★殿堂掲額者の横顔
▽毎年9月10日は日本サッカー殿堂掲額式典の日。日本サッカーの発展に寄与した殿堂入りに、今年は特別選考として故・諸橋晋六氏、小澤道宏氏、野村六彦氏の3人が選ばれ、9月10日の式典に出席する予定だ。

▽この特別選考とは別に、殿堂委員会が候補者を選出し、マスコミ関係者などの投票で選考する投票選考は、前回に続き候補者選出が困難であると判断して実施しないことになった。というのも、候補者は日本代表50試合以上出場か、JSL(日本サッカーリーグ)1部に150試合出場または年間最優秀選手受賞者というかなり狭き門でもある。委員会では候補者の選出を図ったものの、「日本サッカー界に長年にあたり、顕著な貢献をした者」という内規で議論した結果、候補者の選出を見送ることになった。

▽そこで今回は、特別選考の3氏のプロフィールを紹介しておこう。故・諸橋氏(1922年7月13日生まれ)は上智大学卒業後に三菱商事に入社して、同社サッカー部の実業団大会にも優勝したが、それは終戦直後のことであり、JSLが創設される遥か以前の出来事だった。このためサッカー選手としての経歴に特記するものはない。同氏は後に三菱商事の社長や会長を務めるが、ロンドン支店長時代にイングランドのサッカー番組を日本に紹介。これが、三菱グループがスポンサーになって始まった「三菱ダイヤモンド・サッカー」だった。日本初のサッカー番組の“生みの親”とも言える。

▽同番組は1968年から20年にわたって放映され、1970年に開催されたW杯(メキシコ大会)を初めて放映したのも「ダイヤモンド・サッカー」だった。金子アナウンサーと岡野氏(現JFA最高顧問)のコンビによる名解説のテレビ番組を見て、サッカーファンになった青少年は数知れないだろう。かくいう著者自身、中学生の時に視聴者プレゼントに応募して、手縫い革製のサッカーボール(ヤスダ製5号球)が当たった時はうれしかったものだ。諸橋氏は1995年に2002年日本W杯招致委員会副会長に就任し、2002年にはW杯日本組織委員会顧問などを歴任して大会を支え、2013年に90歳で没した。

▽小澤氏(1932年12月25日生まれ)は宇都宮高校と東京教育大(現筑波大)時代に全国選手権で優勝し、卒業後は東洋工業(現サンフレッチェ広島)の黄金時代を支えたDFだ。メルボリン五輪やアジア大会では日本代表の中心選手として活躍し、主将としてチームを牽引した。1962年には年間最優秀選手賞を受賞し、1984年からはマツダサッカー部の部長を務め、サンフレッチェ広島の創立に尽力した。

▽野村氏(1940年2月10日生まれ)は中央大学時代に全日本大学選手権で3回優勝、関東リーグでも同校の初優勝や天皇杯制覇に貢献した、運動量とクレバーさを兼ね備えたMFだった。大学卒業後は日立(現柏レイソル)に入社し、1965年にスタートした第1回JSLで得点王を獲得。1972年には日立をJSLと天皇杯の初制覇に導き、年間最優秀選手賞を受賞した。引退後はJリーグ開幕と同時にマッチコミッショナーに就任し、2007年からはJリーグの規律委員長を務めるなど、20年以上にわたりJリーグの発展に貢献してきた。

▽投票選考では前々回で奥寺氏と永井氏が受賞したが、日本代表50試合以上出場かJSL150試合以上出場というハードルをクリアしているのは藤島信雄氏(日本鋼管、1993年に廃部。現JFE)、原博実氏(現JFA専務理事)、都並敏史氏(テレビ解説者)の3人くらいしかいない。JSL時代の資格該当者はほとんど殿堂入りしているからだ。かといってJリーグを対象に含むと、まだ監督など現場で活躍している選手が多い。このためしばらくは投票選考を実施しないかもしれない。

【六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

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