【六川亨の日本サッカー見聞録】久保健英がJ1デビュー。末恐ろしい15歳でもある2017.05.04 16:00 Thu

twitterfacebookhatenalinegplus
photo
(c) J.LEAGUE PHOTOS
▽昨日のスポーツニュースは、森本貴幸(15歳10ヶ月6日)に次ぐ若さでJ1(ルヴァンカップ)にデビューした久保健英の話題で持ちきりだった。味の素スタジアムで行われた札幌戦には1万9123人の観衆が詰めかけ、報道陣は231人と異例の多さだった。

▽広報によると、例年GW(ゴールデンウィーク)期間中は連休のため集客力も落ちるとのこと。まして、関係者には気の毒だが、ナビスコカップの時代からグループリーグは平日のナイターということもあり、リーグ戦ほどファン・サポーターも足を運ばない。まして対戦相手は遠隔地の札幌。800人ほどのファン・サポーターが駆けつけたそうだが、「1万人も入れば御の字」(広報担当者)だったのが、前売りで1万8千枚も売れたそうだ。

▽それもこれも、久保がデビューする可能性が高いと告知したからだろう。そして実際に2万人近い観衆を集めるのだからたいしたものだ。そして久保は66分に永井と交代で出場すると、直後のFKのこぼれ球をすかさず左足でシュート。これはDFにブロックされたものの、その後も果敢にドリブル突破を仕掛け、FKキッカーとしてゴールを狙った。

▽今さら久保の非凡さを説明する必要はないと思うが、対戦相手の小野伸二の久保評を紹介しておこう。

「久保君は非常に堂々としていた。見ていてゴールしてしまうのではないかというオーラを感じた。今日は少し遠慮もあったのでしょう。U-23やU-20になればもっと堂々とプレーするでしょう。FKもあそこで蹴らしてもらえるのはチームも信頼しているから。僕とは全然比較にならない。ケガなくワールドユース(U-20W杯)に行って、いい結果が出ることを祈っています」

▽小野ら“黄金世代”がワールドユースで準優勝したのが1999年。久保が生まれたのは2001年と、小野らの快挙を知らない世代でもある。それでも久保は「小野さんのプレーはYouTubeで見たことがあったし、トラップは足に吸い付くよう。これが一流選手かと思った。W杯とかに出ているし、オーラがあった。(小野に褒められたことを伝え聞くと)光栄です」とはにかんでいた。

▽その久保の凄いところがもう1つある。普段のFC東京は、試合後にメインスタンド下のホールに柵を置いて、両チームの選手は呼び止められたら報道陣の質問に答える。いわゆるミックスゾーンというやつだ。しかし昨夜は、両チームの全選手が消えてから久保が登場し、報道陣の質問に答えた。その際に、いつもなら背景にはFC東京のメインスポンサー数社のロゴが入ったボードが設置される。しかし久保の背後には大手飲料メーカーのロゴだけのボードに変えられていた。

▽たぶん札幌戦は『○○○デー』と銘打たれた試合だったのだろう。そして思い出したのが、昨年11月5日に駒沢陸上競技場で行われたJ3リーグの長野戦、久保がJデビューを果たした試合も『○○○デー』だった。その時も、テレビ取材の際は久保の背後にボードがあったと記憶しているが、メーカー名までは覚えていない。15歳にして、すでに久保には公にできないものの、スポンサーがついているのかもしれない。だとしたら末恐ろしい15歳でもある。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

コメント

関連ニュース

thumb

【六川亨の日本サッカー見聞録】大杉漣さん逝去

▽私的なことで申し訳ないが、今日は21日に、心不全で急逝した大杉漣さんについて書かせていただきたい。大杉さんといえば、北野武監督の映画やNHKの連続ドラマなど、強面のヤクザから小心なサラリーマンなど幅広い演技で定評のある名脇役だった。 ▽そんな大杉さんと出会ったのは1970年代末。当時通っていた新宿ゴールデン街の飲み屋だった。そこは映画関係者や舞台役者などが集まる店で、はす向かいに「ノーサイド」という店があり、作家の野坂昭如さんが草ラグビーチームを結成したので、「それならサッカー好きが多いので、草サッカーチームを作ろう」ということになった。 ▽チーム名はお店で売っていたサントリーウィスキーの「ホワイト」から、「ホワイトドランカーズ」に決定。大杉さんは不動のセンターフォワードだった。特に長身にもかかわらず、しなやかな動きからのポストプレーは絶妙で、足下にスッとボールを収める。そのプレーは「エレガント」と言わずにはいられないほど鮮やかだった。 ▽出会った頃は、転形劇場の舞台俳優だったものの、むしろ日活ロマンポルノでの活躍で注目(?)を浴びていた。男優として「帝王」と呼ばれ、芸名である漣(れん)は、当時流行していたコンドームの漣(さざなみ)から取ったと教えられた。 ▽大学卒業後、ホワイトドランカーズも解散し、一時は疎遠になったものの、ソナチネなど映画で活躍していた大杉さんに、02年日韓W杯の際に久しぶりに連絡してインタビューを申し込んだところ、二つ返事で了解してくれた。 ▽そんな大杉さんと共通点がもう1つある。当時、海外のサッカーを知るにはテレビ東京が放映していた「ダイヤモンドサッカー」しかなかった。岡野俊一郎氏の解説で、金子勝彦氏がアナウンサーを務めた名番組だ。そのテレビのエンディングで視聴者プレゼントがあり、取り替え式のスパイクか5号級の皮革サッカーボール、安田のテルスターが各5名にプレゼントされる。 ▽サッカーのスパイクも、革製のサッカーボールも当時住んでいた町にはどこも売っていない。そこで葉書を書いて応募したところ、サッカーボールが当たって番組の当選者に名前が載った。そのことを大杉さんと飲みながら話したら、彼も徳島在住時代にサンテレビから応募してサッカーボールが当たってうれしかったと教えてくれた。 ▽押しも押されもしない俳優にもかかわらず、いつも、誰に対しても腰の低い、優しい目をした大杉さん。まだ66歳、俳優としてはこれから脂の乗りきる時期でもあるだけに、突然の訃報に正直戸惑っている。いまはただ、ご冥福を祈るしかない。漣さん「安らかにお休みください」<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.22 13:30 Thu
twitterfacebook
thumb

【六川亨の日本サッカー見聞録】Jキックオフカンファレンスで気になったこと

▽毎年恒例となっている、Jリーグのキックオフカンファレンスを2月15日に取材した。これまでは選手と監督にクローズアップしてきたカンファレンスだが、今年は趣向を変えて、第1部はJリーグ選手の育成環境について人材交流の成果を紹介し、続けて東南アジア、とりわけタイの選手のJリーグ参入でマーケットが拡がったこと、そしてデジタル戦略としてスマホを活用した新たなビジネス展開など、どちらかというとスポンサー向けのプレゼンテーションという印象を受けた。 ▽選手の育成に関しては、Jリーグではその物差しが難しいと思う。育成するのは各クラブであり、成果としてJリーグのタイトル獲得に貢献したか=日本代表に選出されるような選手の育成が判断基準になるだろう。若年層に海外での試合を経験させたり、指導者の海外研修を実施したりしても、それがJリーグの育成プログラムによる評価に結びつくのか、判断は難しい。ここらあたりは永遠のジレンマではないだろうか。 ▽その一方で、分かり安いのがマーケットの拡大やスマホを活用したビジネス展開だ。昨シーズン、札幌はタイ代表のチャナティップを獲得した。そのことでタイのFBは332万人のリーチ数を記録した。札幌市の人口200万人を上回る数字をたたき出したことになる。その他にもJリーグの映像をニューストピックとして無料サイトに配信したところ、かなりのアクセスがあったと報告された。 ▽そしてスマホである。もはや日常生活に欠かせないツールになったスマホを活用すべく、Jリーグはデジタル部門を立ち上げた。そして各クラブのチケット購入者や通販購入者、eコマースなどを一元管理して、利用者に新たなサービス=勧誘サイトに誘導することも想定している。 ▽正直、凄いと思った。これまでJリーグのチェアマンはJクラブの経営者という暗黙の了解があり、初代の川淵氏以後、鹿島の鈴木氏、C大阪の鬼武氏、鹿島の大東氏が歴任していた。それに比べ村井氏はJクラブの社長経験はないものの、Jリーグそのものをリクルート社の経験を生かして改革しようとしている。 ▽その試みが吉と出るのかどうかはともかくとして、ちょっと心配なこともある。村井チェアマンが、これまでのチェアマン像と違い率先してデジタル部門や東南アジア戦略を展開してマーケットの拡大を推進している。そんなパイオニアである村井氏の後継者は誰が適任なのかということだ。 ▽組織図としては原博実・副理事ということになるだろう。誰からも愛される人柄の良さもあり、彼をサポートする態勢を構築して村井チェアマンは退くことは推察される。問題はその後で、JFA(日本サッカー協会)同様、Jリーグも幹部の若返りが遅れているのが気になったキックオフカンファレンスだった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.16 13:30 Fri
twitterfacebook
thumb

【六川亨の日本サッカー見聞録】沖縄キャンプで感じたJクラブのアピール下手

▽昨日から沖縄・糸満市でFC東京のキャンプを取材している。今朝は9時30分の午前練習から取材をした。原稿だけでなく、素人ながら写真も撮っているが、そこで隣同士(2人しかなかった)となった一般紙のカメラマンが次の様にぼやいていた。 ▽「ジャージにも背番号を入れて欲しいですよね。いつも取材しているわけではないので、顔を見ても誰か分からないし、パソコンに取り入れても分からない。ゲーム形式の練習ではビブスを着るけど、それも統一されていないので……」 ▽聞くところによると、そのカメラマンは沖縄滞在中、プロ野球のキャンプをメインに取材しつつ、空いた時間はJリーグのチームの撮影にもかり出されているそうだ。そんな彼に対し「それくらい、事前取材で把握したら」と言うのは簡単だ。しかしながら新聞社のカメラマンの肩を持つわけではないが、逆の立場になったらプロ野球選手の顔などほとんど知らないだけに、つい同情してしまった。 ▽この話題は以前にも書いたものの、だいぶ昔なので改めて取り上げたい。長い歴史のあるプロ野球のキャンプは、チーム強化の場であると同時に地方のファンや地元から訪れるファンに対し「お披露目の場」でもある。アンダーウェアを着ても、基本的にユニホーム姿で、そこには名前と背番号が分かるようになっている。そして朝から晩まで練習にかり出されるのは、スター選手になればテレビのスポーツニュースのメイン担ったり、スポーツ紙の1面を飾ったりする。いわば、「持ちつ持たれつ」の関係ができているからだ。 ▽ところがJリーグは、残念ながらそこまでメディアとの関係を構築できていない。そのためには改善する点も多いと思うが、キャンプでのトレーニングウェアは年々シンプルかつスリムになったものの、依然として名前はおろか背番号さえ入っていない。これはもう、「負の伝統」と言っていいだろう。本来なら新シーズンを迎え、新加入した選手や移籍により背番号の変わった選手もいる。そこで地方の、わざわざ練習に足を運ぶファンに対し、名前と顔を覚えて貰う絶好の機会なのに、Jクラブはそのチャンスを逃してきたと思わざるを得ない。 ▽Jリーグは昨シーズンからダ・ゾーンとの契約を始め、これまでも動画サイトとの連携によるサービスを強化してきた。これも時代の流れであり、Jリーグそのものの価値を高めることを目標にしているのだろう。いわば「全体の利益」のための舵取りだ。 ▽一方で、Jクラブは「地に足を着けた」地道な活動も必要になる。そのために選手は出待ちしているファンにサインや記念撮影に応じている。それはそれで大事だが、その前にシーズン前のキャンプではトレーニングウェアに背番号と名前を着け、練習に訪れたファンにはA4用紙の一枚でもいいから選手の顔写真と背番号、簡単なプロフィールの入ったフリーペーパーを配布することはできないものだろうか。 ▽キャンプでの一期一会の触れあいから、次代の名選手が生まれるかもしれない。そんなチャンスを逃したらもったいないと感じる沖縄キャンプでの出来事だった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.08 20:40 Thu
twitterfacebook
thumb

【六川亨の日本サッカー見聞録】ブラインドサッカーが国際大会を開催する意義

▽大相撲のスキャンダルと理事選、さらには大谷翔平の渡米に隠れ、メディアではほとんど取り上げていないが、昨日、ブラインドサッカーの「ワールドグランプリ2018」の開催概要と組み合わせ抽選会がJFA(日本サッカー協会)ハウスで実施された。 ▽大会は3月21日から25日にかけて、品川区の天王洲公園で開催される。参加6チームが2グループに分かれてリーグ戦を実施し、各組の順位に応じて1~2位、3~4位、5~6位決定戦を行うというシステムだ。 ▽そして1月31日の抽選の結果、日本(世界ランク8位)は、トルコ(同5位)、イングランド(同16位)と同組になった。優勝候補の本命は、グループBで世界ランク2位のアルゼンチン(グループBにはロシアとコートジボワールが同居)。世界ランク1位のブラジル同様、個人技に優れた強豪だが、会見に臨んだキャプテンの川村は「どの国がきても強豪国であることには変わりないので、楽しみです。アルゼンチンとは決勝で対戦できるように、モチベーションも上がっています」と意気込みを述べていた。 ▽今大会は新たに味の素と全日空が大会スポンサーとなり、今後3年間は継続して支援するという。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定してから、まさに「追い風」が吹いてブラインドサッカーのスポンサーも急増した。それはそれで、歓迎したい事実である。 ▽障がい者サッカーには全盲のブラインドサッカーだけでなく、聾唖者や身体障害者、知的障害者など7団体があり、ブラインドサッカーのようにパラリンピックの種目に入っていないため注目度の低い競技もある。ただ、ようやく昨年、JFAは障がい者サッカーを1つの団体を認可してJFAハウス内に事務局を設けた。 ▽過去、障がい者サッカーと言っても、抱える障害の違いで各連盟はなかなか足並みが揃わなかった。そんな中でブラインドサッカーはパラリンピックの種目だけに、スポンサーの獲得に成功して事務所も移転するなど「日の目」を見ている。そんなブラインドサッカーに対し、やっかみの声がないのか松崎事務局長に聞いたところ、逆に「JFAが障がい者サッカーを統括してくれたおかげで、ブラインドサッカーが率先して他団体と交流できるようになった」と成果を教えてくれた。 ▽どんなカテゴリーであっても、日本国内で大会を開催することは素晴しいと思う。ブラインドサッカーが少なからず市民権を得たのも、日本でワールドカップとリオ五輪の最終予選を代々木公園で開催し、ブラインドサッカーのサポーターを獲得したからだとに他ならない。大会には小倉JFA名誉顧問や原専務理事(当時)が観戦に訪れていたこともJFAが支援する追い風になったと推察される。 ▽ただ、懸念もある。「ワールドグランプリ2018」をスポンサードする上記の2社は3年契約が示すように、東京五輪後はスポンサー離れする可能性が高いことだ。障がい者の支援は半永久的に必要だが、実現は難しいのも事実ではないだろうか。それはブラインドサッカーだけでなく、どの競技団体も痛感しているだろう。 ▽そうした現状を変えるためにサッカーファンができることとして、試合会場に足を運び、声援を送ることではないだろうか。感動は、あらゆるサッカーにあると思っている。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.01 18:40 Thu
twitterfacebook
thumb

【六川亨の日本サッカー見聞録】田嶋会長続投で期待したいサッカー界からの人事

▽Jリーグは1月23日、村井チェアマンの3期目となる続投を決めた。第5代チェアマンとして、就任早々の2014年に明治安田生命とタイトルパートナー契約を結んだのを皮切りに、Jリーグ開幕前から親密な関係にあった博報堂との契約を電通に変えてスポンサー増に成功。さらに昨シーズンからは動画配信事業などを英国のパフォーム社と10年間で約2100億円の大型契約を締結し、Jリーグの財政基盤を築くと同時に優勝賞金の大幅増に貢献した。 ▽正式には3月の役員改選で正式決定されるが、続投はほぼ確実視されている。これまで歴代チェアマンは、初代の川淵氏を除きJクラブの社長経験者という暗黙のルールがあったが、それを破ったのも村井チェアマンだった。リクルート社で培った経営手腕と組織の再構築は高く評価していいだろう。2年前のJFA(日本サッカー協会)会長戦で敗れた原氏をすぐさまJリーグ副理事長に招聘し、JFAの理事に返り咲かした素早い状況判断も鮮やかだった。 ▽村井氏はまだ58歳。3期目を終えても60歳だけに、同氏の目指す全スタジアムの無料Wi-Fi化を実現するまで、チェアマンとして手腕を振るうかもしれない。Jリーグの理事会は、外部の有識者を招きながらもJクラブの社長も構成員となっている。このため、いつの日か村井チェアマンが退任しても、第6代のチェアマンはサッカー関係者に戻る可能性があるため心配する必要はないだろう。 ▽問題があるとすれば、来年で2期目を迎える田嶋JFA会長の後継者ではないだろうか。田嶋会長は前回の当選時、「(会長は)1期2年では何をやるにも中途半端」と漏らしていたものの、「それがルールなので従うしかない」とも言っていた。今回の会長戦では村井チェアマンの出馬も噂されたが、同氏が見送ったために会長選は行われず、田嶋会長の再選は確実視されている(来年3月の評議員会で正式決定)。 ▽では何が問題かというと、組織の長として“後継者"を育成しているかどうかという点だ。田嶋会長は、就任後の人事で岡田元日本代表監督を副会長に起用したものの、同氏は今期限りでの退任を表明した。残る副会長は村井チェアマンと全国評議員代表の赤須氏(71歳)、国立西洋美術館の館長の馬淵氏(71歳)で、JFA会長の後継者としては村井チェアマンしか該当者はいない。 ▽さらに実務を取り仕切る専務理事の岡島氏と、FIFA(国際サッカー連盟)からの要請により新設した事務総長の岩上氏は、いずれもサッカーとは門外漢である。岡島氏(64歳)は元農林水産省のエリート、岩上氏(66歳)は元電通の顧問で、ラグビーや柔道でスポーツとの関わりがあるものの、こちらもサッカーとは無縁の登用だ。それでも彼らを起用した成果がここ2年間であったのかというと、首を捻らざるを得ない。 ▽これまでJFAという組織は、専務理事が実務面を取り仕切り、その後に副会長を経て会長に指名されるという流れで来ていた。初めて会長選が実施されたのが前回2016年のことだが、年齢的にも実務面でも、2年後に岡島氏や岩上氏が会長選の候補者になるとは考えにくい。そうなると、田嶋会長のライバルは自ずと絞られてくる。 ▽自身の身を脅かす存在は早めに排除する――というのはチェアマンや会長時代に川淵氏が用いた手法だが、サッカー界の将来を考えれば許される行為ではないだろう。果たして再選の暁に、田嶋会長は専務理事と事務総長に誰を起用するのか。できればサッカー界からの人材登用を期待したい。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.25 18:52 Thu
twitterfacebook


ACL

ACL
欧州移籍情報
Jリーグ移籍情報
hikari

アクセスランキング

@ultrasoccerjp

新着ニュース