磐田が“ウルトラレフティー”中村俊輔を横浜FMから完全移籍で獲得!背番号は「10」
2017.01.08 15:06 Sun
▽ジュビロ磐田は8日、横浜F・マリノスのMF中村俊輔(38)が完全移籍で加入することを発表した。なお、背番号は「10」を着用する。
▽桐光学園高校から1997年に横浜マリノスへと入団した中村は、デビュー年にリーグ戦27試合に出場し、5得点を記録。優秀新人賞を受賞するなど期待に応える活躍を見せると、3年目の1999年には背番号10を背負い、Jリーグベストイレブンを受賞した。2000年には22歳で最優秀選手を受賞。これは現在も最年少記録として残っている。
▽2002年にセリエAのレッジーナへと移籍すると3シーズン在籍。2005年にはセルティックへと移籍すると、リーグと国内カップ戦で2冠を達成。翌年にはチャンピオンズリーグデビューを果たし、マンチェスター・ユナイテッド戦では伝説にもなっている直接FKで日本人初ゴールを記録した。2009年にはリーガエスパニョーラのエスパニョールへと移籍。しかし、半年でチームを去り、2010年に横浜FMへと復帰した。
▽昨シーズンはケガの影響などで離脱が続いた中村は、明治安田生命J1リーグで19試合の出場にとどまるも、直接FKとPKで4得点を記録。しかし、通算13シーズンを過ごした横浜FMを去る決断を下した。
▽中村は磐田の公式サイトを通じて、以下のようにコメントしている。
▽また、横浜FMを通じてもコメント。チームを去ることを悔やみながらも、ファン・サポーターへの感謝の気持ちを述べている。
「先ず初めに、2016シーズンも熱い応援ありがとうござました。自分自身としては、怪我が長引いてしまったこともあり、完全燃焼できるシーズンとはなりませんでした。また、リーグ戦が10位に終わってしまったことも、とても申し訳ない気持ちです」
「2016シーズンに至ってはいろいろなことがありました。社長をはじめ、強化部長、他が変わり、現場でもさまざまな変化がありました。キャプテンとして、マリノスの一員として、一人の人間として、いろいろなことに向き合って来ました」
「スポーツ、サッカーの本質であるべきもの、例えば楽しさ、喜び、信頼、感謝などを持ちプレーすることが、自分は何よりも大切だと思っています。自分の魂であるサッカーと現役を退くその最後の瞬間まで、真摯に、そしてなによりも喜びと楽しさを持って向き合うため、懊悩煩悶の末、マリノスを離れる決断に至りました」
「2010年、横浜に戻ってきた自分を温かく迎え入れてくれたことは、今でも鮮明に覚えています。2013シーズン、ファン・サポーターの皆さんと優勝を分かち合えなかったことは、とても残念なことですが、9月21日の自分個人への身に余るゴール裏の横断幕は、セルティック時代でさえ経験はなく、心の奥底に深く刻まれ、生涯忘れることのないものとなりました」
「チームメイト、スタッフ、スポンサー、会社の方々、ファン・サポーターの皆さん、今まで携わって下さった全ての方々に心より感謝致します。本当にありがとうございました」
▽桐光学園高校から1997年に横浜マリノスへと入団した中村は、デビュー年にリーグ戦27試合に出場し、5得点を記録。優秀新人賞を受賞するなど期待に応える活躍を見せると、3年目の1999年には背番号10を背負い、Jリーグベストイレブンを受賞した。2000年には22歳で最優秀選手を受賞。これは現在も最年少記録として残っている。
▽昨シーズンはケガの影響などで離脱が続いた中村は、明治安田生命J1リーグで19試合の出場にとどまるも、直接FKとPKで4得点を記録。しかし、通算13シーズンを過ごした横浜FMを去る決断を下した。
▽中村は磐田の公式サイトを通じて、以下のようにコメントしている。
「横浜F・マリノスから移籍しました中村俊輔です。自身の新たな挑戦として、ジュビロ磐田でプレーさせて頂くことを決断致しました。チームに貢献できるよう全身全霊を掛け戦いますので、宜しくお願い致します」
▽また、横浜FMを通じてもコメント。チームを去ることを悔やみながらも、ファン・サポーターへの感謝の気持ちを述べている。
「先ず初めに、2016シーズンも熱い応援ありがとうござました。自分自身としては、怪我が長引いてしまったこともあり、完全燃焼できるシーズンとはなりませんでした。また、リーグ戦が10位に終わってしまったことも、とても申し訳ない気持ちです」
「2016シーズンに至ってはいろいろなことがありました。社長をはじめ、強化部長、他が変わり、現場でもさまざまな変化がありました。キャプテンとして、マリノスの一員として、一人の人間として、いろいろなことに向き合って来ました」
「スポーツ、サッカーの本質であるべきもの、例えば楽しさ、喜び、信頼、感謝などを持ちプレーすることが、自分は何よりも大切だと思っています。自分の魂であるサッカーと現役を退くその最後の瞬間まで、真摯に、そしてなによりも喜びと楽しさを持って向き合うため、懊悩煩悶の末、マリノスを離れる決断に至りました」
「2010年、横浜に戻ってきた自分を温かく迎え入れてくれたことは、今でも鮮明に覚えています。2013シーズン、ファン・サポーターの皆さんと優勝を分かち合えなかったことは、とても残念なことですが、9月21日の自分個人への身に余るゴール裏の横断幕は、セルティック時代でさえ経験はなく、心の奥底に深く刻まれ、生涯忘れることのないものとなりました」
「チームメイト、スタッフ、スポンサー、会社の方々、ファン・サポーターの皆さん、今まで携わって下さった全ての方々に心より感謝致します。本当にありがとうございました」
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