選手よ、夢を持ってチャレンジを! 東京五輪代表の森保一監督が就任会見
2017.10.30 15:30 Mon
▽日本サッカー協会(JFA)は30日、2020年の東京オリンピック(五輪)に出場するサッカー男子日本代表監督に就任した森保一監督(49)の記者会見を行った。
▽1994年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選の“ドーハの悲劇”を経験した日本代表の一員としても知られる森保監督は、現役時代にマツダサッカークラブや、サンフレッチェ広島、ベガルタ仙台など複数クラブでプレー。現役引退後は2012年から広島を率い、3度のJ1優勝に導いた。田嶋幸三会長、西野朗技術委員長とともに会見に出席した森保監督は次のように所信表明した。
◆森保一(東京五輪サッカー男子代表監督)
――五輪代表監督就任の決め手と目標について
「(決め手は)日本代表だが、アンダー世代であるということ。これまで関わってきた指導者が大切に育ててきた選手たちを更に上の舞台に引き上げていきたい」
「ロシア・ワールドカップもそうだが、その次のカタール・ワールドカップに向けた育成に励んでいきつつ、選手たちの所属チームが喜んでいただけるような育成もしていきたい」
――目指すサッカースタイルについて
「抽象的になるが、チームの組織力を持って、連携、連動して攻守に関わるサッカーがしたい。もちろん、個の成長にも目をつぶることはできないが、日本人の良さである連携、連動して攻守に全員が関わるサッカーを目指したい」
――スタイルは古巣サンフレッチェ広島の形を踏襲するのか。選手に求めることとは
「スタイルについて、これから選手を見極めながら柔軟に考えていきたい。広島でやってきたものはあるが、サッカーの原則原理は変わらない。個人戦術やグループ戦術も大事になってくるので、最良なスタイルで戦っていきたい。東京五輪を目指す選手たちについて、夢を持ってチャレンジしてもらいたい」
――ご自身は現役時代にドーハの悲劇を経験した。あの経験が指導者として何かに影響しているか
「あの経験を経て、選手たちに『思い切ってプレーしてもらうこと』と、『ボールを奪うことだけを考えた守備は守備にならない』というところを伝えていきたい」
「私自身、あの経験を経て、サッカーをやっている限り、『あれ以上、悲しい思いをすることはないだろう』と。悲しい思いも全てにポジティブに考えていくことを教えてもらえた経験だった」
「心が折れそうになることもあるかと思うが、選手として成長を続けていかないといけないということを教えてもらえた機会でもあったので、常に前向きに前進することを伝えていきたい」
――この世代の選手の印象や選考について
「この世代でプレ-できる選手であれば、年齢に関係なく、実績に関係なく、五輪出場の扉が開かれている。五輪に出たいという思いを持つ選手には、そこを目指して、夢を持って、ひたむきに頑張ってもらいたい」
「今まで関わってきた世代別の監督をはじめ、協会やJリーグ、大学、高校から様々な情報をいただきながら、少しでも多くの選手に成長してもらえるように、チームが強くなるような選考をしていきたい」
「おそらく、私が指揮する2年半の中で、選手たちの力関係が変わってくる年代だと思う。色々な選手を見ながら、個人の力、チーム力を引き上げていきたい」
――欧州を訪ねたことで改めて気づいた点について
「まずサッカーを取り巻く環境が違う。クラブチームを見てきたが、おらが街のチームを応援する雰囲気が普段の生活の中にあった。ホームチームのサポーターがアウェイチームのサポーターに『この街に来て勝てると思うな』という雰囲気を作るなど、一体感を持って試合が行われていると感じた」
「我々のチームも、皆さんに応援していただけるように頑張っていくことが大事になる。その頑張りを感じていただいたファンやサポーターの方々に更に応援していただいて、『日本の力』として試合をしたいし、相手を上回っていきたい」
「あとは、練習を見ていて感じた選手個々の自己主張や野心、成功を掴み取るための努力という部分というところも選手たちに伝えていきたい」
――コーチングスタッフの人事について。新たな要望はあるか
「コーチングスタッフについては今、お願いしているところ。新たなお願いについては、思い浮かび次第、伝えていきたい。だが、既に全面的なバックアップを約束していただいているので、心強くやっていきたい」
――コーチングスタッフの具体的な人名は。広島での経験を五輪にどう還元してきたいか
「Jリーグはまだシーズン中で、そこで仕事をされている方の名前も挙げさせていただいているので、ここでの公表は控えたい」
「広島では、選手としてマツダ、サンフレッチェでプレーさせていただいて、指導者としての経験もさせていただいた。選手としても、指導者としても、人としても、広島で育ててもらったと思っている」
「私は選手たちに偉そうに教えるつもりはない。サッカー選手としても、人としても、私がこれまでしてきてもらったことを預かる選手にもしていきたい」
「そして、私は長崎県出身で、広島で過ごしてきた。2つの街は、世界で2カ所しかない被爆地で、平和都市。五輪は平和の祭典だと認識しているので、発信もしていければ幸い」
――自国開催ということで予選がない。その中での強化方針は
「予選がないというメリットを生かして、じっくりとチーム作りをしていきたい。予選がない部分、足りないところはコーチをはじめとする指導者や、(西野朗)技術委員長と相談していき、トレーニングや強化試合でもう1つ殻を破って世界を戦うために足りない部分を補っていきたい」
▽1994年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選の“ドーハの悲劇”を経験した日本代表の一員としても知られる森保監督は、現役時代にマツダサッカークラブや、サンフレッチェ広島、ベガルタ仙台など複数クラブでプレー。現役引退後は2012年から広島を率い、3度のJ1優勝に導いた。田嶋幸三会長、西野朗技術委員長とともに会見に出席した森保監督は次のように所信表明した。
(C)CWS Brains,LTD.
「自国開催である東京オリンピックで監督をするということは重責だが、喜んで頂ける結果を出せるように全身全霊をもって向かっていきたい。選手たちは、沢山の指導者や関係者から育てられてきたという風に思っている。私が率いたときに、さらに良い経験を積んでもらい、これまでの指導者や関係者の努力が花咲くように、皆さんが喜んでくださるような結果を求めながら成長を助けていきたい」――五輪代表監督就任の決め手と目標について
「(決め手は)日本代表だが、アンダー世代であるということ。これまで関わってきた指導者が大切に育ててきた選手たちを更に上の舞台に引き上げていきたい」
「ロシア・ワールドカップもそうだが、その次のカタール・ワールドカップに向けた育成に励んでいきつつ、選手たちの所属チームが喜んでいただけるような育成もしていきたい」
「結果について、皆さんが自国大会で望んでおられるのは間違いなくメダルの獲得。なので、メダルを獲得できるように頑張りたい」
――目指すサッカースタイルについて
「抽象的になるが、チームの組織力を持って、連携、連動して攻守に関わるサッカーがしたい。もちろん、個の成長にも目をつぶることはできないが、日本人の良さである連携、連動して攻守に全員が関わるサッカーを目指したい」
――スタイルは古巣サンフレッチェ広島の形を踏襲するのか。選手に求めることとは
「スタイルについて、これから選手を見極めながら柔軟に考えていきたい。広島でやってきたものはあるが、サッカーの原則原理は変わらない。個人戦術やグループ戦術も大事になってくるので、最良なスタイルで戦っていきたい。東京五輪を目指す選手たちについて、夢を持ってチャレンジしてもらいたい」
――ご自身は現役時代にドーハの悲劇を経験した。あの経験が指導者として何かに影響しているか
「あの経験を経て、選手たちに『思い切ってプレーしてもらうこと』と、『ボールを奪うことだけを考えた守備は守備にならない』というところを伝えていきたい」
「私自身、あの経験を経て、サッカーをやっている限り、『あれ以上、悲しい思いをすることはないだろう』と。悲しい思いも全てにポジティブに考えていくことを教えてもらえた経験だった」
「心が折れそうになることもあるかと思うが、選手として成長を続けていかないといけないということを教えてもらえた機会でもあったので、常に前向きに前進することを伝えていきたい」
――この世代の選手の印象や選考について
「この世代でプレ-できる選手であれば、年齢に関係なく、実績に関係なく、五輪出場の扉が開かれている。五輪に出たいという思いを持つ選手には、そこを目指して、夢を持って、ひたむきに頑張ってもらいたい」
「今まで関わってきた世代別の監督をはじめ、協会やJリーグ、大学、高校から様々な情報をいただきながら、少しでも多くの選手に成長してもらえるように、チームが強くなるような選考をしていきたい」
「おそらく、私が指揮する2年半の中で、選手たちの力関係が変わってくる年代だと思う。色々な選手を見ながら、個人の力、チーム力を引き上げていきたい」
――欧州を訪ねたことで改めて気づいた点について
「まずサッカーを取り巻く環境が違う。クラブチームを見てきたが、おらが街のチームを応援する雰囲気が普段の生活の中にあった。ホームチームのサポーターがアウェイチームのサポーターに『この街に来て勝てると思うな』という雰囲気を作るなど、一体感を持って試合が行われていると感じた」
「我々のチームも、皆さんに応援していただけるように頑張っていくことが大事になる。その頑張りを感じていただいたファンやサポーターの方々に更に応援していただいて、『日本の力』として試合をしたいし、相手を上回っていきたい」
「あとは、練習を見ていて感じた選手個々の自己主張や野心、成功を掴み取るための努力という部分というところも選手たちに伝えていきたい」
――コーチングスタッフの人事について。新たな要望はあるか
「コーチングスタッフについては今、お願いしているところ。新たなお願いについては、思い浮かび次第、伝えていきたい。だが、既に全面的なバックアップを約束していただいているので、心強くやっていきたい」
――コーチングスタッフの具体的な人名は。広島での経験を五輪にどう還元してきたいか
「Jリーグはまだシーズン中で、そこで仕事をされている方の名前も挙げさせていただいているので、ここでの公表は控えたい」
「広島では、選手としてマツダ、サンフレッチェでプレーさせていただいて、指導者としての経験もさせていただいた。選手としても、指導者としても、人としても、広島で育ててもらったと思っている」
「私は選手たちに偉そうに教えるつもりはない。サッカー選手としても、人としても、私がこれまでしてきてもらったことを預かる選手にもしていきたい」
「そして、私は長崎県出身で、広島で過ごしてきた。2つの街は、世界で2カ所しかない被爆地で、平和都市。五輪は平和の祭典だと認識しているので、発信もしていければ幸い」
――自国開催ということで予選がない。その中での強化方針は
「予選がないというメリットを生かして、じっくりとチーム作りをしていきたい。予選がない部分、足りないところはコーチをはじめとする指導者や、(西野朗)技術委員長と相談していき、トレーニングや強化試合でもう1つ殻を破って世界を戦うために足りない部分を補っていきたい」
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