【六川亨の日本サッカー見聞録】G大阪に200万円の制裁金。再発防止には勝点の剥奪を検討すべきか否か2017.05.11 19:28 Thu

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▽Jリーグの村井チェアマンは、4月16日のC大阪対G大阪戦で、G大阪のサポーターによるナチス親衛隊の「SS」を想起させる不適切なフラッグ掲出について、裁定委員会に諮問し、G大阪に対して「けん責(始末書を取り、将来を戒める)」と「制裁金200万円」の制裁を課すことを決定した。

▽5月11日にJFAハウスで行われた会見に、村井チェアマンはAFCとFIFA総会出席のためバーレーンに出張中のため、インターネットを使ったテレビ会議で参加。冒頭に、差別的な発言をした浦和の森脇や、ボールパーソンに乱暴な行為をした徳島の馬渡ら、ピッチ上で起こった行為に関しては規律委員会に権限があるため、チェアマンは介入できないことを説明。しかしピッチ外の行為に関してはチェアマンが介入する権限があるため、今回、裁定委員会に諮問し、上記の結果になったことを報告した。

▽200万円の制裁金に関しては、2010年の仙台対浦和戦で、浦和のサポーターが仙台の外国籍選手に対して差別的な行為をしたことと、ペットボトルを投げつけて負傷者を出したことに対し、前者の行為に200万円、後者の行為に300万円の制裁金を課した。2014年の浦和対鳥栖戦では浦和のサポーターが差別的な横断幕を掲げ、チームも試合終了まで外さなかったとして、浦和には無観客試合1試合の制裁が課された。そして同年にはニッパツ三ツ沢で行われた横浜FM対川崎F戦で、横浜FMのサポーターが川崎Fの黒人選手にバナナを振った行為が人種差別に当たるとして500万円の制裁金が課された。

▽以上のケースを踏まえ、浦和の差別的な行為がベンチマークとなり、今回G大阪には200万円の制裁金が課されたことを説明した。

▽今回の件を受け、村井チェアマンは、「【1】予防と啓発努力をする。【2】管理体制とモニタリングをしっかりする。【3】危機管理とトラブル発生時に迅速な対応ができたか。【4】再発防止、の4点により今後、量刑は変わってくる」とし、G大阪はサポーターが「SS旗」を使用していることを2014年以前から知りながら「再発防止を徹底できなかった」ものの、「発生後の対応(サポーターの特定と解散、今後のあり方の協議など)には努力は見られた」と一定の評価を下した。

▽これまでにもサポーターは同じような問題を何度も繰り返してきた。当該サポーターは永久追放となり、チームにはけん責処分や制裁金が課されるものの、なかなか後を絶たない。今回の「SS旗」事件はサポーターの通報やSNS等の拡散によって発覚したが、一番の監視役になるのは、そばにいるサポーター仲間ではないだろうか。

▽制裁金はチームが支払うため、当事者であるサポーターに金銭的な負担はない。であるなら、かつて浦和に課した無観客試合や、これまで例はないものの勝点の剥奪の方がサポーターにとってはより深刻であり、サポーター同士が抑止力になる可能性が高い。

▽この点を村井チェアマンに質問したところ、「1つ1つの事実に基づきながら判断するので、(勝点剥奪は)私の判断だけではできない。浦和は事後処理の対応が遅れたために、無観客試合という判断になった。各クラブが改善努力をすればいいと思うし、私の判断だけで量刑は決められないと思います」と話すにとどめた。実際に深刻な問題が起こらないと、軽々に発言できないからでもあるだろう。

▽しかし、コトが起こってからでは遅いと思う。チェアマンという組織のトップが厳格な罰則の可能性を示唆するだけでも抑止力になると思うが、チェアマンがあまりに出しゃばると、それはそれで弊害があることを初代チェアマンの時に経験しているので、やはり難しい問題かもしれない。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

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【六川亨の日本サッカー見聞録】似ているイングランドと日本

▽約6週間ぶりに戻った自室は、定期購読している新聞に加え、W杯期間中に執筆した雑誌や新聞、コメントを出した掲載紙誌と郵便物で足の踏み場もなかった(もともと本や雑誌で足の踏み場は少ないが)。 ▽気は進まないものの、自分で整理しなくては片付かない。今日20日はJFA(日本サッカー協会)の技術委員会が14時から開かれて、次期日本代表監督の方向性が示されるかもしれない。取材しなければと思いつつ、そちらは知人の記者に託し、まずは請求書など郵便物の整理から手をつけた。 ▽18時前から始まった関塚技術委員長の説明によると、この日の技術委員会では「候補は森保氏か外国人か一本化されていないものの、結論は関塚委員長に一任すること」で決まったという。当の関塚委員長は記者からの質問に対し、いつもの柔和な笑顔で「答えられません」と繰り返したそうだ。 ▽今後は7月23日のJFA常務理事会と、26日の理事会の承認を得て新監督の誕生となる。恐らく森保氏が五輪代表と日本代表の監督を兼務することになるだろう。日本代表のコーチ陣らの組閣はそれ以降となる。 ▽不思議なのは、これまで代表スタッフとして活動を共にしてきた手倉森氏の名前が、新監督人事の際にいっさいマスコミに出なかったことだ。リオ五輪の監督であり、ロシアW杯でヘッドコーチ的な役割も務めた。西野監督が退任を表明したため、そのキャリアから手倉森氏が日本代表と五輪代表の総監督的な立場になってもおかしくないところだが、彼の名前が新聞紙上に出たことは一度もない。 ▽ここらあたり、何かあるのではないかと疑いたくなるのがジャーナリストの性分でもある。 ▽といったところで、今回は月曜コラムの続き――決勝戦レビューや大会総評の予定だったが、3位決定戦のベルギー対イングランド戦で書き残したことがあるので、今一度お付き合い願いたい。 ▽試合は月曜のコラムでも書いたように、ベルギーの完勝だった。GKクルトワ、CBコンパニー、ボランチにヴィツェル、CFルカクとタテのラインに核となる選手を配し、さらにE・アザールやデ・ブライネらワールドクラスの選手が攻撃陣をリードする。穴がないだけでなく、控えの選手層も充実した完成度の高いチームだった。 ▽それに対しイングランドは、空中戦に強いCBストーンズ、スピードが魅力のスターリング、精度の高い右足クロスを持つトリッピアーら好選手はいたものの、チーム全体として小粒感は否めない。その一番の原因は、イングランドには攻撃陣をリードするデ・ブライネや、チャンスメイクと同時にゴールも決められるE・アザールのような“決定的な仕事”のできる選手がいなかったからだ。このためイングランドはベスト4に進んだものの、“平凡なチーム”という印象を受けてしまった。 ▽その原因は、もちろん彼らにあるわけではない。エントリーメンバー23人は全員がスパーズやマンチェスター・U、マンチェスター・C、チェルシー、リバプールといったプレミアリーグの強豪チームでレギュラーとして活躍している。 ▽だが、その一方でベルギーの選手の所属チームを見ると、イングランド戦のスタメン11人のうちヴィツェル(天津権健)、ムニエ(PSG)、ティーレマンス(モナコ)以外の8人は前述したプレミアリーグを主戦場としている。 ▽GKを含め3バックのDF陣と前線の攻撃陣3人はいずれもスパーズやマンチェスター・U、マンチェスター・C、チェルシーの主力である。そしてプレミアリーグで“外人部隊”として活躍しているのはベルギーの選手だけではない。優勝したフランスではGKロリス(スパーズ)、決勝戦でゴールを決めたポグバ(マンチェスター・U)、今大会はノーゴールに終わったもののポストプレーで貢献したFWジルーとボランチのカンテ(チェルシー)に加え、他の強豪国もプレミアリーグでプレーする主力選手は多い。 ▽その結果、彼らがイングランドの選手からポジションを奪っている、あるいは若手選手の台頭を妨げている可能性は高い。攻守に決定的な仕事をする、もしくは創造性に富んだプレーをするポジションは外国人頼りのため、自国の選手がなかなか育たないジレンマを抱えているのがイングランドではないだろうか。 ▽翻って日本である。コロンビア戦でのプレーで川島は批判の的となった。さりとてW杯は初出場となる東口や中村にゴールマウスを任せられるかどうかは正直心許ない(その後の川島は好プレーも見せた)。CBも槙野はポーランド戦で余計なファウルからイエローカードをもらうなど安定感に欠ける。川島に限らず、吉田の後継者探しは日本にとって急務である。 ▽GKやCBは慢性的な人材不足であり、近年はそれを外国人選手、とりわけ韓国人選手で補っているのが実情だ。身長が求められるポジションだけに仕方のない面もある。Jリーグは近い将来、外国人枠の撤廃を視野に入れているとも聞く。しかしイングランドではないが、主要なポジションを外国人に頼っていると自国選手の育成に弊害が出ないとも限らない。 ▽幸いなことにJリーグはダ・ゾーンのおかげで潤沢な資金を手にした。とはいえ資金規模はプレミアリーグと比較にならないし、クラブの投資額も限られる。このため、そう簡単に“外国人天国”にはならないだろう。とはいえ、日本はGKやCBの後継者に安堵できる状況ではない。 ▽そんな堂々巡りの議論を頭の中で繰り返しながら、不手際を感じつつ試合後のセレモニーを見た、サンクトペテルブルクでの3位決定戦だった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.07.21 13:00 Sat
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【六川亨の日本サッカー見聞録】期待したい3位決定戦

▽6月14日に始まったロシアW杯も約1ヶ月が過ぎ、残すは14日の3位決定戦ベルギー対イングランド、15日の決勝戦フランス対クロアチアの2試合のみとなった。今大会は優勝候補のドイツがグループステージで敗退しただけでなく、ブラジルやアルゼンチン、ポルトガル、スペインといった強豪国が早々と姿を消した。 ▽彼らは試合によって好不調の波があり、ラウンド16は日本対ベルギー、準々決勝はブラジル対ベルギー、スウェーデン対イングランドを現地取材したが、正直な感想は「負けたくない試合運び」のため、正直なところちょっと退屈な試合だった。 ▽ところが準決勝のフランス対ベルギー、クロアチア対イングランドは2試合とも“勝ちに行く”サッカーだったため、「やっとW杯らしい」スリリングな試合を楽しむことができた。もともとW杯は決勝戦も含めて勝負にこだわるため、見せ場の少ない試合になることが多い。過去の大会でも名勝負と言われる試合は準決勝が多かった。 ▽それを裏付けるようにフランス対ベルギー、クロアチア対イングランドは、互いにヨーロッパのリーグ戦でチームメイトだったり対戦相手だったりしたため手の内を知っているだけに、オープンな打ち合いとなる時間帯もあり大いに楽しめた。 ▽さて3位決定戦である。ベルギーは86年メキシコ大会でエリック・ゲレツやヤン・クーレマンスらを擁して初のベスト4進出を果たしたものの、フランスとの3位決定戦では両チームとも戦力を落としたことで“退屈”な試合の結果4位に終わった。そこで初の3位という最高成績を残すためにも14日はベストメンバーで闘って欲しいものだ。 ▽対するイングランドは下馬評こそそれほど高くはなかったものの、独特のシステムで躍進を続け、90年イタリア大会の4位以来28年ぶりの3位決定戦にコマを進めた。当時のメンバーにはベテランGKピーター・シルトンを始め、ゲリー・リネカー、クリス・ワドル、ピーター・ベアズリー、デイビッド・プラット、ポール・ガスコインら錚々たるメンバーが揃っていたが、ロベルト・バッジョとサルバドール・スキラッチのゴールによりイタリアに1-2で敗れた。 ▽しかし今大会はスピードスターのラヒーム・スターリングや、現在6ゴールで得点王候補筆頭のハリー・ケインら“今が旬”な選手が多いだけに、好ゲームが期待される。なによりもイングランドは、試合中に手を抜いたプレーをしないし、シミュレーションで故意に倒れて反則を誘ったり、露骨な時間稼ぎをしたりしない。プレミアリーグのファン・サポーターがそれを許さない伝統がある。 ▽クロアチア戦の後半19分のことだ。ペナルティーエリア右でドリブル突破を仕掛けたスターリングは足を引っかけられて倒れたものの、PKをアピールすることなく倒れたままで折り返しのクロスを送ろうとした。これはGKスバシッチにカットされたが、彼のプレー1つをとっても“ジョンブル魂”を垣間見た気がした。 ▽残念ながら彼らが歌う「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」のアンセムも、「フットボール・イズ・カミング・ホーム」(フットボールが母国に帰ってくる=優勝トロフィーが母国のものになる)も実現しなかった。 ▽しかしイングランドのサポーターが野太い声でスタジアムを揺るがす雰囲気は、やはりひと味も二味も違う。ゴール裏に掲げられたサポーターの国旗には必ず自分の愛するクラブの名前が入っているのもイングランドならではだ。「自分はここにいるよ」というメッセージであり、「1人でも戦いに来た」という意思表示でもある(どちらかというとマイナーなクラブのサポーターの方が多い)。 ▽そんな彼らの声援を受けることが予想されるだけに、今大会の3位決定戦は好勝負が期待できるのではないだろうか。そんな思いを抱いてサンクトペテルブルクに行くことにした。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.07.12 20:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ベルギー戦レビュー

▽ロシアW杯ラウンド16、7月2日のベルギー戦で日本は大善戦した。後半3分、柴崎岳のスルーパスは図ったように原口元気につながると、原口は焦ることなくペナルティーエリアに入り、スローダウンして軽くキックフェイント。これでマーカーのヴェルトンゲンを惑わし、狙いすました一撃をゴール左スミに流し込んだ。 ▽後半7分の追加点も鮮やかだった。相手クリアを拾った香川真司だったが、シュートを狙ったもののコースは防がれている。ベルギー戦での香川は、かなり相手に警戒されていた。ボールを持ったからといって、ベルギーDFはうかつに飛び込んではこない。行けばそれこそ香川の思うつぼで、アジリティーを生かしたダブルタッチなどでかわされることを警戒したからだろう。そこでシュートコースを押さえることに専念した。 ▽そんなことは香川も織り込み済みだったのだろう。乾貴士に戻すと、これまた無回転のミドルをゴール右スミに突き刺した。 ▽2人ともゴールのイメージがあったのだろう。焦らず、力まず、ジャストミートの会心の一撃だった。 ▽にもかかわらず敗れたのは、控え選手を含めた総合力の差と言わざるを得ない。アディショナルタイムの失点で逆転負けを喫したものの、例え延長戦に入ったとしても、本田圭佑、山口蛍に次ぐ次の一手、二手(延長に入ればもう1人交代できる)が日本にあったのかというと、すぐには思い浮かばない。せいぜい植田直通をCBに入れて、昌子源と2人でフェライニのマークに当たらせるくらいだろう。 ▽惜しむらくは試合の流れが変わった後半20分のプレーだ。ヴェルトンゲンにヘディングで1点を返されたが、“アシスト”したのは乾だった。GK川島永嗣のパンチングボールをペナルティーエリア左にいた乾がクリア。乾としては大きく蹴り出したかったのだろうが、力いっぱい蹴ったボールは高く上がってペナルティーエリア右へ。GKは出にくいし、DFも目測が難しい。なにより垂直に落ちてくるボールは長身選手に有利だ。 ▽ヴェルトンゲンにシュートの意識はなかっただろう。ただヘッドでゴール前に折り返そうとしたところ、GK川島の頭上を越えて日本ゴールに吸い込まれ、ベルギーが1点を返した。そしてこの1点でベルギーは勢いづいた。 ▽それまでアザールのシュートが右ポストを叩いたり、ルカクがフリーのヘッドを左に外したりするなど、日本には運も味方した。しかしこのゴールで日本は1点リードにもかかわらず、メンタル的に互角となったのではないだろうか。 ▽乾は力いっぱい蹴るのではなく、背後へのキックでスローインに逃げ、試合の流れを切るべきだった。同じことはセネガル戦の先制点にも当てはまる。左クロスを原口はバックヘッドでクリアしたが、これを拾われサバリのシュートからマネの先制点が生まれた。無理してバックヘッドでクリアせず、CKに逃れていれば防げたかもしれないゴールだった。 ▽2人とも守備では身体を張って、時には反則で対戦相手の攻撃をストップした。しかし、ゴール前ではシンプルにプレーする余裕がなかったのかもしれない。 ▽決勝点はアディショナルタイム残り1分で生まれた。日本のCKをGKクルトワがキャッチすると、素早くデ・ブライネにつないで高速カウンター。日本では山口が批判されているようだが、山口だけでなく誰もデ・ブライネの瞬発力にはついて行けなかっただろう。反則で止めようにもその前に右サイドに展開され、ムニエのクロスをルカクがスルーと日本は完全に崩された。 ▽この日は吉田麻也のマークに決定機を外していたルカク。エースストライカーとしては意地の一発を決めたいというのが普通の心理だが、ルカクは土壇場でチームプレーに徹した。そしてシャドリのシュートにGK川島も、追走した昌子源もノーチャンスだった。 ▽勝負の世界に“たら”、“れば”は禁物だ。それでも日本のラストプレー、左CKで本田はショートコーナーからコーナーフラッグ付近でボールをキープして時間稼ぎをするという手があった。あるいはニアへライナーのクロスを送り、再びCKを獲得するという手もあったと思う。 ▽しかし本田はいずれも選択せず、クロスを選んだ。もしかしたら、延長戦に入ったらベルギーの圧力に勝機はないと判断したのかもしれない。ただ、そんな本田のクロスは2m近い長身GKクルトワの守備範囲。難なくキャッチすると素早くデ・ブライネにつないで決勝点の起点となった。 ▽8年前はPK戦に泣き、今回はアディショナルタイム1分でベスト8の壁を突破できなかった。W杯の常連であるメキシコやコロンビアもこれまで泣かされてきた大きな壁でもある。日本も彼らと同様に、何度でもチャレンジするしか突破する方法はない。そのためのヒントとなるロシアW杯だったのではないだろうか。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.07.05 19:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】サポと寝台列車で呉越同舟の楽しさ

▽いよいよ、あと5時間後にロシアW杯のグループステージ最終戦、日本対ポーランド戦がキックオフを迎える。西野朗監督はセネガル戦から6人のスタメンを入れ替えるとの予想もあるが、果たしてどんな11人をピッチに送り込むのか興味は尽きない。 ▽そんな試合のレビューは次の機会に譲るとして、面白い経験ができたので紹介したい。前回のブラジルW杯はグループステージであっけなく敗退した。日本のファン・サポーターはもちろん、対戦相手3か国のファン・サポーターにもこれといったインパクトを残せずブラジルを後にしたはずだ。 ▽日本がベスト16に進んだのは02年の日韓W杯と10年の南アW杯の2回だけ。しかしこの時は、日本戦以外の試合も精力的に取材しており、同業者と電車を乗り継いだりレンタカーを駆ったりして国内移動の連続だったため、ファンやサポーターと触れ合う機会は皆無だった。 ▽しかし今回は日本のキャンプ地取材をベースに、日本の3試合を追った。3試合とも少しでも安く移動しようと、寝台列車を利用することにした。サランクスへは18日の00時54分カザン発の列車で約9時間、朝の09時54分に到着した。 ▽エカテリンブルグにはカザン発22日20時08分の寝台車で約14時間、到着は翌朝の10時22分(実際にはモスクワ時間と2時間の時差があるため、到着時のエカテリンブルグは12時22分)で、いずれも深夜の移動だったため、列車が走り出すと車内も暗い。このため寝るしかなかった。 ▽エカテリンブルグからカザンへは朝の列車で当日の21時37分に着いたが、車内はガラガラ。当日、カザンでは試合が行われなかったからだ。なぜカザンに戻ったかというと、長期滞在していたアパートを引き払い、スーツケースをピックアップするためだった。 ▽そして6月26日のカザン発12時21分の列車でボルゴグラードに移動。今回は約24時間の長旅で、ボルゴグラード着は翌朝の11時48分だった。この2等列車、ロシア人や出稼ぎのアゼルバイジャン人といった普段の乗客に加え、日本とポーランドのサポーターが大挙して乗っていたことで、昼間から食堂車は大賑わいだった。 ▽まず列車を待っていると、アゼルバイジャン人が寄ってきて、「ヤーパン(と聞こえた)、グッド」と親指を突き上げる。上下2段ベッドの4人の客室のルームメイトはポーランド人の若者2人。「日本はどこまで行くと思うか」と質問されても、答えに窮してしまった。まだ「優勝候補はどこだと思う」と聞かれた時の方が答えやすかった。「レバンドフスキは調子が良くなかったね」と慰めても、首を横に振るだけ。やはりグループステージ敗退はどの国の選手、サポーターにとっても心の痛む結果なのだろう。 ▽食堂車では日本とポーランドのサポーターがビールで互いをたたえ合っている。陽気になったポーランドのサポーターは、もうヤケクソといった感じだ。 ▽偶然にも同じ列車に旧知の同業者がファンとして観戦に来ていたので、夕食がてら食堂車に誘い、ビールを注文すると、中年のウエイトレスは「日本人はまだビールを飲むのか」と呆れられた。我々は初ビールだが、彼女にとって日本人の見分けはつかないのだろう。 ▽日本がW杯に出場するようになって、ファンやサポーターと行動を共にしたのは今回の寝台車が初めてだったが、これはこれでなかなか楽しい経験だった。そしてつくづくと思う。やはりW杯は勝たなければ開催国にも対戦相手の国にも何の印象も残せないということだ。 ▽そうした意味では、コロンビア戦で決勝点を決めた大迫勇也や、セネガル戦で同点弾を叩き込んだ本田圭佑は、日本でも大きくクローズアップされているのは当然として、世界的にも評価は高まる。W杯の出場国はたったの32か国に過ぎない。しかし彼らの活躍を、アジア予選で戦い日本に敗れたUAEやタイ、カンボジア、イラクのファン・サポーターはしっかりとその目に焼き付けているだろう。 ▽同じことは世界の全地域にも当てはまる。W杯に出場した32か国の7倍以上の国がW杯をテレビで観戦しているからだ。 ▽ただ、昨日の取材で植田直通が「まだ決まったわけではない」ということも確かなこと。FIFA(国際サッカー連盟)ランク7位のポーランドを倒してこそ世界に衝撃を与える日本でもある。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.28 18:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】西野監督ごめんなさい

▽6月21日の日本代表は午後4時から練習をスタート。その前に遠征中のUFAー19日本代表も交えて、JFA(日本サッカー協会)名誉総裁の高円宮妃殿下が2分ほど選手にお話をされて、全員で記念撮影に臨まれた。田嶋幸三JFAのミスマッチ会長によると、皇族のロシア訪問は102年ぶりのことだそうだ。その後、妃殿下はルビン・カザンの執行役員と記念品の交換を行い、妃殿下はJFAのペナントを贈られた。 ▽この日の練習はコロンビア戦に出た主力組とベンチ組に分かれて開始。これまで別メニューの多かった岡崎慎司がベンチ組に合流したものの、コロンビア戦で右太ももを傷めた本田圭佑が別メニューとなり、黙々とランニングしていた。西野朗監督によると、セネガル戦の出場は「厳しいかもしれない」と険しい表情で話していた。 ▽さて、そのコロンビア戦、NHKの視聴率は48パーセントを超えたというから驚きだ。大会前の西野ジャパンの評価は必ずしも高いとは言えず、盛り上がりに欠けた。ファン・サポーターも多くを期待していなかっただろう。 ▽それが高視聴率につながったのは、午後9時キックオフと視聴しやすい開始時間だったのと、早々に先制点を奪ったこと、そして期待してはいないものの、やはりW杯での日本が気になるファン・サポーターが多かったということの裏返しだったかもしれない。 ▽そのコロンビア戦で、あるスポーツ紙のウェブ版を目にして、「やっぱりパクったか」と思うタイトルと内容の記事があった。 ▽タイトルは「西野さん、ごめんなさい」というもので、記事を書いた記者は「正直、勝てると思っていなかった。負けか、よくて引き分けか…。ポジティブな要素を探すのは難しかった。開始早々に相手が10人になっても、前回大会のギリシャ戦を思い出して勝てると思えなかった。根がネガティブなのか、負け癖なのか、コラムも「負け用」ばかりを考えていた」と素直に心情を吐露し、西野監督に謝罪した。 ▽この記者とは40年近い親交があり、サッカー不遇の時代を過ごしただけに心情は理解できる。しかし、それだけに「パクるのは早いだろう」と思わずにはいられなかった。 ▽話は32年前に遡る。86年メキシコW杯でのことだった。アルゼンチンのカルロス・ビラルド監督は、前任者で78年アルゼンチンW杯で母国を初優勝に導いたルイス・メノッティ監督とは対照的に、守備的なスタイルを導入した。チーム一丸となって守備を固め、攻撃はディエゴ・マラドーナ任せ。このため「戦術はマラドーナ」と揶揄された。 ▽ダントツの優勝候補はジーコに加え4年前はケガで出場を逃したカレッカを擁するブラ日で、アルゼンチンはウルグアイと並んで2番手候補だった。しかしマラドーナの伝説となったゴールなどでアルゼンチンは2度目の優勝を果たす。 ▽アステカ・スタジアムで行われた西ドイツ(当時)との決勝戦後、マラドーナを肩車してビクトリーランする選手にまじり、興奮したアルゼンチンのサポーターが乱入。その中の1人、アンチ・ビラルド派のサポーターが「ペルドン(ごめんなさい)、ビラルド、グラシアス(ありがとう)」の横断幕を肩から羽織っていたことが世界中に報道された。 ▽件の記者はもちろんそのことを知っている。だからこそ、劣勢の予想されたコロンビア戦の勝利で32年前のエピソードを拝借したのだろう。しかし、ビラルド監督は世界1になった。対して西野監督は1勝したに過ぎず、まだグループリーグの突破も決めていない。 ▽「だからこそパクるのは早いだろう」とロシアにいたら言いたいのだが、残念ながら彼は日本で昼夜逆転の仕事をしているため、今回の原稿で書かせてもらった次第である。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.22 13:00 Fri
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