【日本サッカー見聞録】カンボジアで痛感した日本サッカーの課題
2015.11.26 13:30 Thu
▽今週のコラムは、メルマガに引き続きカンボジア取材の“こぼれ話”を紹介しよう。カンボジアにもCリーグというプロリーグが存在するが、今シーズン3位になってプレーオフに進出したのが、日本人オーナーと日本人監督が運営するカンボジアン・タイガーというチームだ。
▽元々は日系企業の設立したチームだが、企業の業績悪化などにより紆余曲折を経て今年3月、コンサルティング会社を経営する加藤明拓氏にチームを譲渡。加藤氏は八千代高校時代にインターハイで優勝するなど34歳と若いオーナーで、今も選手兼任で活躍している。
▽監督を務めるのは、これも選手兼任の木原正和氏。広島ユース時代に槙野や柏木と同期で、大宮や福岡に在籍したものの、2013年に戦力外となりプノンペンに新天地を求めた。日本対カンボジアの試合当日、オリンピック・スタジアムで偶然、大宮の元広報だった秋元さんと再会。現地の子供たちを対象にしたサッカースクール開催のためプノンペンを訪れていたのだが、「木原はうちの選手でした」と教えてくれた。
▽そのカンボジアン・タイガーと有料の親善試合に臨んだのが福岡ユース、それも1年生中心のチームだった。縁あって前日の懇親会に呼ばれたが、今回の試合を実現するためRKB毎日放送のディレクターを始め、国際交流基金のアジアセンター職員、カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)の理事長など、福岡のスタッフだけでなく多くの方々が尽力しているのを知った。
▽試合はというと、体力差で勝るカンボジアン・タイガーが終始優勢に進め、福岡ユースは1点を返すのが精いっぱい。45分ハーフの試合は4-1でカンボジアン・タイガーが実力を示した。うれしかったのは、後半途中からコーチを務める宮原裕司がピッチに立って選手たちに好パスを配球してチームをリードしたことだ。
▽この試合と、シンガポールでのアルビレックス新潟シンガポールの試合を観戦して痛感したのは、“日本人のサッカー”をしていたこと。日本人のチームだから当たり前なのだが、負けていても前線に早くボールを入れることなく、自陣でパスを回す“自分たちのスタイル”を貫いていた。これは彼らだけでなく、Jリーグのチームにも当てはまる傾向だ。
▽リードしていれば自陣でパスを回して時間を稼ぎながらカウンターを狙うのは当然だろう。しかし、ビハインドの状況では、少しでも相手ゴールに迫るため、サイドアタッカーを走らせたり、アーリークロスでゴール前に殺到したりするなど戦略を変更する必要がある。しかしながら、日本人はどうも臨機応変さを欠いている気がしてならない。それは少年サッカーからシニア・リーグ、さらには日本代表まで、すべての“日本人”に共通している課題と言えるのではないだろうか。
▽そんな「歯がゆさ」を改めて痛感したシンガポールとカンボジアでの試合観戦だった。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
▽元々は日系企業の設立したチームだが、企業の業績悪化などにより紆余曲折を経て今年3月、コンサルティング会社を経営する加藤明拓氏にチームを譲渡。加藤氏は八千代高校時代にインターハイで優勝するなど34歳と若いオーナーで、今も選手兼任で活躍している。
▽そのカンボジアン・タイガーと有料の親善試合に臨んだのが福岡ユース、それも1年生中心のチームだった。縁あって前日の懇親会に呼ばれたが、今回の試合を実現するためRKB毎日放送のディレクターを始め、国際交流基金のアジアセンター職員、カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)の理事長など、福岡のスタッフだけでなく多くの方々が尽力しているのを知った。
▽試合はというと、体力差で勝るカンボジアン・タイガーが終始優勢に進め、福岡ユースは1点を返すのが精いっぱい。45分ハーフの試合は4-1でカンボジアン・タイガーが実力を示した。うれしかったのは、後半途中からコーチを務める宮原裕司がピッチに立って選手たちに好パスを配球してチームをリードしたことだ。
▽宮原と言えば、東福岡高校で選手権連覇に貢献した繊細なゲームメーカーだ。試合を観戦していた“ちょんまげ隊長”のツンさんや、愛媛のゆるキャラ“一平くん”らも宮原が登場すると盛んな声援を送っていたのは「さすが」と思ったものだ。
▽この試合と、シンガポールでのアルビレックス新潟シンガポールの試合を観戦して痛感したのは、“日本人のサッカー”をしていたこと。日本人のチームだから当たり前なのだが、負けていても前線に早くボールを入れることなく、自陣でパスを回す“自分たちのスタイル”を貫いていた。これは彼らだけでなく、Jリーグのチームにも当てはまる傾向だ。
▽リードしていれば自陣でパスを回して時間を稼ぎながらカウンターを狙うのは当然だろう。しかし、ビハインドの状況では、少しでも相手ゴールに迫るため、サイドアタッカーを走らせたり、アーリークロスでゴール前に殺到したりするなど戦略を変更する必要がある。しかしながら、日本人はどうも臨機応変さを欠いている気がしてならない。それは少年サッカーからシニア・リーグ、さらには日本代表まで、すべての“日本人”に共通している課題と言えるのではないだろうか。
▽そんな「歯がゆさ」を改めて痛感したシンガポールとカンボジアでの試合観戦だった。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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