【六川亨の日本サッカーの歩み】浦和のACL優勝で思い出した古河優勝のスクープ2017.11.27 16:03 Mon

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▽浦和が10年ぶりにアジアの頂点に立った! ACL決勝でアル・ヒラル(サウジアラビア)との第1戦を1-1で引き分けた浦和は、11月25日のホーム第2戦で勝つかゴールレスで引き分ければ優勝という状況で、試合終了2分前に、第1戦に続いてラファエル・シルバが値千金の決勝点を奪取。2試合合計1勝1分けの堂々たる成績で2度目の優勝を果たし、12月7日から始まるクラブW杯では、アルジャジーラvsオークランドの勝者と9日に対戦し、勝てば準決勝でレアルと激突する。

▽このACLだが、2002-2003年シーズンにアジアクラブ選手権、アジアカップウィナーズカップ、アジアスーパーカップを統合し、アジアのチャンピオンを決める大会としてリニューアルされた。日本からは浦和とG大阪が過去に制しており、最多優勝は韓国クラブの5回。日本は今回の浦和の優勝で3回目となり単独2位に浮上した。

▽それ以前の前身であるアジアクラブ選手権では磐田、読売クラブ(現東京V)、古河(現ジェフ千葉)の3クラブがアジアの頂点に立っていることは以前にも紹介した。一方のアル・ヒラルは2年連続して古河と読売クラブの後塵を拝し、今回で3回目のランナーズアップと、なかなか勝てない。

▽浦和との対戦では、主力選手のブラジル人MFカルロス・エドゥアルドが第1戦で左足十字靭帯を傷め、第2戦でも宇賀神のチャージにエースストライカーのオマル・フリビンが負傷するなど運にも見離されたと言っていいだろう。

▽このアジアクラブ選手権で忘れられないのが1986年末に初優勝を遂げた古河だ。日本人プロ第1号の奥寺さんが西ドイツから凱旋帰国して古河に復帰すると同大会でも快進撃を続け、12月の決勝大会に進出。アジアクラブ選手権に出るためには天皇杯を欠場するしかない。過去にも現在も、天皇杯を棄権したのはこの時の古河しか記憶にない。

▽サウジアラビアで、リーグ戦形式で行われた86年の大会を取材するため現地を訪れたメディアは皆無だった。年末に遠く中東で行われた大会だけに、それも当然だった。にもかかわらず、サッカーダイジェストだけはモノクロのページながら写真つきでアル・ヒラル戦の模様を紹介した。

▽自費で取材に行った、わけではない。当時、古河のチームドクターを務めていた森本氏と、マッサーの妻木氏は、森ジャパンでもコンビを組んでいた。日本代表の取材を通じて知己となった両者は、カメラが趣味でもあった。そこで2人に、オフタイムや試合中にベンチから写真撮影をお願いすると、「可能だったら」という条件付きながら快諾してくれた。

▽新宿駅西口のバスターミナルが集合場所で、そこから成田空港に向かうため、モノクロフィルム10本ほどを手渡した。帰国後、元旦の天皇杯決勝の前に古河は優勝トロフィーを披露したが、そこで撮影済みのフィルムを受け取り、祈るような気持ちで現像のあがるのを待った。プロのカメラマンではないため望遠レンズにも限りがあり、アップのプレー写真こそなかったが、しっかり写っていた。こうして古河の優勝を誌面に反映できたのだった。

▽最後に、ACLの勝者が出場するクラブW杯は2019年まで現行のスタイルで開催されることが決まっているものの、FIFAは2020年以降を未定としつつ、2021年でコンフェデ杯を終了させ、クラブW杯と入れ替える計画だそうだ。4年に1回、6月開催で、当初は24チーム参加の大会を計画しているものの、どのように決定するかはまだ未定とのことだ。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

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【六川亨の日本サッカーの歩み】W杯の開幕を静かに待つカザン

▽日本代表のキャンプ地であるカザンに来て6日が過ぎた。22時過ぎに空港についたものの、出口のゲートには中学生らしきボランティアが出迎えてくれるあたり、そろそろW杯ムードが高まりつつあるようだ。 ▽ここカザンは地下鉄が1路線しかなく、市民の移動の足はもっぱら自家用車かバス、トラム、トロリーバス、乗り合いタクシーの5つ。まずはともあれIDカードをピックアップしなければ始まらない。そこで昨年のうちに予約したアパートの大家に、カザン・アレナとキャンプ地であるルビン・カザンへの行き方を聞いたところ、「アレナには33番か62番のバス、ルビン・カザンには、そこから60番のバスに乗ればいい」と教えてくれた。<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180611_32_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div>▽ちなみに大家はロシア語しか話せない。「ロシアでは英語が通じない」と言われていて、携帯とポケットWiFiのSIMを買ったショップでも英語は通じなかった。そこで頼りになったのが、日本で購入した翻訳機「ポケトーク」だ。普段はWiFiで使用するが、専用のSIMを購入すると2年間はWiFi環境でなくても使用できる優れものだ。 ▽バスでの移動で困るのは、降りるバス停の名前が分からないこと。そこで外の景色で確認することになる。ただ、カザン・アレナは巨大なスタジアムのため、遠目にもすぐ分かる。アレナにいたボランティアにアクレディテーション・センターを聞くと(さすがに英語が通じた)、「スタジアムの真裏にある、青くて大きなビルだ」と教えてくれた。<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180611_32_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div>▽確かに大きなビルだが、巨大なスタジアムを大回りするため、徒歩で15分近くかかった。これは08年の北京五輪を取材した時にも感じたことだが、広い国土を持つ国の建造物はいずれも大きいため、目で見えていても辿り着くのにかなりの時間がかかる。アレナの外周に飾りつけるオブジェはまだ完成しておらず、作業員が黙々と仕事を進めていた。 ▽IDカードは空いていたため20分ほどで取得。今度はルビン・カザンに行くため来た道を引き返すと、スタジアムをバックにレポートしている韓国のTVクルーと遭遇した。彼らは27日にここでドイツと対戦する。それまでに勝点を何点積み上げられるか。隣国のライバルであるだけに、気にかかるところだ。<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180611_32_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div>▽アレナからバスで約25分、だいたいの位置はグーグルマップで調べておいたので、照明灯が見えたところで下車し、バス停にいた軍人に確認すると、ルビン・カザンで間違いはなかった。せっかく来たのだから、中を撮影したいと伝えると、5分くらい待たされ「残念だが、日本協会の広報の●●さんのレターがないと入れられない。14日からは日本協会の許可が必要になる」と断られてしまった。<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180611_32_tw1.jpg" style="max-width: 100%;"></div>▽柵越しに写真を撮り、市内へ戻る方向のバス停の上にある表示板を見ると33番と62番がある。待つこと10分、33番のバスで無事にアパートへ帰宅できた。帰りがけに近くのハイパーマーケットという、これまた巨大なショッピングセンターをのぞいて見た。スポーツショップには大会のロゴをあしらったTシャツやバッグ、大会マスコットのザギトワ(フィギュアスケートの選手)、ならぬザビワカ(オオカミ)のグッズなどが売られていた。 ▽街が盛り上がるのは16日のフランス対オーストラリア戦が始まってからだろう。その前に、13日の夜には日本代表がインスブルックから移動してくる。サムライ・ブルーにとっても、取材するメディアにとっても、ロシアW杯の始まりだ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.11 23:30 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】岡田元監督のトークセッション② 岡田武史さんの哲学

▽今週は先週に引き続き、スカパー!「サッカーおやじ会」でのトークイベントに出演した岡田武史・元日本代表監督のエピソードを紹介しよう。西野ジャパンのメンバー選考について問われると、自身の経験を踏まえ「めちゃくちゃ苦しみますよ。日本人監督はチーム作りに苦労する」と話し、「日本の指導者はチーム作りと采配を比べると、チーム作りに執着する。相手を研究して采配で勝つことは邪道だと思っている人が多い。チーム作りで勝つのが美学と思っている」と苦言を呈した。 ▽岡田さん自身、監督としては前者のタイプだ。そして南アW杯ではベスト16に進出したものの、阿部勇樹をアンカーに、本田圭佑の0トップによる“采配”を批判されたのかもしれない。続けて「僕の場合はあらゆることをシミュレーションしている。メンバーを決める時も試合の展開をずっと妄想する」とし、南アのメンバー選考についてはこんなエピソードを紹介した。 ▽「2010年のW杯で矢野貴章を入れたら“えっ”という人がけっこういた。もし試合に勝っていて、残り10分くらいを守りたい。でもセットプレーでやられたら背の高い選手が欲しい。でもDFを代えるのはリスクがある。前線で追い回せて、セットプレーの時にヘディングで競れる奴が欲しい。そうなったら“貴章”だなとなった。そして本当にカメルーン戦で想定していた場面が来た」 ▽このため「メンバーを決める時も上から23人、上手い奴を選べばいいわけじゃない」と選考の難しさを語った。 ▽さらに岡田さんは日本人指導者の傾向として「美学を持つのはいいが、それを勝負への言い訳にしている。例えばクライフが言った“美しく敗れる事を恥と思うな、無様に勝つことを恥と思え”。この言葉を一番好きなのが日本人。オランダ人は負けるのが嫌。これを言う人は勝ったときには絶対に言わない。負けた時の言い訳として使う。ところが日本人は好き。例えば点が入らない。あとは決定力だけ。“決定力さえあれば”とよく言うが、それは“そこまでのサッカーは素晴らしい”といった美学を持って言っている。点を入れなかったら勝てないのに、そこまでの美学で満足している。あとは決定力と言うけど、そこが一番大事」と持論を展開した。 ▽リアリストの監督だった岡田さんらしいサッカー哲学だ。もうS級ライセンスは返上したため監督復帰の可能性がないのが残念でもある。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.04 19:30 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】岡田元監督のトークセッション① W杯は化ける選手が必要

▽5月21日から千葉県内で始まった日本代表の合宿。西野監督は27日まで練習を公開したため、日に日に観戦するファンが増え、27日は日曜日とあってメインスタンドは立錐の余地もない大盛況。ゴール裏やタッチライン際にも鈴なりの人だかりとなった。 ▽オシム・ジャパン以降、歴代の代表監督は非公開にすることが多く、ファンと代表チームの距離感に温度差を感じていただけに、今回の練習公開は大いに歓迎したい。ちびっ子ファンから声をかけられた長友や乾が手を上げて応えていた。これが本来あるべき代表選手とファンの間柄だろう。 ▽戦術練習やセットプレーなどは非公開にすることもやむを得ないだろう。しかし日本でサッカーは、マイナーからは脱却したかもしれないが、欧州や南米のようにまだまだナンバー1スポーツではない。こうしたファンサービスは今後も継続すべきだろう。 ▽さて先週はイニエスタの来日会見でサッカー界は沸いた。その同じ日に、スカパーが会見を開いて来シーズンのブンデスリーガとポルトガルリーグ、ベルギーリーグなどの独占放映権・配信権を獲得したことを発表。そのイベントとして「サッカーおやじ会」に岡田武史元日本代表監督が番組MCの八塚氏とトークセッションを行った。 ▽冒頭、ロシアW杯の監督オファーがあったかどうか聞かれた岡田氏は「ない、ない。考えたこともない」と即座に否定。話題になったS級ライセンスの返上についても、「前々からS級は返上するつもりだった。お金を払わなければ自動的に失効すると思っていたが、自分の場合は引き落としだったので返上の手続きが必要だった。返上して1ヶ月後に親しい記者が聞きに来て答えたところ、翌日の新聞で1面になっていたのは驚いた。ハリルの解任とたまたまタイミングがあって騒動になった」と真相を語っていた。 ▽ロシアW杯に関しては、ポーランドやセネガルを警戒しつつ「どっちしても初戦が大事。客観的に見るとコロンビアの方が日本より実力は上。そうすると力をそのまま出し合ってぶつかるんじゃなくて、自分たちの力以上のものを出すような勢いが必要になる。勢いをつける方法は色々とあるし、人それぞれ。それは精神的なものかもしれない。そこで、“えっ、こんなことまでしちゃうの?”というような化ける選手が出てくることが必要かなと思う」と10年南アW杯での自身の経験を振り返った。 ▽ここで言う“化ける選手”とは、本田圭佑であり長友佑都のことを指していると感じた。岡田氏は「僕は代えることに悩んで、最後の1試合で決断した」とも語った。おそらくキャンプ地であるジョージでのテストマッチで、中村俊輔の起用を断念し、ゼロトップに本田を起用し、中盤のアンカーに阿部勇樹を置く4-1-4-1のシステムを採用したことを指しているのだろう。 ▽そんな“化ける選手”の1人である長友に、代表キャンプ中に岡田氏の話を伝えたところ、「僕も岡田さんに化けさせてもらって、成長させてもらいましたし、まだまだ化けないといけないと思っています」と爽やかな笑顔で答えてくれた。 ▽果たしてロシアで“化ける”選手が出てくるのか。ブラジルW杯では香川真司や大迫勇也が化け損ねただけに、彼らの奮起にも期待したい。 ▽ちなみに早稲田大学の先輩である西野監督については、「(時間がないのは)分かっているから監督を引き受けた。時間があろうがなかろうが、結果を出さないといけないのは西野さんもハリルも同じこと。相談されたことはない」とリアリストの岡田さんらしい見解を述べていた。 ▽その他にも岡田さんは日本人指導者の陥りやすいサッカー哲学を、ヨハン・クライフを例に出して話したり、試合へのアプローチの違いを自身の経験を元に解説したりしたが、それは次週のコラムで紹介したい。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.28 22:30 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】代表練習で感じた変わらぬ本田の姿勢

▽5月30日にキリンチャレンジカップでガーナと対戦する日本代表のキャンプが21日にスタート。この日はすでに帰国している海外組の岡崎慎司、本田圭佑、吉田麻也、香川真司、大迫勇也、酒井高徳、原口元気、宇佐美貴史、武藤嘉紀、浅野拓磨の10選手が1時間10分ほどの練習で汗を流した。 ▽ただし、岡崎だけは終始別メニューで、ランニングやサイドステップ、バックステップ、ストレッチなどの軽めの練習。2月上旬に膝を、4月には足首を傷めて実戦から遠ざかっていたが、走り方にもぎこちなさを感じさせ、全力でプレーできる状態ではなかった。30日のガーナ戦に間に合うのかどうか疑問であり、6月19日のコロンビア戦までに万全の状態に回復すると判断できなければメンバー外となる可能性もあるかもしれない。 ▽練習終了後は西野監督が囲み取材に応じ、本田について質問されると「非常にいいパフォーマンス。彼らしいスタイルで入ってきたかな」と高く評価していた。その本田、9分間のフリーランニング後、早川コンディショニングコーチから「テンポを上げて6分間」と指示が出て5分が経過し「そろそろダウン」と言われても、浅野と競うようにランニングのペースを上げて酒井高を追い抜くなどアグレッシブに練習に取り組んでいた。 ▽ただし、練習終了後のミックスゾーンでは、他の選手が報道陣の取材に応じているのに、本田だけは「お疲れ様」と言って足早に通り過ぎた。この日のミックスゾーンの目玉は本田、岡崎、香川の“ビッグ3"だっただけに、報道陣は肩すかしを食らった格好だ。ただ、それも本田らしいと思った。 ▽思い出されるのは8年前、南アW杯前にスイスのサースフェーで行われた事前合宿だ。当時のエースは中村俊輔だったが、持病の足首痛に悩まされ、早川コンディショニングコーチが付きっきりで1人別メニューの練習を続けていた。当時のシステムは4-4-2で右MFが中村俊の定位置だった。もしも中村俊が間に合わなければ、そのポジションは同じレフティーの本田が起用される可能性が高かった。 ▽中村俊はなかなか取材できないため、必然的に練習後の報道陣は本田にコメントを求めた。当初は取材に応じていた本田だったが、ある日のこと、囲んだ報道陣に対して自分から口を開き、「毎日毎日、質問されても同じ練習をしているので答えようがない。これが試合後や試合前には違ったことを話せるかもしれない。なので、これからは自分から話すことがあったら話します」といった趣旨のコメントで報道陣の理解を求めた。 ▽その時の本田は24歳で、まだチームの中心選手とは言えなかった。それでも当時の状況から本音を語ったことに、報道陣を無視した中田英寿との違いに感銘を受けたものだ(スポーツ紙は反発したが)。 ▽たぶん中村俊のコンディションが良ければ、毎日の取材の取材に応じ、今日の練習の目的や自分の役割、チームメイトのエピソードなど日替わりで話題を提供しただろう。それだけリップサービスのできる余裕があった。 ▽パーソナリティーの違いと言ってしまえばそれまでだが、本田は8年経ってもストイックな姿勢は変わらないことを再確認した21日の練習取材でもあった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.22 15:20 Tue
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【六川亨の日本サッカーの歩み】J開幕から25年。もう一度聞きたいチアホーン

▽昨日14日は、ロシアW杯に臨む選手35名の予備登録が行われた。ただ、これはFIFA(国際サッカー連盟)に提出する必要があるだけのため、JFA(日本サッカー協会)はリストを公表しないし、チームにも連絡はないそうだ。明日はルヴァン杯があるし、週末にはJ1リーグの試合があり、代表チームの活動は週明けとなる。このため、あえて公表する必要はないと判断したのだろう。FIFAもJFAの意向を受けて公式サイトでの公表を控えている。 ▽昨日、取材に応じた西野監督は香川や岡崎、本田の招集を示唆したようだが、18日にはキリン杯に臨む28名を発表する予定だ。当然35名の中から絞られた28名のため、予備登録の35名を発表する必然性はない。そして18日に発表される28名から、5名が篩いにかけられる。先週末のJ1リーグの報道は、試合の結果より代表候補の選手のプレーがクローズアップされていた。おそらく今週末のJ1リーグでは、その傾向にますます拍車がかかるだろう。 ▽といったところで、今日5月15日はJリーグが誕生して25年の節目を迎えた。25年前の今日、国立競技場でヴェルディ川崎vs横浜マリノスの開幕戦が行われたことは周知の事実。そして翌16日に残りの4試合が行われ、カシマスタジアムでは鹿島が名古屋に5-0と圧勝。ジーコはハットトリック第1号の活躍でチームを牽引し、サントリーシリーズの覇者となった ▽そのジーコが25周年記念のイベントのため来日しているが、Jリーグの村井チェアマンは派手な記念イベントを開催する気はないようだ。14日はJリーグが「社会と連携していく未来を探る」ためのワークショップを開催するにとどめた。過去を振り返るのではなく、あくまで未来志向の村井チェアマンらしい発想によるイベントだった。 ▽話は変わり、海外ではユベントスが7連覇を達成し、バルセロナやバイエルンなど「いつもの」チームが順当にリーグを制覇している。ところがJリーグは、首都圏のビッグクラブが毎年優勝争いを演じることの少ない、珍しいリーグでもある。 ▽記念すべきJリーグの開幕戦に登場し、初代の王者となったヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)は2009年にJ2リーグに降格して以来、1度もJ1に復帰できずに低迷が続いている。毎年のように主力選手を放出しては、クラブの存続に懸命の努力を続けている。 ▽同じことは「オリジナル10」の仲間であるジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)にも当てはまり、こちらは1年遅れの2010年にJ2に降格してから、昇格プレーオフに進んだこともあったが、最後の壁を突破できずJ2に甘んじている。 ▽ジェフは元々、JSL(日本サッカーリーグ)の名門・古河とJR東日本がタッグを組んだ最強チームのはずだった。しかし両社の関係は必ずしも良好とは言えず、先週、味の素スタジアムで会った元強化部長の川本氏は「もう古河OBは1人も残っていません」と言うように、川淵、小倉の元JFA会長や現会長の田嶋氏ら、多くの優秀な人材が流出した。25年も経てば、古河サッカー部の関係者の多くは定年を迎えている。そして現チームの主導権はJR東日本の関係者が握っているだけに、近年の低迷も致し方ないのかもしれない。 ▽そんなチームでも川本氏は愛着があるのか、「1度でいいから岡ちゃん(岡田武史・元日本代表監督)にジェフの監督をやってもらいたかった」と漏らした。もしかしたら岡田監督なら、低迷するチームを立て直すことができたかもしれないと思わずにはいられない。 ▽いまでは考えられないかもしれないが、25年前はジェフの試合でも国立競技場が満員の観客で埋まり、「カテゴリー1」というJリーグのオフィシャルショップで売られていたチアホーンの甲高い音がスタジアムにこだましていた。 ▽チームカラーで塗装したチアホーンは、一時は品切れになるほど爆発的に売れた。しかしスタジアム近隣の住民による騒音の苦情からチアホーンの販売は中止され、各チームもファン・サポーターに使用の自粛を求めたことで、短期間でチアホーンは姿を消した。あのチアホーンはどこにいったのか。いまとなっては懐かし、Jリーグ開幕の熱狂を想起させる、もう1度聞きたい音色でもある。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.15 19:20 Tue
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