【六川亨の日本サッカー見聞録】第4回レフェリーブリーフィング「誤審を認めることで不信感の払拭に期待」2017.07.20 12:45 Thu

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▽昨日19日は、毎月恒例のレフェリーブリーフィングが行われた。これは直近1か月のJ1~J3の試合で、疑問のあったジャッジについて試合後に両チームのGMなどと意見交換し、後日VTRで確認してジャッジの正当性を検証するという試みだ。

▽結果はチーム関係者(監督やコーチを含む)と選手に伝えた後、メディアにも実際のシーンを再現しながら上川・JFA審判委員会副委員長が解説する。今回は6月1日から7月19日までの全166試合で意見交換し、そのうち36シーンでレフェリーの判断ミスがあったことが報告された。

▽「フィジカルチャレンジ」の場合なら、6月25日の磐田対FC東京戦で、後半15分にFC東京のピーター・ウタカが両足タックルでクロスを上げようとしている選手の足下に飛び込んだ。ゲームではイエローだったものの、「両足の裏を見せ、体が宙に浮いている状態でのタックルは勢いをコントロールできない危険なプレー」と上川氏は指摘し、レッドが妥当だったと解説した。

▽同じように、7月5日の川崎F対浦和戦では、後半41分にエドゥアルドが李忠成の左膝にタックルを見舞った。このプレーもイエローだったが、エドゥアルドのタックルは足の裏を見せ、ボールではなく左膝へ、さらに「足が伸びきった危険な状態」(上川氏)でのタックルだったため、これもレッドが妥当だとの判断を示した。幸い大事には至らなかったものの、一歩間違えれば選手生命の危機につながりかねない危険なプレーだ。今後はこうしたVTRによる検証が、危険なプレーを未然に防ぐ抑止力になってほしい。

▽「ペナルティーエリア内のインシデント(危険発生の可能性=PKかどうか)では、気の毒な例も報告された。7月8日のJ2リーグ、千葉対讃岐戦でのことだ。アウェーの讃岐が3-2のリードで迎えた後半35分、千葉が右サイドから攻め込みクロスを上げた。これがペナルティーボックス外(ぎりぎりでボックス外)にいた讃岐の選手の右手に当たり、主審は千葉にPKを与えた。

▽しかしVTRで確認すると、「意図的に手をつかったわけではない」ものの、「ボールが手に当たったことで、その反動で手が横に開いたため、主審は故意に手を使ったと誤審した」と上川氏は説明。さらにPKというジャッジについても、「主審の位置が遠いため、正確な判断ができなかったかもしれないし、副審の位置からも選手が重なって見にくかったようです」と説明した。

▽讃岐にとっては、3-2とリードしていたものの、PKで同点に追いつかれると、その3分後にも決勝点を許して3-4と逆転負けを喫した。「PKさえなければ」と悔やまれるシーンだっただろう。

▽誤審を認めても、結果が覆るわけではない。しかし、誤審をうやむやにしていては、審判への不信は募るばかりだ。そして再び同じ主審でのゲームとなったら、「またあの主審か」と選手も先入観を持ってプレーする可能性がある。それは両者にとってマイナス材料だけに、誤審を認めることで両者の誤解が解け、気持ちよくプレーできることを期待したい。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

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【六川亨の日本サッカー見聞録】殿堂掲額の特別表彰は意外な大先輩

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【六川亨の日本サッカー見聞録】ドイツ人選手9人目のポドルスキと1FCケルンの関係

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【六川亨の日本サッカー見聞録】久保建英がトップチームの練習に合流。期待されるJ1デビュー

▽7月12日の天皇杯の3回戦は、筑波大学の快進撃が続いている。2回戦の仙台に続き、3回戦では福岡にも完勝した。その12日は、天皇杯の2回戦で長野にPK負けを喫したFC東京の取材で小平グラウンドを訪れた。 ▽午前中にもかかわらず、うだるような暑さの中で、8対8のゲームを3グループで繰り返していた。昨日は新外国人選手の張賢秀(チャン・ヒョンス)と、リッピ・ヴェローゾの加入が正式発表されるからだ(発表は午後5時以降)。チャン・ヒョンスは韓国代表DFで、3年半前にもFC東京に在籍した。大学卒業後、初めてプロのキャリアをスタートさせたのがFC東京だった。 ▽リッピは20歳のブラジル人で、かつてFC東京やG大阪で活躍したルーカスの紹介で、6月から練習生としてプレーしていたが、晴れてプロ契約を結ぶことができた。縦はハーフコートで、横幅を狭めたピッチで、チャン・ヒョンスは3DFのCBでプレー。キャプテンの森重が足首の負傷で離脱しているだけに、彼の加入はチームにとっても心強いことだろう。 ▽そんなチャン・ヒョンスと同じ白いビブスを着て、中盤で俊敏に動いている選手がいる。いったい誰だろうと確認したら、久保健英だった。トップチームの選手に混じっても、当たり負けせず、プレースピードも遜色はない。チームメイトの足を引っ張るどころか、互角にプレーするあたり、並の16歳ではないことが伺い知れる。 ▽そしてゲーム中は、彼独特の、ボールが欲しい時に手の平を上に向け、指を内側に「来い」という合図を味方に送る。無駄に動かず、ほんの一瞬の間にポジションを変えることでフリーになる巧さは相変わらずだ。 ▽篠田監督は「久しぶりにトップチームに入ってきても、いいプレーを見せた」と褒めつつ、「ボールを失う回数が目立ったので、一緒に練習すれば馴染んで行くだろう」と、今後もトップチームで練習させることを示唆していた。 ▽このままトップチームで練習すれば、もしかしたら今シーズン中にJ1デビューがあるかもしれない。11人対11人の紅白戦ではどのポジションに入るのかも楽しみだ。久保のプレーを見たいファンは、小平での練習見学をお勧めする。ただし、まだ握手やサイン、記念撮影といったファンサービスには対応していない。 ▽練習後の久保は、クラブハウス2階の食堂で、一人アクエリアスのペットボトルを飲みながら、スマホに夢中になっていた。そんな姿を見ると、やはり普通の高校生なんだなと実感させられる。同僚の記者によると、先輩の石川直宏から「身長は何センチ伸びた」と聞かれると、「171センチですが、まだまだ伸びます」と答えていたそうだ。 ▽あらゆる意味で久保の成長を心待ちにしているサッカーファンは多いのではないだろうか。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.07.13 20:52 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】コンフェデ杯やはり最後に勝つのはドイツだった

▽ロシアで開催されたコンフェデ杯は、世界王者のドイツが南米チャンピオンのチリを1-0で下して初優勝を飾った。結果こそ順当だが、ドイツは平均年齢24歳と“代表Bチーム"の布陣。リーグ戦が終わったばかりの開催とあって、主力抜きでの快挙だった。 ▽ドイツといえば、96年のEUROで優勝した際に、開催国の解説者を務めたガリー・リネカーが「サッカーは11人でやるスポーツだが、最後に勝つのはドイツだ」と名言を残した。それだけ強さの際立つ国でもあった。 ▽古くは66年イングランドW杯で準優勝すると、70年メキシコW杯は3位。74年に自国で開催したW杯で2度目の優勝を遂げる。78年アルゼンチン大会でベスト8に終わると、フォクツ監督は批判にさらされた。それでも82年スペインW杯と86年メキシコW杯は準優勝。そして90年イタリアW杯では3度目の優勝を果たす。 ▽94年アメリカW杯と98年フランスW杯は、いずれもベスト8で敗退。さらに00年のEUROはグループリーグで敗退すると、サッカー大国の威信をかけて「自国選手の育成プログラム」を立ち上げ、長期的な強化に取り組んだ。 ▽とはいえ、2年後の日韓W杯で準優勝すると、06年の自国開催となったW杯でも3位となりクローゼが得点王を獲得。10年南アW杯も3位でトーマス・ミュラーが得点王と、それなりに安定した成績を残している。 ▽それでもドイツにとって、W杯やEUROでベスト8や3位では満足のできる成績ではなかったのだろう。日本だけでなく、ブラジル以外の国からすれば羨ましくなるほど高い目標設置だ。そして14年ブラジルW杯では王国を粉砕して4度目の世界王者に輝く。コンフェデ杯優勝はW杯連覇への“足慣らし"といったところだろうか。 ▽さて、そのコンフェデ杯だが、今大会を最後に大会方式の見直しが検討されている。夏の開催だと今回のドイツのように、“2軍"チームを送り込んでくる可能性が広まるのと、次回のW杯はカタール開催のため、コンフェデ杯もW杯同様に11月~12月開催になることが予想されているからだ。 ▽国内リーグの日程を2年連続して秋春から、春秋開催に変更することへの抵抗感。それにともなうCLやELの日程調整など、ヨーロッパの国々からすれば大きな負担になる。一番手っ取り早い解決策は、最近もFIFAの内部調査で招致に疑惑のあったカタール開催を取りやめ、招致に手を上げた日本やアメリカで開催すること。 ▽しかし、それも早く決めないと代替国の準備は間に合わない。さらに現在のカタールは、政治的・宗教的な対立からサウジアラビアを始めUAEなど中東5カ国から国交を断絶され、人的にも物資的にも交流が滞っていると聞く。まだ22年のW杯まで5年の猶予があるものの、果たして間に合うのか。最近のFIFAは民主的になったものの、以前のような強力なリーダーシップを発揮できていない印象があるだけに、こちらも気になるところだ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.07.06 13:08 Thu
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