【六川亨の日本サッカー見聞録】天皇杯決勝は好対称なチームの激突に2016.12.29 19:30 Thu

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▽第96回天皇杯決勝は、6大会ぶり5度目の優勝を狙う鹿島と、初のファイナリストになった川崎Fとの顔合わせになった。準決勝の鹿島対横浜FM、川崎F対大宮の準決勝2試合は、いずれも後者が試合の主導権を握ったものの、勝ち残ったのは前者という皮肉な結果になった。

▽横浜FMは前半30分過ぎまでに齋藤のドリブル突破などから決定機をつかんだものの、前田のシュートはGK曽ヶ端に阻まれ、富樫のシュートは枠を捉えられずに好機を生かせない。齋藤は鹿島にとって脅威になっていただけに、彼にボールを集めるのは当然の策だが、それを利用するあたり、試合巧者の鹿島らしい。

▽鹿島は41分に齋藤へのパスをカットした永木から赤崎、柴崎と素早くつなぐカウンターから、最後は土居が頭で押し込んで先制した。横浜FMは後半に中村を投入して反撃を試みるも、後半28分にDF新井がビルドアップのパスを痛恨のミスで永木にプレゼント。これを柴崎、鈴木とつながれて追加点を奪われた。その2分前には金井が同点弾を決めながら、オフサイドの判定で取り消されたのも痛かった。

▽大宮は今季リーグ5位の躍進につながった攻から守への素早い切り替えと、囲い込む守備で川崎Fにサッカーをやらせなかった。それは大島が投入されても変わらず、ポストを叩いた泉澤のシュートか、フリーにもかかわらずゴール枠を捉えられなかったムルジャのシュートが決まっていれば勝てたかもしれない試合だった。

▽終了間際に右CKからのこぼれ球を、最後は谷口が押し込んで決勝点としたが、これだけ攻撃に精彩を欠き、何もできない川崎Fを見るのは初めて。それほど、大宮のサッカーは素晴らしかった。

▽ただ、決勝戦の顔合わせとしては、堅守速攻の鹿島対パスサッカーによる攻撃的な川崎Fという対照的なチーム同士の激突の方が面白いかもしれない。両者はCS準決勝でも対戦し、金崎の決勝ヘッドで鹿島が勝ち進んだが、ボールポゼッションで川崎Fが上回りながらも、決定機の数は互角だった。今シーズンでチームを離れる風間監督とFW大久保が初タイトルを置き土産にできるか。それとも鹿島が天皇杯の優勝回数を伸ばして東京VやG大阪と並ぶのか。決勝戦は元日の14時に吹田スタジアムでキックオフとなる。

▽最後に個人的なことだが、天皇杯の決勝は大学生の4年間と社会人になってからの36年間、計40年間にわたりスタジアムで観戦・取材してきた。さすがに今回は元日に吹田まで日帰り取材するのは断念して、テレビ観戦の予定だが、改めて国立競技場のロスト感を覚えずにはいられない。

▽今年のコラムもこれが最後になります。1年間お世話になり、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。それでは良いお正月をお過ごしください。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

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【六川亨の日本サッカー見聞録】Jキックオフカンファレンスで気になったこと

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【六川亨の日本サッカー見聞録】沖縄キャンプで感じたJクラブのアピール下手

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【六川亨の日本サッカー見聞録】ブラインドサッカーが国際大会を開催する意義

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【六川亨の日本サッカー見聞録】田嶋会長続投で期待したいサッカー界からの人事

▽Jリーグは1月23日、村井チェアマンの3期目となる続投を決めた。第5代チェアマンとして、就任早々の2014年に明治安田生命とタイトルパートナー契約を結んだのを皮切りに、Jリーグ開幕前から親密な関係にあった博報堂との契約を電通に変えてスポンサー増に成功。さらに昨シーズンからは動画配信事業などを英国のパフォーム社と10年間で約2100億円の大型契約を締結し、Jリーグの財政基盤を築くと同時に優勝賞金の大幅増に貢献した。 ▽正式には3月の役員改選で正式決定されるが、続投はほぼ確実視されている。これまで歴代チェアマンは、初代の川淵氏を除きJクラブの社長経験者という暗黙のルールがあったが、それを破ったのも村井チェアマンだった。リクルート社で培った経営手腕と組織の再構築は高く評価していいだろう。2年前のJFA(日本サッカー協会)会長戦で敗れた原氏をすぐさまJリーグ副理事長に招聘し、JFAの理事に返り咲かした素早い状況判断も鮮やかだった。 ▽村井氏はまだ58歳。3期目を終えても60歳だけに、同氏の目指す全スタジアムの無料Wi-Fi化を実現するまで、チェアマンとして手腕を振るうかもしれない。Jリーグの理事会は、外部の有識者を招きながらもJクラブの社長も構成員となっている。このため、いつの日か村井チェアマンが退任しても、第6代のチェアマンはサッカー関係者に戻る可能性があるため心配する必要はないだろう。 ▽問題があるとすれば、来年で2期目を迎える田嶋JFA会長の後継者ではないだろうか。田嶋会長は前回の当選時、「(会長は)1期2年では何をやるにも中途半端」と漏らしていたものの、「それがルールなので従うしかない」とも言っていた。今回の会長戦では村井チェアマンの出馬も噂されたが、同氏が見送ったために会長選は行われず、田嶋会長の再選は確実視されている(来年3月の評議員会で正式決定)。 ▽では何が問題かというと、組織の長として“後継者"を育成しているかどうかという点だ。田嶋会長は、就任後の人事で岡田元日本代表監督を副会長に起用したものの、同氏は今期限りでの退任を表明した。残る副会長は村井チェアマンと全国評議員代表の赤須氏(71歳)、国立西洋美術館の館長の馬淵氏(71歳)で、JFA会長の後継者としては村井チェアマンしか該当者はいない。 ▽さらに実務を取り仕切る専務理事の岡島氏と、FIFA(国際サッカー連盟)からの要請により新設した事務総長の岩上氏は、いずれもサッカーとは門外漢である。岡島氏(64歳)は元農林水産省のエリート、岩上氏(66歳)は元電通の顧問で、ラグビーや柔道でスポーツとの関わりがあるものの、こちらもサッカーとは無縁の登用だ。それでも彼らを起用した成果がここ2年間であったのかというと、首を捻らざるを得ない。 ▽これまでJFAという組織は、専務理事が実務面を取り仕切り、その後に副会長を経て会長に指名されるという流れで来ていた。初めて会長選が実施されたのが前回2016年のことだが、年齢的にも実務面でも、2年後に岡島氏や岩上氏が会長選の候補者になるとは考えにくい。そうなると、田嶋会長のライバルは自ずと絞られてくる。 ▽自身の身を脅かす存在は早めに排除する――というのはチェアマンや会長時代に川淵氏が用いた手法だが、サッカー界の将来を考えれば許される行為ではないだろう。果たして再選の暁に、田嶋会長は専務理事と事務総長に誰を起用するのか。できればサッカー界からの人材登用を期待したい。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.25 18:52 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】木之本さん一周忌の集いで思うこと

▽私事で恐縮だが、昨日は昨年1月15日に逝去した木之本興三さんを「賑やかに語る集い」に参加した。雨の中、幕張のホテルには同氏の母校・千葉高校、東京教育大サッカー部の同級生を始め、JSL(日本サッカーリーグ)時代の後輩からJリーグ創設に関わった“戦友"など210人もの関係者が集って昔話に花を咲かした。 ▽発起人の挨拶では大学と古河の後輩であるJFA(日本サッカー協会)会長の田嶋氏が思い出を語り、小倉JFA最高顧問や大仁JFA名誉会長、木之本氏の後輩である永井良和さん、ラモス瑠偉さんなど往年の名選手も出席した。 ▽2016年12月に脳梗塞で倒れたラモスさんとは開会の前に早く着いたためお茶を飲んだが、脳梗塞の影響はほとんどなく、「また監督をしたいね」と現場復帰に意欲を見せていたのはうれしい出会いだった。 ▽木之本さんについては、いまさら多くを語る必要はないと思うが、簡単に紹介するとJリーグの創設に尽力した第一人者である。JSL時代に古河の選手として活躍を期待されながら、グッドパスチャー病という内蔵同士が争う病魔により腎臓を摘出し、腎臓透析は700回を以上に及びギネス記録となった。 ▽そんな病魔と闘いながら、日本サッカーはプロ化しないと韓国に遅れを取ると危機感を抱き、森健兒(元日本代表監督の森孝慈氏の実兄)JSL総務主事と日本サッカーのプロ化に奔走したのが1980年代後期のことだ。Jリーグ創設が目前に迫った頃、森総務主事は三菱重工の仕事の関係で名古屋に転勤する。そこでJリーグの創設を東京に転勤する川淵氏に託した。 ▽その後のJリーグの隆盛と衰退はご存じの通り。そして木之本さんは強化副団長として臨んだ2002年のW杯中に、末端神経の壊死する新たな病魔に襲われ両足を切断せざるを得なかった。それでも、いつも会うときは箴言を言われ、「日本サッカーのためになにをしたらいいのか」と真剣に問われた。それはラモス瑠偉氏も同じようで「いつも叱られていた」と言いつつ「優しい言葉も掛けられた」と故人を偲んだ。 ▽JFAは日本のサッカー界に貢献した人を協会の“殿堂に掲額"している。Jリーグの創設に尽力した木之本さんや森健兒さんは、その資格が十分にあると思う。しかしながら、殿堂入りするには、いまも川淵さんの了解を得ないと候補に選ばれないと聞いた。今回の「賑やかに語る集い」にも川淵さんは姿を見せなかったし、献花もなかった。 ▽ともにJリーグを創設した木之本さんに対し、川淵さんには川淵さんなりの思いがあるのだろう。それは当事者にしかわからないかもしれないが、すでに木之本さんは鬼籍に入られている。川淵さんが今後、何を語られるのか。日本サッカーにとって残すべき言葉だと思う。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.18 20:00 Thu
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