを垣間見せてくれた。 「残念ながら今は身近に観ることはできませんが、みなさんの声が集まればどこかで観られるようにしたいですね」 東北復興支援ドキュメンタリー映画『MARCH』。Jリーグサポーターには、ぜひ観ていただきたい作品であり、Jリーグの想いを感じることができる作品でもある。今後、この作品にどこかで出会うときがきっとくるはずだ。東日本大震災を“伝える”ではなく“忘れない”ためにも、その機会に出会ったときには観ていただければと思う。(了) 2017.11.22 12:00 Wed
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