【質疑応答&囲み取材】FC東京MF石川直宏、自身のサッカー人生を振り返り「全て自分にとって良きことだと思いながらここまでやってきた」《現役引退記者会見》
2017.08.02 23:20 Wed
▽2日、今シーズン限りでの現役引退を発表したFC東京の元日本代表MF石川直宏の引退発表記者会見が、FC東京のクラブハウスで行われた。
▽引退を表明した石川は、会見内での質疑応答と会見後のメディア陣の囲み取材に応対。引退を決断するまでのきっかけや経緯について説明した。
▽また、自身のサッカー人生を振り返り、「全て自分にとって良きことだと思いながらここまでやってきた」と常にポジティブな気持ちで挑戦してきたことを明かした。
◆MF石川直宏(FC東京)
ーー引退を決断して、一番にご報告された方は
「正直覚えていないです(笑) 伝えた方は多くいました。去年、J3に復帰してからまた痛めて、痛みと腫れがある中で、このまま現役を続けるかという相談をしたり、悩みがあり、その時の方が迷っていました。ただ、今回はかなり自分の中でスパッと決まりました。そして、徐々に伝えさせていただいたという形なので、正直誰が最初だったかというのは覚えていません」
ーーシーズンが終わってから振り返るということでしたが、サッカーをする上で一番大切にしてきたことは
「まずはいちプレーヤーとして、この厳しい世界で生き残っていくために、自分がどういうプレーヤーであるべきかというのを一番頭に置きながら、自分のストロングポイントをどんな状況でも出せるようにやっていました。ただ、そういう状況がケガであったり、移籍も経験しましたけど、出せない状況の中で、本当にありがたかったのは、応援してくれるファンやサポーターの方、後押ししてくれる家族がいたこと。自分が不器用だからそれしかできなかったというのはあるかもしれないですけど、ケガや調子の悪い時、苦しい時、そういうところから逃げずに立ち向かう姿勢や正直な姿を見せることが一緒になって戦ってくれる方々のためにプレーヤーとして自分のあるべき姿なのかなと思っています」
「良くも悪くも自分と似ているのかなと(笑)僕が前に所属していた横浜F・マリノスは歴史があり、錚々たる選手がいて、素晴らしいチームでしたけど、自分が小平の練習場に足を踏み入れた時に、良い意味で心地良かったです。迎え入れられたということと、一生懸命にピッチで力を出し尽くす先輩方がいて、自分ならここで力を発揮できる、発揮したいと思い、積み重ねてきた結果が、あっという間でしたけど、長く在籍できた理由なのかなと思います」
ーー数々の選手とマッチアップしてきましたが、一番嫌だった選手は
「もしかしたらこれからそういう選手がいるかもしれないので、一番とは言えないですけど…そこは自分も望んでいることで、自分が試合に出ればそういう選手と対戦したいです。その中で、一緒に切磋琢磨して、尚且つ、同級生で刺激を受けてきたのはセレッソ大阪の茂庭(照幸)。自分の中で負けたくないというのが正直でした。本当に嫌でした。相手として戦って改めて彼の良さであったり、同じチームで紅白戦とかやっていてもずる賢さとクレバーさ、体の強さなど感じました。彼は僕の中ではずっとライバルです」
ーー石川選手にとってファンとは
「なかなか言葉で表しづらいですけど、ここにいる多くの方々は間違い無く、一度は味の素スタジアムに足を運んでくれていると思います。その方々が感じることそのままだと思います。先日の鹿島アントラーズ戦で自分がサポーターに対して、選手に対して、スタッフに対してひとつにしたいという思いの中で、(試合前のゴール裏での煽り)行動に出ました」
「グラウンドでサポーターの声援を受けてプレーするというのは久々でしたけど、ああいう場に一人で自分が行って、そのエネルギーを一人で受けたことはなかったです。そのエネルギーこそが自分の源、クラブの源で、逆を言えば僕らの力がファンやサポーターの方々の生きる力の源にもなって、あの場に居ればそういう雰囲気を感じてもらえると思います。そこに正直言葉は要らない。それを感じて欲しいし、自分がそういう風に感じながらプレーしてきたので、共に成長を歩める存在だったと思います」
ーーご家族の方にはどのようにご報告したか
「正直な話、自分の身近にいる家族、両親、友人には一番伝えづらかったです。妻には自分が言葉を多くを語らず、自分が帰ってきた時の雰囲気で感じてくれているので、自分の言葉では伝えましたけど、そこまで話していないです。それよりも両親です。自分が小さい頃から夢見てきたプロサッカー選手、共に戦い抜いてきました。特に親父は心配性なんで(笑)親父に伝えるのが感慨深かったです。自分の子供たちも大きくなって、記憶に残るプレーができれば、自分が引退した後もそういう話もできると思います。家族には感謝しています」
ーーリハビリを続けてきた中で、スパイクを脱ごうと思ったきっかけは
「しっかりと自分の体を客観的に見て、これだけケガをすれば敏感になるというか、センサーとしての反応が人よりも強くなります。今までであれば、治る可能性を信じて、リハビリを続けてきました。これからも良くなるとは思いますし、良くできるという自信もあります。その治った時の姿が自分の満足いくプレーができるかどうかは自分次第だと思いますし、自分が判断すれば良いだけの話です」
「ただ、先ほどもファンやサポーターの方々の話をしましたけど、そこには自分のプレーを期待して、観に来てくれてる多くの方々がいて、その方々に対してチームの勝利や皆さんにとって活力となるような自分のプレーができるかと言えば、自信を持って100パーセントの力でやってきた自分だからこそ、プレーを続けるべきではないのかなと自分が決断する上で出てきました」
ーーチームの足りない部分や成し遂げれていないこと、これからしていきたいことや来シーズンに願うことは
「こう言った部分も自分が伝えなくても、皆さんが感じていらっしゃると思います。ただ、長い目で見ればチームの変化を感じますけど、居続けるとそれが薄れてしまう。その怖さがあります。だからこそ、自分の考えている感覚とは違う感覚を持っている選手やスタッフ、ファンやサポーター、サッカーに興味のない方の言葉に耳を傾けた時に、『こういう感覚を持っているのか』というのは、コミュニケーションをとらないとわからないことです」
「そういったことの積み重ねであったり、言葉にして突き詰めていくことはチームのつながりや結束を生み、ピッチでの自信につながると思います。そのように気がつけたのは、自分がケガをして、俯瞰してチームを観るようになってからですけど、自分の中では気づくのが遅く、そういうアクションを起こすのが遅かったです。自分の中では気づいていたのかもしれないですけど、自分自身がそういうアクションをプレーで示すという思いの中でしか、積み上げてこれなかったのが非常にもったいなかったなと思います」
「後悔している訳ではないですし、プレーができない中で気がつけたモノもあります。プレーしていた時の思いと、プレーできない今だからこそ感じることをコミュニケーションをとった中で、伝えていきながらチームの上昇、タイトル獲得に近づけていくことが、僕自身もチームも足りなかったのかなと思います」
「逃げてはいけないところで逃げてしまうと、後になって結果として表れてくると思います。そうなった時には遅いです。これから自分もさらけ出して、皆もさらけ出して欲しいです。そういう姿を皆に期待しているし、僕がそういう姿勢を見せれば、きっと変えていけるんじゃないかなと思います」
ーー東京の地元の方々に向けて伝えたいこと
「本当に温かく、熱い声援を起こして頂き、それ以上のものを自分の中で望むものはありません。ただ、クラブや選手が今以上の熱量や思いを見せることで、応援してくださるファンやサポーターの皆さんがそこにまた反応して、もっと応援したいな、もっと好きになりたい、いろんな仲間を呼びたい、一緒になって戦いたいという環境を自分の中で築きたいです」
「だからこそ、ファン・サポーターの方々の熱意や思いに対して言うことはないです。僕らが変われば、貪欲になって厳しくなって、その姿に反応して高め合う、そういうクラブにしていきたいです。まだまだそういった部分は足りないですけど、本当に感謝していますし、これからもクラブを作り上げていってほしいと思います」
ーーなぜ今日なのか
「自分にとって8月2日というのは非常に意味があります。2年前の8月2日にフランクフルトとの親善試合でケガをして、リハビリがスタートしました。自分の中ではこの日はケガもありますけど、こういう思いで次の一歩を踏み出せたという、そういう日にしたかったです。あとは、妻の誕生日が今日で(笑)その日に引退会見というのもどうかなとは思いましたけど、それも自分の中で忘れられない日になると思います。帰ってケーキを食べますけど、これがお祝いでもなんでもないですし、全部引っくるめて良い日に変えていきたいです。そういう思いで今日にしました」
ーーサッカー人生で一番辛かった時期は
「もしかしたらこれからかもしれないですけど(笑)結構辛いことは忘れてしまうタイプで、自分で忘れようとしてしまうのかもしれません。なので、辛かったと思っていても、何年か経つとああいうことがあったし、ああいうことがきっかけで今があるなと思うので、正直強がりでも何でもなく、そこまでないですね。強いて言うなら、自分の姿を応援してくれるファン・サポーターの方々に観せられなかった時期ですね。今もそうですけど、どう頑張ってもそれができないので。自分がプレーしている時は、頑張って結果を残してピッチに立ってということができますけど、どう頑張ってもできない、時間がかかるという状況が一番辛いですね」
ーー引退後の予定は
「怖いくらい全くないです(笑)自分が思ったところから決断して伝えるまでが一夜だったので、今思えばそういうことも考えながら伝えるべきだよなと思いました。ただ、それが自分らしいというか、時間はいくらでもあると思いますし、そこを考える時間も大事ですけど、今できることというところに赴きを置いて突き進みたいです」
ーーサッカー選手を目指す子供たちに向けてメッセージは
「まだ振り返りたくはないですけど、自分は決して特別な選手とは思いません。キャリアを見れば順風満帆と評価してくれる方もいると思いますけど、僕の中では決して思っていませんし、常にギリギリの中で、ギリギリのタイミングでチャンスを掴んで、ここまで来れたと思っています。先ほども話しましたけど、起こることというのは全て自分にとって良きことだと思いながらここまでやってきました」
「ネガティブになることもあるかもしれませんけど、そういうものをポジティブに変えていくというのが常にあれば、チャンスはやってくると思います。そのチャンスは自分で掴まないといけないものだと思いますけど、チャンスを引き寄せるのはそういう姿勢でいることが大切だと思います」
「プロサッカー選手、Jリーガーや日本代表、海外でやるということなどいろいろな目標があると思いますけど、そういう志を前向きな姿勢でチャレンジし続けて欲しいなと思います。僕もそういう姿を表現したいなと思います」
ーーご自身が印象に残っているゴールは
「次の(J1通算)50ゴール目じゃないですかね(笑)まあ、300試合出場を目指してましたけど、ちょっと厳しそうなので、5分あれば仕事するよという身体にして、そういう判断を監督に認めさせて自分で掴みとります。ピッチの上で勝利につなげるゴールが自分にとっても一番になるんじゃないかなという期待も含めて、次の50ゴール目にします」
ーー今回の引退について同世代のFW前田遼一選手やFW大久保嘉人選手から何か言葉をかけられたか
「かけづらそうでしたね(笑)何度か伝えるタイミングはあったんですけど、シーズン中でしたし、彼らには彼らの立場があります。話すことは多くありますけど、今回の引退に関しては僕からは言葉にしなかったです。ミーティングで同時に知ったと思います。その後どういう表情をするかなと思いましたけど、いろいろな感情があったと思います。ただ、次に進むという表情をしていましたし、振り返るのはまだ先かなと思います。3人で試合に出たいですし、お互いライバルです。ゆっくり後で話せたらなと思います」
ーーポジティブに現状を受け止めているように見えるが、引退を決めるという決断は苦しいか
「自分の中ではネガティブでした。(他の選手の)いろいろな引退する姿を見てきましたし、自分がどういう形で引退するのかなというのはここ2年間で寝る前に毎日のように考えていました。全てを戦い終えた後、味スタのピッチで自分がどういう言葉を発するのかなとか、どういう思いになるのかなとかですね。自分にとってそれがいつ来るのかなという怖さと不安がありました」
「ただ、いざ自分がこの決断をしてみると、自分が思っていたものとは真逆でした。スッキリした状態で、次に向かって進み始めているという手応えや感覚があります。なので、辞めていった人たちはきっとそういう思いで決断する人が多いのかなと。もちろん、そういう人たちばかりではないですけど、そういう姿も感じてもらえたらなと思います。今やれる喜びや誇りもそうです。チームとして次に進みたいです」
ーー鈴木啓太氏の引退試合に参加していたが、あの時あった人たちに刺激を受けたか
「本当に良い時代に過ごせたなと思います。それは、その時代に過ごした人でないと分からないことだと思いますけど、いろいろな世代の人たちと交わっていくと、その良さが改めてわかりました」
「ただ、違う世代の人たちにそれを求めてもそれは難しいことなので、自分もああいう頃の経験をもとに伝えられることを伝えていきたいです。根本的に軸となっていくのはあの頃の戦いや思い、経験が今につながっていくし、これからもつながるし、良い時代を良い仲間と過ごせたなとと思います。ただ、もっとそういう時間をお互いに刺激しながら過ごしたいなと思わせてくれたのが、この間の引退試合でした。本当かけがえのない仲間です」
▽引退を表明した石川は、会見内での質疑応答と会見後のメディア陣の囲み取材に応対。引退を決断するまでのきっかけや経緯について説明した。
◆MF石川直宏(FC東京)
(C)CWS Brains,LTD.
ーー引退を決断して、一番にご報告された方は
「正直覚えていないです(笑) 伝えた方は多くいました。去年、J3に復帰してからまた痛めて、痛みと腫れがある中で、このまま現役を続けるかという相談をしたり、悩みがあり、その時の方が迷っていました。ただ、今回はかなり自分の中でスパッと決まりました。そして、徐々に伝えさせていただいたという形なので、正直誰が最初だったかというのは覚えていません」
ーーシーズンが終わってから振り返るということでしたが、サッカーをする上で一番大切にしてきたことは
「まずはいちプレーヤーとして、この厳しい世界で生き残っていくために、自分がどういうプレーヤーであるべきかというのを一番頭に置きながら、自分のストロングポイントをどんな状況でも出せるようにやっていました。ただ、そういう状況がケガであったり、移籍も経験しましたけど、出せない状況の中で、本当にありがたかったのは、応援してくれるファンやサポーターの方、後押ししてくれる家族がいたこと。自分が不器用だからそれしかできなかったというのはあるかもしれないですけど、ケガや調子の悪い時、苦しい時、そういうところから逃げずに立ち向かう姿勢や正直な姿を見せることが一緒になって戦ってくれる方々のためにプレーヤーとして自分のあるべき姿なのかなと思っています」
ーー17年間を振り返り、一つのクラブに長く在籍できた理由は
「良くも悪くも自分と似ているのかなと(笑)僕が前に所属していた横浜F・マリノスは歴史があり、錚々たる選手がいて、素晴らしいチームでしたけど、自分が小平の練習場に足を踏み入れた時に、良い意味で心地良かったです。迎え入れられたということと、一生懸命にピッチで力を出し尽くす先輩方がいて、自分ならここで力を発揮できる、発揮したいと思い、積み重ねてきた結果が、あっという間でしたけど、長く在籍できた理由なのかなと思います」
ーー数々の選手とマッチアップしてきましたが、一番嫌だった選手は
「もしかしたらこれからそういう選手がいるかもしれないので、一番とは言えないですけど…そこは自分も望んでいることで、自分が試合に出ればそういう選手と対戦したいです。その中で、一緒に切磋琢磨して、尚且つ、同級生で刺激を受けてきたのはセレッソ大阪の茂庭(照幸)。自分の中で負けたくないというのが正直でした。本当に嫌でした。相手として戦って改めて彼の良さであったり、同じチームで紅白戦とかやっていてもずる賢さとクレバーさ、体の強さなど感じました。彼は僕の中ではずっとライバルです」
ーー石川選手にとってファンとは
「なかなか言葉で表しづらいですけど、ここにいる多くの方々は間違い無く、一度は味の素スタジアムに足を運んでくれていると思います。その方々が感じることそのままだと思います。先日の鹿島アントラーズ戦で自分がサポーターに対して、選手に対して、スタッフに対してひとつにしたいという思いの中で、(試合前のゴール裏での煽り)行動に出ました」
「グラウンドでサポーターの声援を受けてプレーするというのは久々でしたけど、ああいう場に一人で自分が行って、そのエネルギーを一人で受けたことはなかったです。そのエネルギーこそが自分の源、クラブの源で、逆を言えば僕らの力がファンやサポーターの方々の生きる力の源にもなって、あの場に居ればそういう雰囲気を感じてもらえると思います。そこに正直言葉は要らない。それを感じて欲しいし、自分がそういう風に感じながらプレーしてきたので、共に成長を歩める存在だったと思います」
(C)CWS Brains,LTD.
ーーご家族の方にはどのようにご報告したか
「正直な話、自分の身近にいる家族、両親、友人には一番伝えづらかったです。妻には自分が言葉を多くを語らず、自分が帰ってきた時の雰囲気で感じてくれているので、自分の言葉では伝えましたけど、そこまで話していないです。それよりも両親です。自分が小さい頃から夢見てきたプロサッカー選手、共に戦い抜いてきました。特に親父は心配性なんで(笑)親父に伝えるのが感慨深かったです。自分の子供たちも大きくなって、記憶に残るプレーができれば、自分が引退した後もそういう話もできると思います。家族には感謝しています」
ーーリハビリを続けてきた中で、スパイクを脱ごうと思ったきっかけは
「しっかりと自分の体を客観的に見て、これだけケガをすれば敏感になるというか、センサーとしての反応が人よりも強くなります。今までであれば、治る可能性を信じて、リハビリを続けてきました。これからも良くなるとは思いますし、良くできるという自信もあります。その治った時の姿が自分の満足いくプレーができるかどうかは自分次第だと思いますし、自分が判断すれば良いだけの話です」
「ただ、先ほどもファンやサポーターの方々の話をしましたけど、そこには自分のプレーを期待して、観に来てくれてる多くの方々がいて、その方々に対してチームの勝利や皆さんにとって活力となるような自分のプレーができるかと言えば、自信を持って100パーセントの力でやってきた自分だからこそ、プレーを続けるべきではないのかなと自分が決断する上で出てきました」
ーーチームの足りない部分や成し遂げれていないこと、これからしていきたいことや来シーズンに願うことは
「こう言った部分も自分が伝えなくても、皆さんが感じていらっしゃると思います。ただ、長い目で見ればチームの変化を感じますけど、居続けるとそれが薄れてしまう。その怖さがあります。だからこそ、自分の考えている感覚とは違う感覚を持っている選手やスタッフ、ファンやサポーター、サッカーに興味のない方の言葉に耳を傾けた時に、『こういう感覚を持っているのか』というのは、コミュニケーションをとらないとわからないことです」
「そういったことの積み重ねであったり、言葉にして突き詰めていくことはチームのつながりや結束を生み、ピッチでの自信につながると思います。そのように気がつけたのは、自分がケガをして、俯瞰してチームを観るようになってからですけど、自分の中では気づくのが遅く、そういうアクションを起こすのが遅かったです。自分の中では気づいていたのかもしれないですけど、自分自身がそういうアクションをプレーで示すという思いの中でしか、積み上げてこれなかったのが非常にもったいなかったなと思います」
「後悔している訳ではないですし、プレーができない中で気がつけたモノもあります。プレーしていた時の思いと、プレーできない今だからこそ感じることをコミュニケーションをとった中で、伝えていきながらチームの上昇、タイトル獲得に近づけていくことが、僕自身もチームも足りなかったのかなと思います」
「逃げてはいけないところで逃げてしまうと、後になって結果として表れてくると思います。そうなった時には遅いです。これから自分もさらけ出して、皆もさらけ出して欲しいです。そういう姿を皆に期待しているし、僕がそういう姿勢を見せれば、きっと変えていけるんじゃないかなと思います」
ーー東京の地元の方々に向けて伝えたいこと
「本当に温かく、熱い声援を起こして頂き、それ以上のものを自分の中で望むものはありません。ただ、クラブや選手が今以上の熱量や思いを見せることで、応援してくださるファンやサポーターの皆さんがそこにまた反応して、もっと応援したいな、もっと好きになりたい、いろんな仲間を呼びたい、一緒になって戦いたいという環境を自分の中で築きたいです」
「だからこそ、ファン・サポーターの方々の熱意や思いに対して言うことはないです。僕らが変われば、貪欲になって厳しくなって、その姿に反応して高め合う、そういうクラブにしていきたいです。まだまだそういった部分は足りないですけど、本当に感謝していますし、これからもクラブを作り上げていってほしいと思います」
(C)CWS Brains,LTD.
ーーなぜ今日なのか
「自分にとって8月2日というのは非常に意味があります。2年前の8月2日にフランクフルトとの親善試合でケガをして、リハビリがスタートしました。自分の中ではこの日はケガもありますけど、こういう思いで次の一歩を踏み出せたという、そういう日にしたかったです。あとは、妻の誕生日が今日で(笑)その日に引退会見というのもどうかなとは思いましたけど、それも自分の中で忘れられない日になると思います。帰ってケーキを食べますけど、これがお祝いでもなんでもないですし、全部引っくるめて良い日に変えていきたいです。そういう思いで今日にしました」
ーーサッカー人生で一番辛かった時期は
「もしかしたらこれからかもしれないですけど(笑)結構辛いことは忘れてしまうタイプで、自分で忘れようとしてしまうのかもしれません。なので、辛かったと思っていても、何年か経つとああいうことがあったし、ああいうことがきっかけで今があるなと思うので、正直強がりでも何でもなく、そこまでないですね。強いて言うなら、自分の姿を応援してくれるファン・サポーターの方々に観せられなかった時期ですね。今もそうですけど、どう頑張ってもそれができないので。自分がプレーしている時は、頑張って結果を残してピッチに立ってということができますけど、どう頑張ってもできない、時間がかかるという状況が一番辛いですね」
ーー引退後の予定は
「怖いくらい全くないです(笑)自分が思ったところから決断して伝えるまでが一夜だったので、今思えばそういうことも考えながら伝えるべきだよなと思いました。ただ、それが自分らしいというか、時間はいくらでもあると思いますし、そこを考える時間も大事ですけど、今できることというところに赴きを置いて突き進みたいです」
ーーサッカー選手を目指す子供たちに向けてメッセージは
「まだ振り返りたくはないですけど、自分は決して特別な選手とは思いません。キャリアを見れば順風満帆と評価してくれる方もいると思いますけど、僕の中では決して思っていませんし、常にギリギリの中で、ギリギリのタイミングでチャンスを掴んで、ここまで来れたと思っています。先ほども話しましたけど、起こることというのは全て自分にとって良きことだと思いながらここまでやってきました」
「ネガティブになることもあるかもしれませんけど、そういうものをポジティブに変えていくというのが常にあれば、チャンスはやってくると思います。そのチャンスは自分で掴まないといけないものだと思いますけど、チャンスを引き寄せるのはそういう姿勢でいることが大切だと思います」
「プロサッカー選手、Jリーガーや日本代表、海外でやるということなどいろいろな目標があると思いますけど、そういう志を前向きな姿勢でチャレンジし続けて欲しいなと思います。僕もそういう姿を表現したいなと思います」
ーーご自身が印象に残っているゴールは
「次の(J1通算)50ゴール目じゃないですかね(笑)まあ、300試合出場を目指してましたけど、ちょっと厳しそうなので、5分あれば仕事するよという身体にして、そういう判断を監督に認めさせて自分で掴みとります。ピッチの上で勝利につなげるゴールが自分にとっても一番になるんじゃないかなという期待も含めて、次の50ゴール目にします」
ーー今回の引退について同世代のFW前田遼一選手やFW大久保嘉人選手から何か言葉をかけられたか
「かけづらそうでしたね(笑)何度か伝えるタイミングはあったんですけど、シーズン中でしたし、彼らには彼らの立場があります。話すことは多くありますけど、今回の引退に関しては僕からは言葉にしなかったです。ミーティングで同時に知ったと思います。その後どういう表情をするかなと思いましたけど、いろいろな感情があったと思います。ただ、次に進むという表情をしていましたし、振り返るのはまだ先かなと思います。3人で試合に出たいですし、お互いライバルです。ゆっくり後で話せたらなと思います」
ーーポジティブに現状を受け止めているように見えるが、引退を決めるという決断は苦しいか
「自分の中ではネガティブでした。(他の選手の)いろいろな引退する姿を見てきましたし、自分がどういう形で引退するのかなというのはここ2年間で寝る前に毎日のように考えていました。全てを戦い終えた後、味スタのピッチで自分がどういう言葉を発するのかなとか、どういう思いになるのかなとかですね。自分にとってそれがいつ来るのかなという怖さと不安がありました」
「ただ、いざ自分がこの決断をしてみると、自分が思っていたものとは真逆でした。スッキリした状態で、次に向かって進み始めているという手応えや感覚があります。なので、辞めていった人たちはきっとそういう思いで決断する人が多いのかなと。もちろん、そういう人たちばかりではないですけど、そういう姿も感じてもらえたらなと思います。今やれる喜びや誇りもそうです。チームとして次に進みたいです」
ーー鈴木啓太氏の引退試合に参加していたが、あの時あった人たちに刺激を受けたか
「本当に良い時代に過ごせたなと思います。それは、その時代に過ごした人でないと分からないことだと思いますけど、いろいろな世代の人たちと交わっていくと、その良さが改めてわかりました」
「ただ、違う世代の人たちにそれを求めてもそれは難しいことなので、自分もああいう頃の経験をもとに伝えられることを伝えていきたいです。根本的に軸となっていくのはあの頃の戦いや思い、経験が今につながっていくし、これからもつながるし、良い時代を良い仲間と過ごせたなとと思います。ただ、もっとそういう時間をお互いに刺激しながら過ごしたいなと思わせてくれたのが、この間の引退試合でした。本当かけがえのない仲間です」
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