松本のFW阿部吉朗が現役引退を発表…引退の理由は「僕自身の力不足を感じました」
2015.12.01 13:31 Tue
▽松本は1日、FW阿部吉朗(35)が今シーズン限りで現役から引退することを発表した。
▽常総学院高から流通経済大を経て2003年にFC東京に加入した阿部は、1年目からJ1で27試合6得点の成績を残すなど主力として活躍。2005年に大分に期限付き移籍するも、シーズン途中にFC東京に復帰。その後、2007年の柏への期限付きを経て、2008年に湘南へ完全移籍を果たした。湘南では3シーズンを過ごし、2009年にはJ1昇格に貢献。2011年は甲府、2012年から2014年までは磐田でプレーし、松本には今シーズン加入していた。
▽今シーズンはJ1で24試合に出場し5得点を記録。ナビスコカップで4試合、天皇杯で4試合に出場していた。J1では通算214試合に出場し、36得点。J2では通算94試合に出場して19得点を記録した。阿部はクラブを通じて以下のようにコメントしている。
「始めに、サッカー人生を支え、一緒に闘ってくれた父、母、そして、苦しい時にそばにいてくれた家族に心から感謝します。そして、小さなころから今に至るまでご指導下さった監督、コーチ、そして、FC東京から松本山雅FCまで現役を支えて下さった関係者の皆さま、最後のチームを自分で選ばせて下さった、ジュビロ磐田の関係者の方々、35歳まで僕の背中を押し走らせてくれたサポーターの皆さま、本当にありがとうございました」
「引退の理由としては、『反町監督を男にしたい。山雅の力になりたい』と思い移籍して来ましたが、J1に残留する事ができず、僕自身の力不足を感じました。プロサッカー選手のキャリアをスタートしてから、14年間の流れる時間の速さを感じています。色々なチームを渡りあるきサッカーを学び、多くの経験や友人が出来た事は僕の財産です」
「今後は自分を育ててくれた、地元のつくば市で、サッカー人生で学んだ事を活かし、子供の頃の思いをかたちにして伝えて行きたいと思っています。最後に、自分の応援歌の『人生は上々だ』を作って下さったFC東京のサポーターの皆様、そして、僕を受け入れて下さったチームの方々、最後まで素晴らしい応援で支えて下さった松本山雅FCのサポーターの皆さまには、感謝の言葉しかありません。本当に長い間ありがとうございました」
▽常総学院高から流通経済大を経て2003年にFC東京に加入した阿部は、1年目からJ1で27試合6得点の成績を残すなど主力として活躍。2005年に大分に期限付き移籍するも、シーズン途中にFC東京に復帰。その後、2007年の柏への期限付きを経て、2008年に湘南へ完全移籍を果たした。湘南では3シーズンを過ごし、2009年にはJ1昇格に貢献。2011年は甲府、2012年から2014年までは磐田でプレーし、松本には今シーズン加入していた。
「始めに、サッカー人生を支え、一緒に闘ってくれた父、母、そして、苦しい時にそばにいてくれた家族に心から感謝します。そして、小さなころから今に至るまでご指導下さった監督、コーチ、そして、FC東京から松本山雅FCまで現役を支えて下さった関係者の皆さま、最後のチームを自分で選ばせて下さった、ジュビロ磐田の関係者の方々、35歳まで僕の背中を押し走らせてくれたサポーターの皆さま、本当にありがとうございました」
「引退の理由としては、『反町監督を男にしたい。山雅の力になりたい』と思い移籍して来ましたが、J1に残留する事ができず、僕自身の力不足を感じました。プロサッカー選手のキャリアをスタートしてから、14年間の流れる時間の速さを感じています。色々なチームを渡りあるきサッカーを学び、多くの経験や友人が出来た事は僕の財産です」
「原監督のもと、FC東京でナビスコ杯初制覇や、反町監督、湘南のサポーターと共に味わったJ1昇格、家族のように接してくれた、熱い松本山雅のサポーターの皆さまとの一体感など、様々な経験は自分を強くさせてくれましたし本当にいい思い出です」
「今後は自分を育ててくれた、地元のつくば市で、サッカー人生で学んだ事を活かし、子供の頃の思いをかたちにして伝えて行きたいと思っています。最後に、自分の応援歌の『人生は上々だ』を作って下さったFC東京のサポーターの皆様、そして、僕を受け入れて下さったチームの方々、最後まで素晴らしい応援で支えて下さった松本山雅FCのサポーターの皆さまには、感謝の言葉しかありません。本当に長い間ありがとうございました」
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