イタリアが王者スペインにリベンジ! 準々決勝でドイツと対戦へ《ユーロ2016》

2016.06.28 03:04 Tue
Getty Images
▽ユーロ2016決勝トーナメント1回戦イタリア代表vsスペイン代表が27日にスタッド・ド・フランスで行われ、2-0でイタリアが勝利した。

▽ベルギー、アイルランド、スウェーデンと同居したグループEを2勝1敗の首位で突破したイタリアは、既に首位通過を決めていた5日前のアイルランド戦のスタメンから7選手を変更。カンドレーバが負傷でベンチスタートとなったが、GKブッフォンやキエッリーニ、デ・ロッシといった主力が先発に戻った。
▽一方、クロアチア、トルコ、チェコと同居したグループDを2勝1敗の2位で通過したスペインは、6日前に行われた首位通過の懸かった最終節クロアチア戦を1-2と敗戦。その試合と同じベストメンバーを送り込んだ。

▽キックオフ直後に雨が強く降り出した中、戦前の予想通りスペインがボールを保持し、イタリアが自陣に引いてカウンターを狙う展開で推移。互いにゴールに向かう姿勢を見せる中、8分にイタリアに決定機が訪れる。ボックス手前左からのFKをファーサイドのペッレがヘディングシュート。シュートは枠の右下を捉えたが、GKデ・ヘアのビッグセーブに阻まれた。

▽雨が弱まる中、11分にもイタリアにチャンス。ジャッケリーニのゴール至近距離からのバイシクルシュートが枠を捉えるも、ここもGKデ・ヘアのファインセーブに阻まれる。そして、完全に雨が止んで晴れ間が出る中、気迫とフィジカルで上回るイタリアが流れを引き寄せていった。
▽そのイタリアは25分にもチャンス。カウンターからゴール前に走り込んだパローロがヘディングシュート。しかし枠の右に外れていった。徐々にポゼッションを高めるスペインが28分にイニエスタのミドルシュートで枠を捉えたものの、GKブッフォンを脅かすには至らずにいると、33分にイタリアが先制する。

▽ボックス手前中央でペッレが得たFKをエデルが強烈なシュートで枠の左を捉えると、GKデ・ヘアが弾く。そしてジャッケリーニがルーズボールに詰め、最後は混戦となったところをキエッリーニが押し込んだ。

▽ハーフタイムにかけても集中した守備からカウンターを狙うイタリアがペースを握る。すると45分にもビッグチャンス。左サイドからカットインしたジャッケリーニが枠の右上を捉えるシュートを浴びせたが、GKデ・ヘアの三度のビッグセーブに阻まれた。

▽1点ビハインドのスペインはノリートに代えてアドゥリスを投入し、モラタを左ウイングに回して後半に臨んだ。そのスペインが圧力をかけていくと開始4分、CKの流れからモラタのヘディングシュートが枠を捉えたが、GKブッフォンの正面を突く。

▽劣勢になりかけたイタリアは54分にデ・ロッシに代えてモッタを投入すると、直後に決定機。ペッレのフリックプレーを受けたエデルがピケとのスピード勝負を制してGKデ・ヘアと一対一に。しかし、シュートはデ・ヘアの身体を張ったファインセーブに阻まれた。ここから主導権を奪い返したイタリアは、遅攻と速攻を使い分けながら巧みに時間を消化していく。

▽一方、自陣に引くイタリアを攻めあぐねるスペインは70分、イニエスタのスルーからアドゥリスのシュートがゴールを襲うも僅かに枠を外れた。そして直後にモラタを諦めてL・バスケスを右ウイングに投入すると、71分に右CKからセルヒオ・ラモスがヘディングシュート。しかし、これも枠を捉えられなかった。

▽攻勢に出るスペインは続く76分、イニエスタの左足ボレーでGKブッフォンを襲えば、直後にもピケのミドルシュートがGKブッフォンを脅かすも牙城を崩しきれない。81分に負傷したアドゥリスに代えてペドロを最前線に投入したスペインが猛攻に出ると、90分にビッグチャンス。パワープレーで前線に上がっていたピケがゴール至近距離からシュート。枠の左を捉えていたが、GKブッフォンのビッグセーブに阻まれた。

▽すると後半追加タイム1分、イタリアが勝負を決定付ける。カウンターからボックス右へ侵入したダルミアンが中へクロス。DFにディフレクトしたボールをペッレがボレーで叩き込んだ。前回大会決勝のリベンジを果たしたイタリアは、準々決勝でドイツと対戦する。
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