【六川亨の日本サッカー見聞録】選手権の持つ役割
2017.01.05 20:00 Thu
▽全国高校選手権は1月5日に準々決勝4試合が行われ、夏冬連覇を逃した市立船橋に続き、大会連覇を狙った東福岡も敗れる波乱があった。ベスト4に駒を進めたのは東福岡を破った東海大仰星、佐野日大、青森山田、前橋育英で、どこが勝っても初優勝となる。何が起こるか分からない一発勝負のトーナメントならではのベスト4と言えるだろう。
▽今大会では、卒業後に川崎Fへ加入する桐光学園の左SBタビナス・ジェファーソンや、正智深谷のベスト8進出に貢献したオナイウ阿道(千葉から浦和へ移籍)の弟の、オナイウ情滋らハーフの選手が大会を彩った。タビナス・ジェファーソンはガーナ人の父とフィリピン人の母、オナイウ兄弟はナイジェリア人の父と日本人の母の間に生まれた。しかし、高校サッカー通の知人によると、ハーフの選手が活躍するのも今年で最後だろうと予測する。
▽それというのも、彼らの両親のいずれかは、日本経済がバブル絶頂期に日本に仕事を求めて来たものの、その後はバブル崩壊により日本を訪れる機会が減ったからだという。バブルがスタートしたのは1986年と言われ、1985年当時は1ドル250円だったのが、同年のプラザ合意により急激な円高が進み、1988年には1ドル120円まで高騰した。その後1993年頃からバブル景気に陰りが見られ、1998年には大手金融機関が破たんするなどバブル景気は崩壊した。
▽イラン人の父と日本人の母の間に生まれた大リーガーのダルビッシュ有は1986年生まれ。ジャマイカ人の父と日本人の母の間に生まれた鈴木武蔵は1994年生まれだし、オナイウ阿道は1995年生まれ、タビナス・ジェファーソンは1998年生まれと、偶然の一致かもしれないが、知人の指摘にも一理あるようだ。
▽そういえば、2005年にドイツW杯予選でイランのテヘランを訪れた時のことだった。アリ・ダエイの兄が経営しているサッカーショップの近くにある食料品店で買い物をした際、店主は10年間、千葉県の館山市で働いてお金を貯めたと流暢な日本語で話していた。イスラム教徒には禁じられているお酒と女性も楽しんだそうだ。またタクシーの運転手は宇都宮で働いたがお金を貯めることはできなかったと、こちらも日本語で話しかけてきたし、街中で出会ったイラン人男性は神奈川県の追浜で働いていたという。いずれもバブル最盛期に日本へ仕事を求めて来た人々だ。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
▽今大会では、卒業後に川崎Fへ加入する桐光学園の左SBタビナス・ジェファーソンや、正智深谷のベスト8進出に貢献したオナイウ阿道(千葉から浦和へ移籍)の弟の、オナイウ情滋らハーフの選手が大会を彩った。タビナス・ジェファーソンはガーナ人の父とフィリピン人の母、オナイウ兄弟はナイジェリア人の父と日本人の母の間に生まれた。しかし、高校サッカー通の知人によると、ハーフの選手が活躍するのも今年で最後だろうと予測する。
▽イラン人の父と日本人の母の間に生まれた大リーガーのダルビッシュ有は1986年生まれ。ジャマイカ人の父と日本人の母の間に生まれた鈴木武蔵は1994年生まれだし、オナイウ阿道は1995年生まれ、タビナス・ジェファーソンは1998年生まれと、偶然の一致かもしれないが、知人の指摘にも一理あるようだ。
▽そういえば、2005年にドイツW杯予選でイランのテヘランを訪れた時のことだった。アリ・ダエイの兄が経営しているサッカーショップの近くにある食料品店で買い物をした際、店主は10年間、千葉県の館山市で働いてお金を貯めたと流暢な日本語で話していた。イスラム教徒には禁じられているお酒と女性も楽しんだそうだ。またタクシーの運転手は宇都宮で働いたがお金を貯めることはできなかったと、こちらも日本語で話しかけてきたし、街中で出会ったイラン人男性は神奈川県の追浜で働いていたという。いずれもバブル最盛期に日本へ仕事を求めて来た人々だ。
▽前述の鈴木武蔵やオナイウ阿道と情滋、タビナス・ジェファーソンは日本国籍を取得し、すでに鈴木とオナイウ阿道はU-23日本代表に選出され、近い将来は日本代表を目指している。プロへの登竜門――これも高校選手権の持つ役割の1つであり、彼らの活躍が、後進への道を開くことにつながるよう願わずにはいられない。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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