【六川亨の日本サッカー見聞録】クラブライセンス制度により選手を放出しなければならない理由とは
2017.10.27 07:00 Fri
▽今シーズンの開幕前、GK林彰洋、MF高萩洋次郎、FW大久保嘉人と永井謙佑ら大型補強を敢行し、シーズン序盤には昨シーズンの得点王ピーター・ウタカまで獲得したFC東京は優勝争いのダークホースと見られていた。しかし、大幅に入れ替わった攻撃陣はなかなか機能せず、得点力不足に泣かされた。
▽加えて守備の中心選手である森重真人が7月2日のC大阪戦で全治6ヶ月の重傷を負いチームを離脱。フロントは急きょ韓国代表のキャプテンである張賢秀(チャン・ヒョンス)を補強した。しかし8月から9月にかけてのリーグ戦とルヴァン杯で5連敗を喫すると、クラブは篠田善之監督の退任を決断。後任監督にはコーチの安間貴義氏が昇格し、残り9試合で暫定的に指揮を執ることになった。
▽2015年にコーチに就任して2年目で、「まさか自分が監督を任されるとは思ってもいなかった」と驚く安間監督。監督のオファーに「イエスと言うほかなかった」と選択肢がなかったことを明かした。安間監督は過去に甲府や富山といったJ2チームで監督を務めた経験がある。しかし、「元日本代表や韓国代表らそうそうたるメンバーがいる」ことで、練習初日で「私のアイデアが認められなければ選手にはそっぽを向かれてしまう」と危機感を抱いた。
▽幸いにも「一日目でうまくいった」ことで、監督としての初戦である9月16日の仙台戦は1-0の勝利を収めて連敗をストップした。
▽安間監督といえば、甲府や富山時代は攻撃的なパスサッカーで評価を高めた指導者だ。チリ代表のマルセロ・ビエルサ監督に触発されて攻撃的な3-3-3-1を採用するなど、その指導は「安間塾」と言われ、FC東京でも全体練習後は若手を集めて密集地帯でのパス&ムーブに加え、広いエリアで強いパスでDFを剥がす指導を続けていた。
▽FC東京の監督に就任してまず取り組んだのは、「相手にリードを許しても諦めずに最後まで戦うこと」と、年齢や過去の実績にとらわれず「競争意識を植え付ける」ことだった。それは2010年から2014年まで、5シーズンに渡って指揮した富山時代と変わらない姿勢でもある。
▽それというもの、例えば東京Vで出番がなく2014年にFC東京へ移籍したFW中島翔哉をレンタルで獲得したものの、富山での活躍からシーズン中にレンタルバックを余儀なくされた。同じくFC東京から同年6月に加わったMFソ・ヨンドクは7月に蔚山現代へ移籍し、GK廣永遼太郎はシーズン後に広島へ完全移籍した。
▽FC東京の3選手をレンタルできたのは、FC東京の立石敬之GMがS級ライセンス受講の同期生だったからだが、シーズン中の移籍はチームにとって痛手だったことは間違いない。彼ら以外にも、MF白崎凌平(中学時代までFC東京U-15から山梨学院大学付属高時代は高校選手権で活躍)は2014年シーズン後、レンタル終了で清水に戻り、中国人選手初となるゴールを決めたDF高准翼は福岡に移籍した。
▽シーズン中やシーズン後に主力選手を放出しなければならなかった富山。その原因は2012年から導入されたクラブライセンス制度にあった。
▽「3シーズン連続して赤字ですと、クラブライセンスを剥奪されます。クラブを存続させるためには、主力選手を放出しなければならなかった」と安間監督。その結果、富山は2014年にJ3降格が決まり、安間監督も退任を余儀なくされた。そして富山はJ3で3シーズン目を迎え、現在4位でJ2再昇格を狙える位置にいる。
▽例年、この時期は来季に向けて契約更改の始まるタイミングでもある。海外移籍や優勝を狙えるクラブへの移籍、さらには好条件のクラブを視野に入れて交渉に臨む選手もいるし、代理人の思惑も絡む契約交渉でもある。そうした中で、ライセンスを確保するため戦力ダウンを覚悟の上で主力選手を放出しなければならないクラブもあることを安間監督は教えてくれた。
▽地域により、あるいは母体企業の有無により温度差があるかもしれないが、これもJリーグの抱えている実態だろう。チームが主力選手を放出しなければならない理由は様々だということを知った。とりわけ体力のないクラブにとっては切実な問題だろう。だからこそ、J2 やJ3 で奮闘しているクラブにはエールを送りたい。彼らが支えるからこそJ1の反映もあると思うからだ。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
▽加えて守備の中心選手である森重真人が7月2日のC大阪戦で全治6ヶ月の重傷を負いチームを離脱。フロントは急きょ韓国代表のキャプテンである張賢秀(チャン・ヒョンス)を補強した。しかし8月から9月にかけてのリーグ戦とルヴァン杯で5連敗を喫すると、クラブは篠田善之監督の退任を決断。後任監督にはコーチの安間貴義氏が昇格し、残り9試合で暫定的に指揮を執ることになった。
▽2015年にコーチに就任して2年目で、「まさか自分が監督を任されるとは思ってもいなかった」と驚く安間監督。監督のオファーに「イエスと言うほかなかった」と選択肢がなかったことを明かした。安間監督は過去に甲府や富山といったJ2チームで監督を務めた経験がある。しかし、「元日本代表や韓国代表らそうそうたるメンバーがいる」ことで、練習初日で「私のアイデアが認められなければ選手にはそっぽを向かれてしまう」と危機感を抱いた。
▽安間監督といえば、甲府や富山時代は攻撃的なパスサッカーで評価を高めた指導者だ。チリ代表のマルセロ・ビエルサ監督に触発されて攻撃的な3-3-3-1を採用するなど、その指導は「安間塾」と言われ、FC東京でも全体練習後は若手を集めて密集地帯でのパス&ムーブに加え、広いエリアで強いパスでDFを剥がす指導を続けていた。
▽FC東京の監督に就任してまず取り組んだのは、「相手にリードを許しても諦めずに最後まで戦うこと」と、年齢や過去の実績にとらわれず「競争意識を植え付ける」ことだった。それは2010年から2014年まで、5シーズンに渡って指揮した富山時代と変わらない姿勢でもある。
▽そのことを指摘すると、意外な答えが返ってきた。富山時代は「選手がいなくなるので、やりくりに苦労しました。その点、FC東京はその心配がないのでまだ助かります」と言うのだ。
▽それというもの、例えば東京Vで出番がなく2014年にFC東京へ移籍したFW中島翔哉をレンタルで獲得したものの、富山での活躍からシーズン中にレンタルバックを余儀なくされた。同じくFC東京から同年6月に加わったMFソ・ヨンドクは7月に蔚山現代へ移籍し、GK廣永遼太郎はシーズン後に広島へ完全移籍した。
▽FC東京の3選手をレンタルできたのは、FC東京の立石敬之GMがS級ライセンス受講の同期生だったからだが、シーズン中の移籍はチームにとって痛手だったことは間違いない。彼ら以外にも、MF白崎凌平(中学時代までFC東京U-15から山梨学院大学付属高時代は高校選手権で活躍)は2014年シーズン後、レンタル終了で清水に戻り、中国人選手初となるゴールを決めたDF高准翼は福岡に移籍した。
▽シーズン中やシーズン後に主力選手を放出しなければならなかった富山。その原因は2012年から導入されたクラブライセンス制度にあった。
▽「3シーズン連続して赤字ですと、クラブライセンスを剥奪されます。クラブを存続させるためには、主力選手を放出しなければならなかった」と安間監督。その結果、富山は2014年にJ3降格が決まり、安間監督も退任を余儀なくされた。そして富山はJ3で3シーズン目を迎え、現在4位でJ2再昇格を狙える位置にいる。
▽例年、この時期は来季に向けて契約更改の始まるタイミングでもある。海外移籍や優勝を狙えるクラブへの移籍、さらには好条件のクラブを視野に入れて交渉に臨む選手もいるし、代理人の思惑も絡む契約交渉でもある。そうした中で、ライセンスを確保するため戦力ダウンを覚悟の上で主力選手を放出しなければならないクラブもあることを安間監督は教えてくれた。
▽地域により、あるいは母体企業の有無により温度差があるかもしれないが、これもJリーグの抱えている実態だろう。チームが主力選手を放出しなければならない理由は様々だということを知った。とりわけ体力のないクラブにとっては切実な問題だろう。だからこそ、J2 やJ3 で奮闘しているクラブにはエールを送りたい。彼らが支えるからこそJ1の反映もあると思うからだ。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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