【引退会見】澤、女子サッカーの魅力は「みんながサッカー好きで、純粋にうまくなりたい気持ち、ひたむき最後まで諦めないところ」
2015.12.17 21:17 Thu
▽16日に今シーズン限りで現役を引退することを発表したINAC神戸レオネッサのMF澤穂希(37)が17日、東京都内で引退会見に出席した。会見のコメント、質疑応答は以下の通り。
◆MF澤穂希(INAC神戸)
――アテネ五輪前に辛い時期があったとのことだが、荒川選手は初めて弱音を吐く姿見たと言っていた。何を励みに乗り越えたか
「荒川さんには弱音を吐いていないですけど(笑)手術するほど大きなケガでしたし、不安もありました。また、五輪に行けるか、今後の女子サッカーがどうなるのかと思って不安になりました。でもその時も一緒に戦った仲間がいて、リハビリを手伝ってくれたドクターやトレーナー、苦しいリハビリも一緒に走ってくれた仲間。本当にたくさんの方々に支えられて、乗り越えられました」
――そう言った時期に印象に残っている言葉は
「五輪に行けるか行けないか不安な中で、みんなの大丈夫という言葉、その一言で頑張れたりします。私自身も後輩が緊張や悩んでいる時は大丈夫だよと言っています。大丈夫の一言は私に取っても大きな励ましの言葉です」
――府中出身だが、府中のファンに声をかけるなら
「私は府中で育ったので、府中のサッカーチームがあって今の自分があると思っています。自分に教えてくださった監督、コーチを含め、サポートしてくれた府中の皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです」
――今後、府中で活動することは
「現時点では具体的にはないですが、地元のためにできることがあれば積極的にやっていきたいと思います」
「サッカーが好きだったので、その思いだけです」
――自分が引っ張るなどの気持ちは
「引っ張るというよりも、言葉で言っても伝わらないものもあります。グラウンドで結果を出す選手であれば、みんなは付いてきてくれるかなという思いで、まずは結果を出す思いでやってきました」
――女子サッカー界における自身は、どんな役割を果たせたか
「皆さんが言ってくださるのは、ここぞの時の勝負強さ。そういうところはみなさんに伝えられたのかなと思います」
――サッカーを嫌いになったことは
「一度もないです」
――女子サッカー界は変わってきたが、何か意識してきたことはあるか
「変えたいという思いよりも、少しでも良い環境に女子サッカーがあってほしいという気持ちは持っていました」
――環境の変化は感じるか
「ワールドカップで優勝した後は、お客さんの数もスポンサーさんの数も知名度も違うと実感しました」
――女子サッカーの魅力は
「みんながサッカー好きで、純粋にうまくなりたい気持ち、ひたむき最後まで諦めないところです」
――ここまで頑張ってきた澤選手を支えたものは
「悔しい気持ちもありましたが、純粋にうまくなりたい気持ちです。今でもそうで、練習でも全力です。練習で全力できなければ試合で全力は出せません。練習で手を抜こうと思えば抜けますがそれは嫌いです。常に怪我なく1日中サッカーできることは、当たり前でなく幸せなこと。そう言った30年間でした」
――引退後にやりたいこと
「まずは体を休めたいです」
――旦那様に言われた言葉やアドバイスは
「よく頑張ったねの流れでお疲れ様と言っていただきました」
――女子サッカーだけでなく女性のトップアスリートの憧れだったと思うが、彼女たちにメッセージを
「好きなことを一生懸命やってほしいです」
――なでしこを引退し、神戸で現役続ける選択肢はなかったか
「なかったです」
――サッカー=なでしこということか
「そこよりも自分の体もしんどいですし、心もモチベーションが大変です。みなさんが想像している以上に心と体を維持させることは簡単ではないです。自分自身、厳しいな、難しいなと思いました。なでしこだけでなく、INACでも一生懸命やってきたなとの思いで決断しました」
――心は上を目指すのが難しいとのことで、体の苦しさを具体的に
「冬になるにつれて、体の痛いところが出てきます。回復も若い頃に比べると遅くなりました。今まで足が出ていたところで出ない。自分の中で、今までとは、ベストな状態の体と比べるとちょっと、というのを感じていました」
――常に若手のことを気にしていたが、若手への言葉を
「結果が全てです。これからリオ五輪も東京五輪もあります。今の若い子は遠慮が多いと感じるのでびのびやってほしいです。そして勝負、結果にこだわって頑張ってほしいです」
――宮間選手への言葉と託したいことは
「あやには口から伝えました。あやは何も言うことないと。ただ、ありがとうと、一緒の時代に一緒にサッカーできたことを嬉しく思うと言ってくれました。今後、あやは責任感強い子で、一人いろいろなものを背負わなければ良いなという心配と、リオ五輪での大活躍を期待しています」
――新婚生活について
「具体的に何をするかは決まっていないですが、夫婦らしい生活ができればと思います」
――去年から迷っている状態で、今年一年戦えた要因は
「今年一年頑張れたのはたくさんの方々が支えてくれたのもあります。ただ、主人お存在が大きかったです」
――友達の吉田沙保里選手には何か伝えたか
「彼女からは連絡がきました。それよりも彼女の喘息が大丈夫かなと心配しています(笑)」
――吉田選手はリオ五輪を目指すと思われるが、後を託す思いは
「彼女は成し遂げたことない4連覇がかかっています。霊長類最強の強い女性なので、4連覇目指して。日頃からのトレーニングを怠らないすごい選手だと思っているので、リオ五輪でも金メダルを願っています。私は影ながら応援しています」
――今まで選手を見送ってきて、今度は自分が見送られる番だが、残る選手たちへの メッセージは「残すメッセージは、やってきたこと全てが残してきたメッセージです。これ以上言うことはないです」
――引退を発表してから練習に臨む時の変化はあったか
「気持ちの変化はなかったです。残りの時間をINACの仲間と戦える、一緒にやれる喜びと寂しさを感じています」
――ワールドカップのカナダ大会で心と体の不一致を感じたのか
「そう言った瞬間はなかったですが、2011年の時と比べると心も体も一致していないなと感じていました。終わった時に悔いなくやり切れたと思いました」
――公の場で引退を口にして心境の変化は
「一度決めたことを曲げることはないです。ここで自分の気持ちしっかり、サッカーしてきてお世話になってきた皆さんに改めて感謝の気持ちでいっぱいです」
――音楽から力を得たと言っていたが、サッカー人生で力になった一曲は
「絞れないです」
――思いつく曲は
「たくさんの曲を聴いて励まされました。一曲は言えませんが、2011年のドイツでナオト・インティライミさんの曲を聞きながらモチベーションを上げていました。その時も、今でも元気をいただいています」
――なでしこは家族とのことだが、なでしことの具体的なエピソードは
「エピソードというより、苦楽を共にしてきた仲間とサッカーできたことが一生の宝物です」
――サッカー人生の中で、一番嬉しかったゴールは
「ドイツワールドカップの決勝で、アメリカ戦での2-1から同点にした右アウトサイドのゴールです」
――交友関係が広い澤選手ですが、引退発表からこの時間までメールや着信の数は
「数えていないのでわかりません」
――サッカー人生の中でのベストシーンは
「決めれないですね。ワールドカップや五輪の得点は印象深いです。映像としても残っていますし、自分自身も印象深いです」
――今回の決断を最初に誰に伝えたか
「主人です」
――なんと言われたか
「お疲れ様とありがとうと言われました。何月何日とかは覚えていないですが、クラブに伝えたのも12月に入ってからです」
――長い現役でINACでは5年間だった。1つの転機を振り返って
「以前は東京でプレーしていて、東京以外で住むなら神戸に住みたいと言っていたら本当にそうなりました。神戸の人は暖かくて、市場でも声をかけられる温かい人が多い印象です。住みやすい街、とても充実した神戸生活ができていますので、神戸が大好きです」
――チームに関しては
「会長に話をいただいて、良い環境でサッカーをさせていただいています。会長自身も女子サッカーが良くなるために一生懸命活動してくださって、良い環境、良いコンディションでサッカーできるのも会長がいるお陰だと思っています」
――将来、指導者になるかもしれないとのことだが、現状でライセンスは
「まだです」
――ライセンスを取る予定は
「その時に指導者に興味を持てばと思っています。資格は必要だと思いますし、サッカーをより深く知るためにもライセンスを取ることは良いことだと思います。じっくり考えて、機会があって気持ちがそこにあればライセンスも取りたいと思っています」
◆MF澤穂希(INAC神戸)
――アテネ五輪前に辛い時期があったとのことだが、荒川選手は初めて弱音を吐く姿見たと言っていた。何を励みに乗り越えたか
「荒川さんには弱音を吐いていないですけど(笑)手術するほど大きなケガでしたし、不安もありました。また、五輪に行けるか、今後の女子サッカーがどうなるのかと思って不安になりました。でもその時も一緒に戦った仲間がいて、リハビリを手伝ってくれたドクターやトレーナー、苦しいリハビリも一緒に走ってくれた仲間。本当にたくさんの方々に支えられて、乗り越えられました」
「五輪に行けるか行けないか不安な中で、みんなの大丈夫という言葉、その一言で頑張れたりします。私自身も後輩が緊張や悩んでいる時は大丈夫だよと言っています。大丈夫の一言は私に取っても大きな励ましの言葉です」
――府中出身だが、府中のファンに声をかけるなら
「私は府中で育ったので、府中のサッカーチームがあって今の自分があると思っています。自分に教えてくださった監督、コーチを含め、サポートしてくれた府中の皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです」
――今後、府中で活動することは
「現時点では具体的にはないですが、地元のためにできることがあれば積極的にやっていきたいと思います」
――20年以上の現役生活で持ってきた思いは
「サッカーが好きだったので、その思いだけです」
――自分が引っ張るなどの気持ちは
「引っ張るというよりも、言葉で言っても伝わらないものもあります。グラウンドで結果を出す選手であれば、みんなは付いてきてくれるかなという思いで、まずは結果を出す思いでやってきました」
――女子サッカー界における自身は、どんな役割を果たせたか
「皆さんが言ってくださるのは、ここぞの時の勝負強さ。そういうところはみなさんに伝えられたのかなと思います」
――サッカーを嫌いになったことは
「一度もないです」
――女子サッカー界は変わってきたが、何か意識してきたことはあるか
「変えたいという思いよりも、少しでも良い環境に女子サッカーがあってほしいという気持ちは持っていました」
――環境の変化は感じるか
「ワールドカップで優勝した後は、お客さんの数もスポンサーさんの数も知名度も違うと実感しました」
――女子サッカーの魅力は
「みんながサッカー好きで、純粋にうまくなりたい気持ち、ひたむき最後まで諦めないところです」
――ここまで頑張ってきた澤選手を支えたものは
「悔しい気持ちもありましたが、純粋にうまくなりたい気持ちです。今でもそうで、練習でも全力です。練習で全力できなければ試合で全力は出せません。練習で手を抜こうと思えば抜けますがそれは嫌いです。常に怪我なく1日中サッカーできることは、当たり前でなく幸せなこと。そう言った30年間でした」
――引退後にやりたいこと
「まずは体を休めたいです」
――旦那様に言われた言葉やアドバイスは
「よく頑張ったねの流れでお疲れ様と言っていただきました」
――女子サッカーだけでなく女性のトップアスリートの憧れだったと思うが、彼女たちにメッセージを
「好きなことを一生懸命やってほしいです」
――なでしこを引退し、神戸で現役続ける選択肢はなかったか
「なかったです」
――サッカー=なでしこということか
「そこよりも自分の体もしんどいですし、心もモチベーションが大変です。みなさんが想像している以上に心と体を維持させることは簡単ではないです。自分自身、厳しいな、難しいなと思いました。なでしこだけでなく、INACでも一生懸命やってきたなとの思いで決断しました」
――心は上を目指すのが難しいとのことで、体の苦しさを具体的に
「冬になるにつれて、体の痛いところが出てきます。回復も若い頃に比べると遅くなりました。今まで足が出ていたところで出ない。自分の中で、今までとは、ベストな状態の体と比べるとちょっと、というのを感じていました」
――常に若手のことを気にしていたが、若手への言葉を
「結果が全てです。これからリオ五輪も東京五輪もあります。今の若い子は遠慮が多いと感じるのでびのびやってほしいです。そして勝負、結果にこだわって頑張ってほしいです」
――宮間選手への言葉と託したいことは
「あやには口から伝えました。あやは何も言うことないと。ただ、ありがとうと、一緒の時代に一緒にサッカーできたことを嬉しく思うと言ってくれました。今後、あやは責任感強い子で、一人いろいろなものを背負わなければ良いなという心配と、リオ五輪での大活躍を期待しています」
――新婚生活について
「具体的に何をするかは決まっていないですが、夫婦らしい生活ができればと思います」
――去年から迷っている状態で、今年一年戦えた要因は
「今年一年頑張れたのはたくさんの方々が支えてくれたのもあります。ただ、主人お存在が大きかったです」
――友達の吉田沙保里選手には何か伝えたか
「彼女からは連絡がきました。それよりも彼女の喘息が大丈夫かなと心配しています(笑)」
――吉田選手はリオ五輪を目指すと思われるが、後を託す思いは
「彼女は成し遂げたことない4連覇がかかっています。霊長類最強の強い女性なので、4連覇目指して。日頃からのトレーニングを怠らないすごい選手だと思っているので、リオ五輪でも金メダルを願っています。私は影ながら応援しています」
――今まで選手を見送ってきて、今度は自分が見送られる番だが、残る選手たちへの メッセージは「残すメッセージは、やってきたこと全てが残してきたメッセージです。これ以上言うことはないです」
――引退を発表してから練習に臨む時の変化はあったか
「気持ちの変化はなかったです。残りの時間をINACの仲間と戦える、一緒にやれる喜びと寂しさを感じています」
――ワールドカップのカナダ大会で心と体の不一致を感じたのか
「そう言った瞬間はなかったですが、2011年の時と比べると心も体も一致していないなと感じていました。終わった時に悔いなくやり切れたと思いました」
――公の場で引退を口にして心境の変化は
「一度決めたことを曲げることはないです。ここで自分の気持ちしっかり、サッカーしてきてお世話になってきた皆さんに改めて感謝の気持ちでいっぱいです」
――音楽から力を得たと言っていたが、サッカー人生で力になった一曲は
「絞れないです」
――思いつく曲は
「たくさんの曲を聴いて励まされました。一曲は言えませんが、2011年のドイツでナオト・インティライミさんの曲を聞きながらモチベーションを上げていました。その時も、今でも元気をいただいています」
――なでしこは家族とのことだが、なでしことの具体的なエピソードは
「エピソードというより、苦楽を共にしてきた仲間とサッカーできたことが一生の宝物です」
――サッカー人生の中で、一番嬉しかったゴールは
「ドイツワールドカップの決勝で、アメリカ戦での2-1から同点にした右アウトサイドのゴールです」
――交友関係が広い澤選手ですが、引退発表からこの時間までメールや着信の数は
「数えていないのでわかりません」
――サッカー人生の中でのベストシーンは
「決めれないですね。ワールドカップや五輪の得点は印象深いです。映像としても残っていますし、自分自身も印象深いです」
――今回の決断を最初に誰に伝えたか
「主人です」
――なんと言われたか
「お疲れ様とありがとうと言われました。何月何日とかは覚えていないですが、クラブに伝えたのも12月に入ってからです」
――長い現役でINACでは5年間だった。1つの転機を振り返って
「以前は東京でプレーしていて、東京以外で住むなら神戸に住みたいと言っていたら本当にそうなりました。神戸の人は暖かくて、市場でも声をかけられる温かい人が多い印象です。住みやすい街、とても充実した神戸生活ができていますので、神戸が大好きです」
――チームに関しては
「会長に話をいただいて、良い環境でサッカーをさせていただいています。会長自身も女子サッカーが良くなるために一生懸命活動してくださって、良い環境、良いコンディションでサッカーできるのも会長がいるお陰だと思っています」
――将来、指導者になるかもしれないとのことだが、現状でライセンスは
「まだです」
――ライセンスを取る予定は
「その時に指導者に興味を持てばと思っています。資格は必要だと思いますし、サッカーをより深く知るためにもライセンスを取ることは良いことだと思います。じっくり考えて、機会があって気持ちがそこにあればライセンスも取りたいと思っています」
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